ウチナーンチュの誇りと尊厳( *`ω´)年の瀬に「沖縄」から学ぶ | 私にとって人間的なもので無縁なものはない

ウチナーンチュの誇りと尊厳( *`ω´)年の瀬に「沖縄」から学ぶ




沖縄・新段階の「島ぐるみ」闘争
流れは止まらない
(しんぶん赤旗)2014年12月20~25日
沖縄・新段階の「島ぐるみ」闘争_1上

 その場にいた人たちは、歴史の目撃者だと断言できるでしょう。
 2014年12月10日、沖縄県庁。「辺野古の埋め立てはさせない。こういう政策を掲げて本日、知事に就任しました」。―階ロビーを埋めた県庁職員を前に独特の早口で訴えたのは翁長雄志(おながたけし)新知事です。
 1996年のSACO沖縄に関する日米特別行動委員会)合意以来、県民を翻弄(ほんろう)してきた米軍普天間基地「移設」問題。「県外移
設」の公約を裏切って名護市辺野古の埋め立てを承認した仲井真弘多前知事を10万票の大差で破り、辺野古新基地阻止を「県政の柱」(翁長氏)にすえる知事が初めて誕生した瞬間です。

 基地撤去まで

 歴史的瞬間はこれで終わりませんでした。
 翁長氏は就任式が終わるやいなや、足早に県庁前広場へ向かいました。そこにいたのは、激戦の衆院沖縄一区をたたかっていた日本共産党の赤嶺政賢候補でした。翁長氏は志位和夫委員長らと並び、こう訴えました。
 「この一区で赤嶺候補を勝利させることが、10万票差の民意を政府に示すことになる」
 14日午後10時すぎ。待ち望んだ瞬間が訪れました。四つの小選挙区で、翁長知事を支える「オール沖縄」勢力が完勝したのです。4人の中で最後に当確が出た赤嶺氏は、こう語りました。「基地おしつけに怒っている県民が、私を勝たせた。辺野古の新基地計画を撤回させ、普天間基地を閉鎖・撤去させるその日まで、この流れは止まらないでしょう

 保守のエース

 沖縄は戦後、米軍占領期から最近まで半世紀以上にわたって、「基地容認」の「保守」と「基地反対」の「革新」との「白黒闘争」が繰り広げられてきたと、翁長氏は語っています。その背景には、沖縄の米軍基地維持をもくろむ日米両政府の分断政策がありました
 しかし、かつて自民党沖縄県連の幹事長も務め、「保守のエース」と言われた翁長氏が、「県民が心を一つにしよう」と、保守・革新を超えた「オール沖縄」の力に支えられて知事に。そして、翁長氏が那覇市長だった時代の「政敵」でもあった日本共産党の県委員長である赤嶺氏が、今度は翁長氏や、辺野古新基地反対を賁いて自民党を除名された保守系の那覇市議団・新風会などに支えられ、小選挙区を勝ち抜く-1年前、いや、1ヵ月前でも考えられなかった激動が起こっています
  ◇
 なぜ、このような団結が可能になったのでしょうか。
 米軍基地に翻弄されてきた沖縄の戦後史はいま、新たな段階を迎えつつあります。沖縄県知事選と総選挙が示した新時代を検証します。

沖縄・新段階の「島ぐるみ」闘争_1下

分断克服し「オール沖縄」

 翁長雄志氏が、「オール沖縄」の原点として、繰り返し言及する歴史的事件があります。195
6年の「島ぐるみ」闘争です。
 米政府は49年、在沖縄基地の「長期保有」を決定。50年代から銃剣とプルドーザによる土地の
収奪が進み、56年には軍用地の「一括払い」(事実上の買い上げ)を宣言した「プライス勧告」が出されました。
 「土地を守ろう」-。プライス勧告撤回を求める決起大会が沖縄の各地で開かれ、沖縄人民党(73年に日本共産党に合流)、沖縄社大党に加え、保守勢力である民主党(現・民主党とは別)も一丸となりました。「島ぐるみ」という言葉は、この中で生まれています。翁長氏は10日の就任式でも、「当時の保守・革新はみな、心を一つにして、自分たちの土地を売らないと団結して撤回させた」と力説しました。その中には、保守派の重鎮で真和志(まわし)市長(現・那覇市)だった父・助静(じょせい)氏の姿もありました。
 新崎盛暉(あらさきもりてる)・沖縄大名誉教授(沖縄現代史)は「あのたたかいは、必ずしも基地に反対するたたかいとして勝利したわけではなかったが、『島ぐるみ』で団結すれば強力な権力にも対抗できるという強い確信を残した」と指摘します。

