小出裕章先生:ツケを払わせられるのが私達、電気の消費者ということになります | 私にとって人間的なもので無縁なものはない

小出裕章先生:ツケを払わせられるのが私達、電気の消費者ということになります



竹島、従軍慰安婦...大モメ日韓、ちょっと頭冷やしませんか?
(ラジオフォーラム#60)

http://youtu.be/0EC5hLGdZqk?t=14m49s
小出裕章ジャーナル
14分49秒~ 小出裕章ジャーナル/
アメリカの原発事情について

アメリカの原発事情について「100基を超えて確かに米国は原子力発電所を作りましたけれども、次々と廃炉になっていくという時代になりました」
~第60回小出裕章ジャーナル


石丸:
今日のテーマはアメリカの原発事情です。日本は今、原発稼働を0の状態が続いておりますね。

小出さん:
そうですね。嬉しいです。

石丸:
しかしながら、再稼働に向けた動きも着々と安倍政権進めています。一方でアメリカなんですけれども、アメリカが実は原発を縮小の方向にあるということですね。

小出さん:
そうです。

石丸:
これは2011年以降なんですけれども、11年以降4か所5基の原子力発電所の閉鎖が決まっています。この流れはどういうふうに理解したらいいんでしょうか?

小出さん:
原子力というものに世界中が夢をかけた時代がありました。1960年代ぐらいからですけれども、それを牽引してきたのはもちろん米国です。
世界の原子力発電設備容量の推移

で、60年代から70年代にかけて、猛烈な勢いで原子力発電所を運転開始させましたし、たくさんの原子力発電所を建設もしようとしましたし、またさらに、もっと多くの原子力発電所を計画するという時代が米国でも続きました。
米国の原子力発電設備容量と設備利用率60~08

しかし、運転中と建設中と計画中の原子力発電所の数を合わせた合計の数が一番多かったのは1974年なのです。すでに、40年も前なのですが、それ以降は建設中のものはほとんど全てキャンセルされ、計画書のものですね。
米国 発電炉の運転開始・閉鎖・申請基数55~08

で、建設中のものも9割以上建設が終わっていたものすらキャンセルされてしまって、どんどんどんどん原子力から撤退を始めるという時代が、実はもう米国では40年前から始まっていた。
米国における電源別発電電力量1950年~2008年

で、79年に米国のスリーマイル島原子力発電所という所で、また大きな事故が起きてしまいまして、米国はもう決定的に原子力から撤退するという、そういう道にすでに入っていたのです。

ですから、100基を超えて確かに米国は原子力発電所を作りましたけれども、すでに何十年にも渡って全く増えませんし、これからは次々と廃炉になっていくという、そういう時代になりました。

石丸:
なぜ、その先頭ランナーのアメリカが撤退に向かってるんでしょうか?

小出さん:
はい、様々な理由がありますけれども、もちろん私自身も原子力に夢をかけました。
ぼくも原発に反対です 手塚治虫
原子力というのは、未来のエネルギー源で無尽蔵に資源があるという宣伝もありましたし、経済性がもの凄い、値段がつけられないぐらい安い電気を発電できるというような宣伝もありましたし、原子力発電所だけは絶対に事故を起こさないというような宣伝もありました。
東京新聞19551231

しかし、それら全てがウソだということが分かったわけです。原子力の資源は誠に貧弱だし、経済的にも採算が合わない。そして、安全でもないということが次々と明らかになってきてしまったがために、米国は原子力から撤退するということになったわけです
エネルギー資源の可採年数

で、もう一つ重要なことは、「原子力」と日本で呼んでいるものは基本的に「核」と呼んでる、日本で「核」と呼んでるものと同じもので、原子力を世界中に広めてしまうと、核兵器の拡散を防ぐことができなくなるということに米国は気がついたわけで。
世界の非核兵器地帯と核拡散の現状(2001年)

いわゆる再処理というですね、原子力発電所の使用済み燃料の中からプルトニウムという物質を取り出して、それをまた燃料に使おうという計画もあったのですが、そんなことをすると、到底、核拡散を防げないということで、それも、もう70年代の末にカーター大統領は「放棄する」という決定をしているのです。
米国における核燃料サイクルの概要
米国の余剰プルトニウム処分計画概念図
米国新政権における核不拡散政策

