安倍さまのNHK と 芸能界の微妙な関係?(´-ω-`) | 私にとって人間的なもので無縁なものはない

安倍さまのNHK と 芸能界の微妙な関係?(´-ω-`)



「芸能」と「政治」の微妙な関係
考える広場(東京新聞)2015年2月21日

 芸能人が権力を持つ政治家を皮肉り、風刺する。そんな光景が許されにくい風潮が日本にはある。最近起きた一連の騒ぎは、あらためてそれを示した。芸能と政治の距離感は、どうあるべきか。

「芸能」と「政治」の微妙な関係

ネタにして笑おう

 お笑い芸人
 大川豊さん

 昔からテレビで政治ネタはご法度ですよ。一九八〇~九〇年代は、北朝鮮とか政党絡みの話は絶対駄目でしたね。丸ごとカットされる。唯一放送されたのが、レバノン内戦の時にレナウンのCMをもじって「レバノン娘」と歌ったぐらい。
 やはり視聴者から批判がありますからね。芸能人のイデオロギーがちょっとでも自分と違うといやなんでしょう。でも、見たくなければスイッチを消せばいい。絶大な権利があるのに、それがないかのように文句を言うのはおかしいと思うけど。
 アーティストの場合、ファンとの関係が疑似恋愛に近い。イデオロギーか違うと恋愛って成立しなかったりする。サザン桑田佳祐さんのパフォーマンスが批判されたけど、これまで恋愛の歌を歌っていた人にいきなり政治ネタをされても、という感情があったのかな。これか泉谷しげるさんだったら許されていたんじゃないか。
 サザンも、ミスチルも、ももクロも、自分なりの考えを発言していいと思うんです。専門知識がなくても、初めて選挙に行った有権者の意見みたいな感覚で構わない。それを「お、言うようになったな」と受け止める余裕が、成熟社会にはあってほしい。でも、現実にはネットで過剰にたたかれる。どんどん息苦しい社会になっています

はだしのゲン 同調圧力_1

はだしのゲン 真の勇気とは

 自分が政治をネタにするのは、やっぱり面白いから。難しいことを難しく言っても駄目。お笑いならみんなに分かりやすく、お上のインチキにツッコミを入れられる。昨年末の衆院選で、自民党がテレビ局に「公平中立な報道」を要望したでしょう。あんな介入こそ、絶対ネタにして笑わせなきやいけない。
 幼いころ、母が働いていた米軍キ々ンプで育ちました。当時はベトナム戦争の真っただ中。言葉か通じないなりに、周りの大人のポリティカルジョークを聞いていた。米国社会ってユーモアがないと駄目だし、子どもも自分の意見を持たないと駄目なんだと気づきました。
 逆に、日本社会って変わった意見を持つ人や異端者をなかなか認めない。空気や雰囲気だけで攻撃する人も多い。でも世界中でモノを売り、人と関わる時代なんだから、もっと個人が意見や思想を持って自立しなければ。そうしないと、猛スピードで格差が拡大するこの世の中には太刀打ちできないと思います
(聞き手・樋口薫)

同調圧力_1同調圧力_2

集団の論理 脱却を

 映画監督、作家
 森達也さん

 桑田佳祐さんが批判を受けた件と「爆笑問題」が政治ネタを封印したとされる件は、単に二組の表現者が圧力に屈したという問題と捉えたら、事の本質を見失います。表現の自由を抑圧するのは誰か。それは権力や右翼。ではなく、ほかならぬ自分たちだということが問題なのです。
 桑田さんの曲は「ピース(平和)とハイライト(極右)」。暗喩ですね。オークションのパフォーマンスも含めて、表現の一環です。自分への抗議くらいは覚悟していたはず。でも、抗議する右翼の街宣車が事務所に来た。困った会社から「社員に万一のことがあったらどうするんだ」と言われ、桑田さんは謝罪に同意した。ここにあるのはリスクを避けたい組織の論理だけ。それに個の論理が負けてしまうのが、まさに日本です
 NHKの件では、安倍晋三首相寄りといわれる会長の影響という声があります。それもあるのかもしれないけれど、本質は自主規制。テレビディレクター時代に、「放送禁止歌」というドキュメンタリーを作りました。放送してはいけない歌が存在する。業界の誰もがそう思っていたけれど、そんなルールはどこにも存在していなかった。規制を作ったのは自分たち。でも、それを忘れてしまう。そして自由がないなどとため息をついている。自由がこわいんです。自ら規制を求めてしまう。なぜなら集団の中にいるからです。