 復帰勝ち取る

 「島ぐるみ」のたたかいは60年代の復帰闘争へつながり、「不可能」といわれた本土復帰を勝ち取りました。
 しかし、復帰後の沖縄は、軍用地代や公共事業によって恩恵を受ける者とそうでない者に分裂し、基地反対のたたかいも停滞気味になります
 「再ぴ『島ぐるみ』の機運が高まったのは、米兵による少女暴行事件(95年9月)だった」(新崎氏)
 その後、沖縄戦での集団自決を否定する歴史教科書の撤回を求める県民大会(2007年9月、11万人)、普天間基地の閉鎖・撤去と辺野古「移設」に反対する県民大会
(10年5月、9万人)、オスプレイ配備撤回を求める県民大会(12年9月、10万人)と、県内の全政党や自治体が参加する県民大会が繰り返され、いつしか「オール沖縄」という言葉が生まれました。
 昨年1月、翁長氏が先頭になって政府に提出した「建白杳」が、その集大成でした。
 これらの最大公約数は、
①県民の尊厳を傷つけたことに対する憤り
②これ以上の基地負担は容認できない
-という点です。翁長氏は知事選で、こうした思いを「ウチナーンチュ(沖縄県民)の誇りと尊厳」という言葉で表現しました。

 ″動きだした″

 いま、展開されている「オール沖縄」の運動と、これまでの「島ぐるみ」闘争との大きな違いは何か。新崎氏は二つの点を挙げます。
 「50年代の『島ぐるみ』闘争は、まだ政治的に未分化だった住民が基地に伴う利益誘導で分断され、終息した。しかし、今は『基地は沖縄経済の最大の障害物』という認識が広まり、利益誘導による分断を克服している
 翁長陣営には、これまで米軍基地の工事も誚け負ってきた建設大手・金秀グループの呉屋守将会長らも結集しています。県収入のうち基地関連は5%未満まで下がっています
 もう一つは、「選挙と現地闘争が結びついていた」ことだといいます。辺野古で18年にわたって続く非暴力の基地反対のたたかいが、やがて保守・革新を超えた団結の中心になりました。
 翁長氏は10月30日、知事選の「第一声」を辺野古のキャンプーシュワブゲート前であげ、総選挙で完勝した「オール沖縄」4氏も、ゲート前で座り込みを続ける住民に真っ先に勝利を報告しました
 11月16日、翁長氏が県知事選で圧勝した直後、こう語ったのが印象的でした。「県民の方が先に進んでいて、私たちを待っていてくれたと思っています。私たちがようやく県民にたどりつき、大きなパワーとなって、沖縄が動きだしました

沖縄・新段階の「島ぐるみ」闘争_2

18年前 火がともる

 沖縄知事選で翁長雄志氏が圧勝した11月16日午後8時すぎ。新基地建設の地元である名護市辺野古区で、ささやかな祝いの席を開く住民たちがいました。
 西川征夫(いくお)さん(70)は、1997年1月発足のヘリ基地建設阻止協議会(「命を守る会」、現在は「辺野古区民の会」)の代表として、約18年にわたり住民運動を続けてきた一人です。