http://www.youtube.com/playlist?list=PLjmHYjZ_rI9U07GZjLT7I4Z81iBA6qnJy

 日本はもともと集団と相性が良い国です。集団の同調圧力がとても高く、忖度(そんたく)とか言わずもがなの自主規制の傾向が強い。「不謹慎」という言葉が典型です。それは「みんなが右と言っているときに、何で左を向くのか」ということです。その傾向はオウム事件以降、さらに加速している。不安や恐怖が切迫すると集団化が進むからです。米中枢同時テロがあり、そして今回の人質事件。政府の対応を批判したら「『イスラム国』を擁護するのか」と言われてしまう。もう敵か味方か、しかないみたいな。
 今、日本人はそんな思考パターンに染まりやすくなっています。それは、どうしてあんな無謀な戦争をしたのかというところにもつながります。その流れに新聞も含めたメディア全体が抵抗できていない。今こそ、集団から外れることが大事です。特にメディアに関わる者、表現者は。
(聞き手・大森雅弥)

「芸能」と「政治」の微妙な関係 図版


http://youtu.be/XxhUwj414bo


風刺の文化育たず

 タレント
 デーブ・スペクターさん

 日本ではそもそも、政治を風刺する文化が育ってきませんでした。戦後、政権は長く自民党にお任せ状態だった。それで経済成長もうまくいき、政治家をやゆしなくてもいいじゃないか、という雰囲気になってしまったんでしょう。政治ユーモアの底が浅いんですね。だからテレビなどの媒体が政治ネタをほとんど扱わず、視聴者も気に入らないネタをすぐに批判する。
 「ザ・ニュースペーパー」という面白い政治コントグループがあります。安倍晋三首相や小泉純一郎元首相らに扮(ふん)して笑わせるのですが、今はテレビにあまり出てこない。米国や英国なら、普通の芸能人より露出が多くてもおかしくないですよ。欧米にはザーニュースペーパーみたいな人がたくさんいます。


http://www.youtube.com/playlist?list=PL0Vh8QXFmrkQ2Y1948AZfs8qAX5AHFocG

 米国のテレビではトーク番組の「ザ・トゥナイトーショー」とかで連日、政治ネタを流してます。オバマ大統領がどうのこうのという話ですね。ちゃかしたり、やゆしたり。ニュース番組の形を取る政治風刺コメデイーの「ザ・デイリー・ショー」なんか、政治のことをむちゃくちゃ言ってますよ。そういうことを言える環境があるんです。


http://youtu.be/OTiPk9pQN48


http://youtu.be/j-bijK1xH30

 日本では政治や原発問題を過激に取り上げてる芸人は「ちょっと、使うのやめとこうか」と言われかねません。CMにも呼ぱれなくなる。そうなると、本人も家族や事務所への影響を考えてしまう。トータルで損をすることになれば、やはり黙るでしょう。それは仕方がない。そういう中で、爆笑問題はきちんと発言していると思いますけどね。僕白身は番組で「政治ネタをやめてください」と言われたことは一度もありません。
 今の日本は抗議に対して、過敏になりすぎています。例えば、数十人、数百人から抗議があっただけで、テレビ番組が打ち切られてしまうことがある。その番組を楽しんでいた、残りの何百万人というファンの権利はどうなるのでしょうか。まったくバランスが取れていない。
 例えば、政党が番組をチェックしてクレームをつけてきても、事実無根でない限り「ああ、そうだったんですか。分かりました」と言うだけでいいんです。それで内容を左右される必要はありません。表現の自由があるんですから。政府がコントロールすることはできないんです。表現の自由に触れる部分でメディアがあまり萎縮していると、先進国ではなくなってしまいます
(聞き手・小田昌孝)


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芸能界は甘い?
極楽とんぼ・山本さん 活動再開へ
(東京新聞【こちら特報部】ニュースの追跡)2015年1月7日

 お笑いコンビ「極楽とんぼ」で人気を博したものの、約九年前に少女暴行事件で摘発され、芸能活動停止に追い込まれた山本圭一さん(四六)=写真=が十九日に都内で「復活ライブ」を挙行する。ネット上では、かつての芸能人仲間らが歓迎する一方、「テレビで犯罪者を見たくはない」などと批判が噴出している。
(林啓太)

芸能界は甘い?