 机たたき決意

 「これが原点です」
 そう言って西川さんが見せてくれたのは、色あせた一枚の写真(下)。「条件付き賛成」だった西川さんが「反対」に転じた出来事です。
 97年1月に同区で日本共産党沖縄県委員会と北部地区委員会が開いた住民との対話集会の写真です。
 西川さんが当初抱いていた「海上ヘリポートができる程度」という新基地のイメージは、ここで「軍港も伴う巨大な海兵隊基地」に一変。話を聞くうちに、多くの区民が「反対しよう」と机をたたいて意を固め、会の結成に至ったといいます。
 たたかいがはじまった瞬間でした。
 「保守も革新も関係なく、ダメなものはダメだ」。共産党との出会いをきっかけに、自民党国会議員の後援会長だった立場も捨て、西川さんは運動に身を投じてきました。
 以来、辺野古にともされた住民運動の火は全県に燃え広がり、「オール沖縄」代表の知事を生み出しました。
 西川さんはその意義をこう語ります。「長年の住民、市民、団体による非暴力運動が、保守系議員、経済界まで動かした。『オール沖縄』の環境づくりという意味では、県民一人ひとりの行動が沖縄の最高指揮官を誕生させた

 分断に抗して

 「オール沖縄」の流れは、長年分断を迫られてきた地元にも確かに押し寄せています。
 辺野古区の北に隣接する名護市二見以北地域では、当初、全10区が反対していたものの、政府による新基地と引きかえの「振興策」で分断されました。しかし、2010年の稲嶺名護市政の誕生をきっかけに、住民らは再び声をあげはじめます。今年4月には「新基地つくらせない二見以北住民の会」を立ち上げています。
 同会役員も務める添間区の新名善治区長は決意を新たにします。「翁長知事が公約を全うするには県民大多数の支援が不可欠。日米両政府に衝撃を与えるくらいの声をあげ続けたい
 西川さんの夢は、分断を乗り越え、住民運動の歴史を区の公民館で展示すること。「みんな生活基盤や利益をかけてやっている。誰がいい、悪いじゃない。分かってくれる日は必ず来る

沖縄・新段階の「島ぐるみ」闘争_3
 
 基地が成長を阻む

 「米軍基地が沖縄経済発展の最大の阻害要因であることは明確です」一12日、開会した沖縄県議会。翁長雄志知事は所信表明でこう断言しました。「保守」の立場を堅持しつつ、「基地はいらない」と訴える翁長氏の主張は、少なからぬ衝撃を与えています。

 経済効果高い

  「驚くことではない。安全保障上の応分の負担は甘受するが、基地はない方がいい、跡地利用した方が、経済効果が高いという認識は前県政から共有されていました」
 こう語るのは、沖縄国際大の富川盛武前学長です。富川氏は仲井真前県政のアドバイザーとして、2030年までの県政の指針であ
る「沖縄21世紀ビジョン」を具体化した1人。ただ、昨年末、仲井真氏が辺野古の埋め立てを承認したのを契機に、たもとを分かったといいます。
 富川氏によれば、同ピジョンは、「基地はない方がいい」という認識を前提に取りまとめられたといいます。
 終戦後の沖縄県民は、地上戦による産業の破壊と、米軍基地の拡張による農地の強奪により、基地関連の需要で生計を立てる以外にありませんでした。富川氏が作成した統計によれば、1957年の基地依存率は56・8%に達していました。
 しかし、この比率は徐々に低下。96年以降は一貫して5%前後で推移しています。
 一方、観光産業は本土復帰以後、大きな飛躍をとげ、軍関係収入約2000億円に対し、観光収入は約4500億円に達しています(最新の県統計)。
 富川氏は言います。「那覇新都心や北谷町のハンビータウン美浜地区といった、基地の跡地利用で成功した事例はいくつもある。加えて、日本経済が低迷する中、沖縄だけが成長を続けており、これに着目した外資の進出も強まっています

 ソフトパワー

 海外資本やアジアの富裕層は、沖縄の何に引きつけられるのか。富川氏は、アジア地域に近い地政学的な優位性に加え、「沖縄固有の自然、伝統、文化といったソフトパワー」だといいます。
 沖縄本島北部には自然が多く残されており、それ自体の価値が高まる可能性が出ています。その北部地域に属する辺野古の海を埋め立て、米軍新基地をつくるのは、「あまりに時代錯誤的」だと批判します。
 「政府は沖縄に関して、安全保障上の必要性から議論を始めます。しかし、沖縄県民にはこう生きたい、という別の思いがある。そのことが、今回の県知事選と総選挙で明確に示されたと思います