厳しい批判も/今後の振る舞いカギ

 「山本圭壱お笑いLIVE(ライブ)」。手書きのチラシの画像がネットに掲載されている。「圭壱」は旧芸名だ。場所は東京・下北沢の「駅前劇場」(定員百人)。料金については「私、山本圭壱がざるを持ってロビーに立ちますのでお客様のご厚意を投げ銭として反映させて頂けますと望外です」と記している。
 「こちら特報部」は、山本さんの代理人と連絡を取ろうとしたが、電話はつながらなかった。
 山本さんは一九八九年、相方の加藤浩次さんとともに極楽とんぼを結成。テレビのバラエティー番組などに引っ張りだこの人気者になった。
 強姦の疑いで北海道警に書類送検されたのは二〇〇六年八月。同七月に少女=当時(一七)=に酒を飲ませて暴行したとされる。警察の調べに「ゲーム感覚で合意があった」と容疑を一部否認していた。函館地検は同十月、不起訴処分に。少女との間で示談が成立し、告訴が取り下げられたためだ。
 所属先の吉本興業は事件発覚後に契約を解除。山本さんは芸能界から姿を消した。その後は、飲食店への勤務や、寺での修行が報じられた。極楽とんぼは解散こそしていないが、相方の加縢さんが一人で活動しているというのが現状だ。
 加藤さんは今月五日、復活ライブについて伝える民放番組で「極楽とんぼとして(山本さんと)二人でいつかやりたいと思っている」とエールを送った。ツイッター上では、後輩タレントの田村淳さんが「この日を待ってました!」。橋下徹大阪市長も「再チャレンジの機会が与えられるのは当然」と励ました。
 しかし、一般のアカウントでは、「また調子に乗って度が過ぎる事をしそう」「TVで堂々としてる性犯罪者を見たくはない」「犯罪者でも復帰出来る甘々な世界ならでは」などと辛らつなコメントが並ぶ
 刑事事件を起こした芸能人が、復活するケースは過去にもある。ただし近年は、「容疑者」となった芸能人には厳しい目が注がれる。代表格はタレントの田代まさしさんだ。○○年以降、女性のスカートの中をビデオで隠し撮りしたり、アパートのふろをのぞいたりして警察にたびたび摘発された。○四年九月には覚せい剤取締法違反(所持)などの疑いで警視庁に逮捕され、東京地裁で実刑判決を受けた。社会復帰してからはネット上などで芸能活動を再開したが、地上波テレビの番組に出演する機会はほとんどない。
 山本さんの芸能界復帰は許されるのか。
 芸能界の内情に詳しいジャーナリストは「過去に罪を犯したと報じられた芸能人の復帰は相当厳しい。番組のスポンサーは視聴者からの苦情を恐れるようになった」とみる。
 琉球大の矢野恵美准教授(被害者学)は「山本さんは不起訴処分なので、罪を犯したと断じて批判することはできない」と前置きした上で、こう指摘する。
 「性犯罪については、被害者の感情を重視する世論が定着しつつあり、お笑いファンの視線も厳しい。芸能界に復帰できるかどうかは、罪を犯すような人間ではないとファンに理解してもらえるよう振る舞えるかどうかにかかっている



NHK大河ドラマ『花燃ゆ』の視聴率低迷はスマホが原因だった!?
(DMMニュース) 2015.02.25
http://dmm-news.com/article/921191/
花燃ゆ
 またもやNHK大河ドラマの低視聴率が話題となっている。

 今年の大河は井上真央主演の『花燃ゆ』だが、初回1月4日の視聴率は大河史上歴代ワースト3位となる16.7%と不穏な幕開けとなった。しかし、その後も持ち返すどころか、どんどん下降線をたどり、2月15日にはダメな民放ドラマばりの11.5%を記録。すると、ネットや芸能メディアでは、「人気者といわれてきた井上真央だが、実は数字を持ってない」と、主演の真央を戦犯扱いする声があちらこちらで聞かれるようになった。

「視聴率凋落には根本的な原因がある」

 実際のところ、何が低迷の理由なのだろうか? 

「主演がどうこうとか、脚本や演出の良し悪しではないですね。実際、昨年の大河ドラマ『軍師 黒田官平衛』は、通年で視聴率10パーセントそこそこと散々な結果でしたが、玄人筋からは、岡田君の演技も、ドラマ自体の評価も非常に高いものがありました。それなのに数字には結びつかなかった。つまり、大河ドラマの凋落には、役者や脚本、演出などではなく、もっと根本的な理由があるのだと思います」(放送作家)

 たしかに、ここ数年、大河ドラマの視聴率は低迷の一途を辿っている。当代きってのモテ男・福山雅治を主役に抜擢した『龍馬伝』(2010年)でさえ平均18%強、『江・姫たちの戦国』(2011年・上野樹里主演)が17%強であり、『平清盛』(2012年・松山ケンイチ主演)、『八重の桜』(2013年・綾瀬はるか主演)にいたっては、それぞれ、12%、15%弱だった。