沖縄・新段階の「島ぐるみ」闘争_4

誇り貫く真の「保守」

 「保革を乗り越え、県民の心を一つに新辺野古基地は造らせない。私のこの政治姿勢の原点が仲里さんです」
 知事の就任準備に追われる翁長雄志氏は総選挙公示日の2日朝、一人の保守政治家の出発式でマイクを握っていました。沖縄4区から「オール沖縄」の共同候補として無所属での出馬が急きよ決まった仲里利信氏(77)の応援です。
 相手は現職の総務副大臣で、自民党沖縄県遽前会長の西銘恒三郎氏。仲里氏自身も県議会議長や自民党県連顧問、西銘氏の後援会長まで務めていた保守の重鎮でありながら、辺野古新基地容認に転じた西銘氏の公約裏切りで、昨年、西銘氏と決別していました。

 保守対保守に

 保守政治家同士の一騎打ちとなった沖縄4区は、保守の激変と「オール沖縄」の流れを象徴する選挙区として全国的な注目の的に。仲里氏は西銘氏を「保守を
名乗る資格がない政権の使い走り」と批判、自らを政府に対して言うべきことは言う「沖縄の保守」と位置づけ、5000票以上の差で”師弟対決”を制しました。
 そんな仲里氏が「オール沖縄」の原点とみるのが、2007年に開かれた教科書検定意見撤回を求める県民大会です。沖縄戦の「集団自決」の記述から日本軍の強制を削除した政府に、復帰後最大といわれる11万6000人が怒りの声をあげました。
 仲里氏は実行委員長を務め、保守・革新を超えた大会の実現に尽力。その後、10年の普天間基地の「県内移設」反対県民大会、12年のオスプレイ反対県民大会などを通し、保革の距離は縮まっていきます。

 戦争ノーの心

 仲里氏は、時々のテーマは違っても、「オール沖縄」の流れの根底に、基地のない平和な沖縄を求める県民の心があると指摘します。自らも悲惨を極めた沖縄戦の体験者。地上戦が始まった8歳の時、疎開先で家族とはぐれ山中を3、4日さまよいました。再び家族と合流したとき、背中におんぶしていた幼い弟は栄養失調で亡くなっていました。
 「戦争につながるものは一切ノーだ」。仲里氏は自民党時代から憲法9条の「絶対死守」も主張してき
ました。
  「オール沖縄」に加わる「沖縄の保守」の流れは、自民党を除名された那覇市議会「新風会」や名護市議会「市民の響」など地方議会の会派でも生きています。
 公約を守り、自らの誇りと良心を賁く「沖縄の保守」。仲里氏は語ります。「住民福祉の向上という究極の基点に立てば、共産党もわれわれもそんなに違いはない

沖縄・新段階の「島ぐるみ」闘争_5

移設探しは不要

 「日米安保体制の必要性は理解しているが、戦後約70年を経た現在もなお、国土面積のO・6%である本県に74倨の米軍専用施設が存在する状況は異常としか言いようがない」12日、県議会本会議での所信表明)
 翁長雄志知事はこう訴え、沖縄の過重な基地負担を告発しています。その上で、米海兵隊普天間基地(宜野湾市)問題については、「普天間の危険性除去」を口実に辺野古「移設」を推進してきた仲井真弘多前知事をこう批判してきました。
 「県民の土地を囲い込んで建設された基地を動かすのに、どうして沖縄県が移設先を探す必要があるのか
 基地推進派は今なお、「移設先を探さないのは無責任」と非難を繰り返して
います。これに対して、米軍基地問題に詳しい林博史・関東学院大教授は「翁長氏の主張は正当なものだ」と指摘します。