 各シリーズの主役は、みな売れっ子の超人気俳優。低迷の理由を彼らに求めるのはさすがに無理があるだろう。

一方、元気なNHKの朝ドラ

 このように、かつては日曜夜の高視聴率枠であったNHK大河ドラマの凋落ぶりに比し、同じくNHKの朝ドラは、なぜか大人気を博している。

 国民的ドラマとなった『あまちゃん』を筆頭に、『花子とあん』、『まっさん』と、続々と20%超を誇る番組を送り出している。いったい、何が違うのか? 前出の放送作家はいう。

「ドラマ自体の質、役者の陣容を比べたら、確実に大河のほうが上です。しかし、大河は凋落し、朝ドラは躍進している。この背景にはスマホ時代特有の理由があると思います。いま、ネットニュースにしろ、動画サイトにしろ、コンパクトで短いものが主流。ある学者の研究によれば、スマホが主流となった現代において、人々が動画を集中して見ることのできる時間は平均15分程度だそうです。そうなるとCMなしで45分間ノンストップの大河ドラマはあまりに長い。一方の朝ドラは15分間です。この違いが両者の視聴率の違いに現れているのではないでしょうか」

 今週発売の週刊女性の記事でも『花燃ゆ』低迷の現状が報じらており、あまりの落ち込みぶりに慌てたスタッフがテコ入れとして、今後登場予定の“坂本龍馬”役として、福山雅治やキムタクといった大物を起用するのでは、といった憶測記事を書いている。前出の放送作家の言のように、いまやキャスティングでどうこうなるような話ではないのかもしれない。

(取材・文/小林靖樹)


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慰安婦報道めぐる発言 NHK会長の罷免要求 JCJなど3団体
(東京新聞)2015年2月11日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015021102000136.html
 NHKの籾井勝人(もみいかつと)会長が「従軍慰安婦問題を番組で取り上げるかどうかは、安倍晋三首相の戦後七十年談話を見極めてから」との意向を示したことに、日本ジャーナリスト会議(JCJ)など三団体は十日、籾井氏の辞任や罷免を求める申し入れをNHKに行った。
 籾井氏は五日の定例会見で、慰安婦について「正式に政府のスタンスがよく見えない中で放送するのが妥当かを慎重に考えなければならない」と述べた。
 申し入れによると、籾井氏の発言を「番組は政府の方針に従って作る」と表明したとし、放送法を理解していないと批判。「NHKが進んで政府の方針に順応することを明言したのは、放送の自主・自立の放棄宣言に等しい」としている。
 JCJによると、三団体を含む七つの市民団体が昨年から集めている籾井氏らの罷免要求署名数は、七万二千を超えたという。
 一方、十日開かれた経営委員会後、浜田健一郎委員長は、会長発言について近く籾井氏に真意を聞くと記者団に述べた。同席した上村達男委員長代行は「個人的には(発言は)遺憾だ」と話した。


NHK籾井会長1年と放送90年・戦後70年
メディア研究者 松田 浩さん
焦点・論点(しんぶん赤旗)2015年1月25日
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2015-01-25/2015012503_01_0.html
 今年は1925年(大正14年)に日本で初めてラジオ放送が始まって90年です。またこの1月は、安倍政権が送りこんだといえる籾井勝人(もみいかつと)NHK会長が誕生して1年という節目です。「籾井会長下のNHK 1年」を放送の歴史と戦後70年の中でどうとらえるか一長く放送とメディアを研究してきた松田浩さんに聞きました。
(小寺松雄)

NHK籾井会長1年と放送90年・戦後70年_1

戦前の教訓と民主化の理念ふまえ
 「政権からの独立」取り戻そう


 ―放送誕生はどんないきさつだったのでしょうか。

 松田 日本のラジオは、大正デモクラシーの流れのなかで産声を上げました。当初は新聞資本をバックに商業放送の予定でしたが、当時の犬養毅逓信相が「放送は偉大な広播力がある」ので「政府の監視容易な組織に」する必要があると社団法人でスタート。同年3月から東京、名古屋、大阪で順次放送が始まりました。ところが1年半後に政府は3放送局を強制的に「日本放送協会」に統合してしまう。これがNHKの前身です。日本の放送は当初から強力な「政府管理」下に置かれたのです。
 31年の「満州事変」を経て、放送は急速に軍国主義宣伝機関となり、40年の内閣情報局設置を機に企画段階から政府の指導下に置かれるようになる。そして一路、「国家政策の徹底」「戦意高揚の道具」へと突き進んでいきます。