 説明無き集中

  「米国の主要同盟国の国土全体に置かれているより、はるかに巨大な基地群が沖縄に集中している。しかも、その理由をだれも説得的に説明していない。安保条約の廃棄以前に、この現状を早急に解決するのは当然です
 実際、米国防総省の「基地構造報告」を見でも、在沖縄基地の資産価値・面積は、日本・ドイツに次いで多くの米軍基地を抱える韓国をはるかに上回っていま
す。(表)
 林氏は「米国は1950年代以降、多くの海外基地を返還していますが、基地の受け入れ国が代替基地を探すなどという事例はありません。米国が自らの責任で考えるのが当然です」と述べます。

 抑止力囗実に

 在沖縄米軍基地のうち、面積・人員ともに6割以上を占めているのが海兵隊です。海兵隊は海外で唯一の恒久基地である沖縄を維持しようともくろみ、日本政府も「抑止力」という口実で海兵隊にしがみついています
 同時に、海兵隊はオバマ政権の「戦略的リバランス(再配置)」に伴い、グアムや(ワイ、豪州への兵力
の分散を計画し、部隊配置の柔軟性を目指しています。林氏はこう指摘します。
 「これまで基地があったから使っている、あるいは日本の思いやり予算があるから、という以外に基地を置く理由は見当たらない。日本政府が沖縄県民の民意を受け止め、米国と交渉すれば、少なくとも海兵隊の撤退はすぐにでも可能です

沖縄・新段階の「島ぐるみ」闘争_6

沖縄県民が決める

 今年1月の名護市長選、11月の沖縄県知事選、そして今月の総選挙。1年間のたたかいを通じて沖縄県民が求め続けてきたもの、それは「沖縄のことは沖縄が決める」という、自己決定権でした。

 「植民地征服」

 沖縄の苦難は、1945年4月、軍国主義政府によって「本土防衛」の捨て石にされ、せい惨な地上戦の舞台となったことから始まりました。
 戦後は米軍の支配下に置かれ、住民が12力所の収容所に置かれている間に無数の基地が建設されます。50年代以降、米占領軍は一方的な「布令」で、さらなる住民の土地を強奪しました。
 米陸軍琉球軍司令部作成の54年H月1日付の秘密文章は。こうした土地強奪を「征服の権利」だと断言しています。沖縄は、住民の意思が反映する余地などない、植民地そのものでした。
 これをはね返し、72年5月に本土復帰を果たした力の源泉が、県民の「島ぐるみ」のだたかいでした。
 しかし、「沖縄の施政権は返還しても、基地は返さない」。これが米当局の大方針でした。復帰後も広大な基地が残され、世界各地の侵略戦争・軍事介入への自由出撃摧が保証されまし
た。
 さらに復帰後は、日本政府が米軍用地特措法で土地の強制使用を担保し、地代や公共事業、基地と引き換えの「沖縄振興策」といった「アメとムチ」政策で県民を分断し、基地を維持してきました。
 このような日米「共犯」の沖縄支配は、辺野古に新基地を造らせないという18年間のだたかいを通じて揺らぎつつあります。

  民意尊重必要

 「わが国が世界に冠たる民主主義国家であることを示してほしい」。翁長雄志(おなか・たけし)知事は16日の県議会でこう述べ、県民の民意を尊重するよう求めました。
 米国からも同様の声が出ています。「沖縄の人々が辺野古への移設を…支持しないなら我々は再考しなければならない」(ジョセフーナイ元米国防次官補、「朝日」8日付)
 「民主主義国家であれば、同盟関係を国内の民主主義より優先させてはならない。民意を踏みつぶすのではなく、日米の政治に反映させることが必要だ」(沖縄返還交渉の米側担当者だったハルペリン元国防次官補代理)
 翁長知事は24日から上京して民意を伝えます。安倍晋三首相が「民主主義国家の首相」としての資格を持っているのか、問われることになります。(おわり)
(この連載は池田晋、竹下岳が胆当しました)



沖縄完全勝利の不変的意義
日本政治に地殻変動の兆し
文化 学問(しんぶん赤旗)2014年12月22日

沖縄完全勝利の不変的意義

小林 武

 第47回総選挙は、仕組まれたとおりの自公政権維持とともに、共産党の躍進と沖縄における自民の完敗をもたらした。沖縄県民の完勝には、もとよりこの地の格別の要因があるが、それは沖縄限りの特殊な現象ではなく、日本政治全体の地殻変動の兆しなのではあるまいか。「圧勝」とされる安倍政治の本質にある脆弱さを、沖縄が明るみに出したのである。
 まずは改憲発議を可能にする3分の2超の議席をひきつづき壊憲諸党が占める結果となった。小選挙区で自民は75勞の議席を占有したが。得票率は48%。今回投票率は53%弱であったから絶対得票率では25%に過ぎず、虚構の多数である。また解散そのものが、散権の主体を内閣と定める憲法(59条、7条3号)に反して内閣総理大臣の専権によってなされ、しかもアベ
ノミクス解散なるものは正当な憲法上の理由をもたないものであった。
 これに抗して、沖縄では、四つの選挙区ともすべて、辺野古新基地建設で県民への公約を翻した自民現職に、新基地を許さない「オール沖縄」の共同候補が対峙し、ことごとく打ち破った。人々は、感激の力チャーシーを舞った。首相たちは、11月の沖縄知事選から、最も肝心なこと、つまり県民の人としての誇りの強さを学ぶことができないまま、高をくくって総選挙に臨んでいたのである

 国政レベルに上昇

 この二つの選挙の結果は相似形をなしている。知事選で卦態廓ふ氏はヽ現職に10万、他の2人を加えた合計票に2万の差をつけ、得票串は51%であった。総選挙の「オール沖縄」4氏の合計は、自民4現職に7万、―区の維新票を加えても4万の差があり、得票率は53勞。市町村別でも、知事選・総選挙とも、41自治体のうち26を制した。どの指標をとっても勝利は明確である。総選挙での県民の審判は翁長勝利の真価をより高めるものとなった。この流れは、辺野古建設を撤回させ、普天間を撤去させるまでとどまるものではない
 翁長新知事の立ち位置は「沖縄保守」である。中央の自民から自立して、沖縄のためには革新との団結をいとわない保守をいう。それは、沖縄の人々の長い年月にわたる苦難の共同体験をとおして培われてきた政治姿勢である。そこから発せられる「イデオロギーよりアイデンティティー」、「誇りある豊かさ」という呼びかけが人々を捉え、その結束が、ついに国政選挙のレベルにまで上昇したのである

 共産党躍進に表れ

 「オール沖縄」は、憲法改悪阻止や日米安保の終了それ自体を軸としたものではない。普天間基地の閉鎖・撤去とオスプレイ配備撤回で41市町村の全首長・議会議長等が大同団結した2013年の「建白書」を共同綱領として成り立った、可及的に幅広い運動体である。その本質を問うなら、今日、立憲デモクラシー」(立憲民主主義)を掲げて全国で進められている運動と共通するものがある国家の権力行使は憲法の拘束の下でのみなされるべきだとする原理が立憲主義であるが、これを一顧だにしない安倍政権の憲法破壊を阻止しようという一点で、人々は緩やかな戦線をつくっている。そこでも、改憲や安保への賛否はひとまず脇に置き、改憲論者も加わって、憲法無視の暴走政治に対峙しているのである
 この立憲民主主義の共同が、沖縄では見事に具体的な形で実り、統一戦線結成に向かう萌芽も見られた。
 「沖縄のたたかいが日本を救う」とは、翁長氏を支えた沖縄経済人のことぱであるが、たしかに、沖縄の前進の姿には普遍的な意饋がみとめられる。それは、日本全体の政治における地殻変動の端緒であって、県民意思を国民総意に高める展望をもつことができよう。共産党の顕著な躍進は、その全国規模での証しのひとつである、と考える
 同時に、右翼的国家改造をためらいもなくやりおおせてしまう人物が引き続き首相になる。その政権は、暗黒への道を国民に歩ませようとするであろう。これに抗して、オール沖縄の結い、立憲民主主義の共同を強めることこそ光明へと向う道である、と信じる


沖縄を返せ

http://youtu.be/kmigP1jacbY

「がんばろう」

http://youtu.be/enb15Bzyt3o

「ワルシャワ労働者の歌」

http://youtu.be/qtslGbYKMoQ


14こう吐く歌合戦