  戦後再出発の試み

 -45年、日本の敗戦で放送はどう変わりましたか。

 松田 アメリカを中心とする占領軍は、ポツダム宣言にもとづき戦前からの言論・出版の弾圧法規を廃止し、日本の民主化を進めます。NHKの中からも民主化運動が起き、労働組合が結成されます。
 46年1月には、占領軍の指導のもとでNHK民主化のための放送委員会が発足、新生NHKの会長として経済学者の高野岩三郎(大原社会問題研究所所長)を選出します。
ところがアメリカの占領政策は47年ごろを境に民主化」から「反共へと転換、50年には労働分野を中心にレッドパージが行われ、こうして戦後の民主化に終止符が打たれるわけです。
 戦後の放送法制のもとになる電波3法(電波法、放送法、電波監理委員会設置法)のたどった運命も、時代に大きく翻弄(ほんろう)されます。というのは、電波3法には、新憲法と同様に戦後民主化の理念と戦前の教訓が込められ、放送の政府からの「独立」と民主主義のための放送という基本理念が貫かれていました。ところが吉田茂内閣が「日本の独立」と同時に、民間人が政府から独立して放送行政を行う「電波監理委員会」の制度を廃止してしまった点です。

 ―直接、放送行政を握ることで、次々と放送の「独立」や「自由」を空洞化していったわけですね。

 松田 放送法では第3条の「放送の自由」(権力の不介入)が大前提なのに、予算を人質にとってNHKの放送に注文をつけたり、安倍内閣のように経営委員の任命権を使って政府の息のかかった会長をNHKに送り込みました。また、放送法第4条の倫理規定(「不偏不党」「政治的公平」「意見が対立している問題についての多角的論点解明」など)を勝手に解釈して、放送の自由に圧力を加えたりしています
 そもそも第4条の精神は、放送が「言論・思想の自由市場」として十全に機能するよう政治の影響を排除し、言論の多様性を求めたもので、政府やその代理人の会長が、これを根拠に「放送の自由」を規制しようなどというのは本末転倒もいいところです。憲法や放送法の精神がまるでわかっていない

NHK籾井会長1年と放送90年・戦後70年_2

籾井氏は「代理人」

 ―25日は籾井会長就任1年です。戦後のNHK再出発から70年という時点で、籾井会長はどのような位置を占めていますか。

 松田 籾井会長の本質は、安倍政権によって組織的に送り込まれた政権の代理人です。しかも自民党の望むNHKの「国策放送局」化を積極的に推進する役割を担っている。NHKの歴史始まって以来のことです。
 安倍政権は第1次政権時代以来、NHK支配に強い意欲を持ち、安倍氏を取り巻く財界人グループ「四季の会」と図って、福地茂雄松本正之、籾井氏と3代にわたって「四季の会」とつながりのある財界出身会長をNHKトップに送り込んできた。だが、福地、松本両会長は放送面では自民党と一定の距離をとった
 そこで今度は、政権の期待を一身に担う形で籾井会長が担ぎ出されたわけです。籾井会長は就任会見で、およそ公共放送のトップにふさわしくない暴言をはいて物議をかもしましたが、“皆さまのNHK”を“安倍さまのNHK”に変えるべく送り込まれた人物が、不見識な発言しかできないのは当然です。

まず国民的議論を

 ―籾井会長は辞任を求める市民や退職者の声に耳を貸さずに居座り続けています。

 松田 政府からの自主・自律を生命とする公共放送のトップに、政府のヒモ付き会長が居座っていること自体が民主主義にとって大問題なのです。即刻、退陣願うこと、そして再び同じ轍(てつ)を繰り返さぬよう、経営委員や会長の選任システムを国民世論で変えていくことが必要です。イギリスのBBCのように、公募・推薦制によって公開・民主の原則のもとに言論・報道機関のトップに最適任の見識の持ち主を選ぶ仕組みを確立することです。放送行政を政府から切り離す独立放送規制機構(独立行政委員会を含む)の設置は、いまや世界の大勢です。政府が放送行政を握っている国は、日本やロシアぐらいです。まず国民的議論を起こさなければ…。NHKの中でも働く人たちが力を蓄え、市民運動が彼らを包み込みながら大きなうねりを作り出していくことが重要です

NHK籾井会長1年と放送90年・戦後70年_図表

世界の放送通信独立規制機関の現状