もう、そうなると原子力に何のメリットもないということで、どんどんどんどん来たわけですし、最近になると米国では、いわゆるシェールガスというのが大量に出るということが分かりまして、もう原子力なんてやる意味が全くなくなってしまったわけです。

小出裕章ジャーナル

石丸:
これは、その、アメリカに…やはり特殊なことなんでしょうか?つまり、このシェールガスが大量にあって、開発が進むから、というアメリカだけの特殊な事情だって考えた方がいいんでしょうか?

小出さん:
はい、まあ、あのシェールガスというのは、たぶん地球上あっちこっちで出ると思いますし、現在は米国とカナダがシェールガスを大量に掘り始めたという段階なのです。
米国における天然ガス生産量の推移
たぶん、あの、他の国でもこれから開発ということをすればシェールガスが出る所はあると思いますので、そういうところではやはり原子力という選択は、ますます無くなっていくだろうと思います。
シェールガスの推定資源量
日本がどうなのかというのはちょっとよく分かりませんが、まあ日本は海洋国家であって、たぶんメタンハイドレードが大量にあるはずです。
石丸:
海の底にあるガスですね。

小出さん:
はい。そういうものが利用できるようになれば、原子力からの撤退が日本でも加速するだろうと思いますが、今の段階でちょっとそれを見通すことはできません。

石丸:
なるほど。もう一つ、これ調べてて出てきたのがですね、アメリカの原子力発電・核発電というものは「ワンスルー方式」だと。

つまり、ウラン燃料を燃やして、それで核のゴミが出ますけれど、それの処理をしていないということなんですが、この「ワンスルー方式」もうちょっと説明をしていただけませんでしょうか?

小出さん:
はい。普通の原子力発電所っていうのは、ウランを核分裂させて発生するエネルギーで発電するという、そういうシステムなんですね。
放射性廃棄物の種類とその主な発生源
放射性廃棄物の濃度区分及び処分方法
ただ、そのウランを一方的に核分裂させてしまいますと、すぐにウラン資源が無くなってしまうということが分かりまして、それなら原子炉を運転するとプルトニウムという物質、長崎に落とされた原爆の材料ですけれども。

それが原子炉の中に溜まってくるので、それを取り出して、それもまた燃料にしようという計画ができたのです。それを日本では「核燃料サイクル」と呼んでるものです。
核燃料サイクルの概要
ただし、今聞いていただいたように、プルトニウムというものは長崎原爆の材料になった物質ですので、そんなものを燃料にしようと思うと、いわゆる核拡散。原爆を製造するという材料が世界中に出回ってしまうようなことになって、これは到底容認できないということで、先ほども聞いいただいたようにカーター大統領が1970年代の末に、「もうプルトニウムは取り出すことはダメだ」と。

もう原子力の燃料が少ないなら少なくてもいいから、とにかくそのウランを核分裂させるという段階でもうやめる」という判断をしたのです。

そのため米国は、自国内でも商業用の再処理は行わないということに決定しましたし、世界中を他の国にも再処理はやらせないということで規制をかけようとしてきたのです。
ワンスルーと再処理

石丸:
なるほど。このプルトニウムを取り出して再処理をして、それをまた燃料に使う。いわゆる核燃料サイクルですけれども、これはこれで非常にやっぱりコスト、お金がかかるわけですよね?

小出さん:
猛烈にかかります。

石丸:
で、それを日本はやってやろうとしている。やろうとしてきたわけですけれども。

小出さん:
そうです。まともに、でもまだ日本では核燃料サイクルなんてものは動いていないわけで、六ヶ所村に再処理工場というのを作ろうとしてきました。
六ヶ所再処理工場
もともとの計画では、1997年に運転開始するはずだったのですけれども、一向に動きませんで、17年経った今でもまだ動かないという、そういう金食い虫なのですね
六ヶ所再処理工場のコストは11兆円
それをこれからもし運転しようとするなら、もっともっとお金がかかってしまって、電気代に一体いくら上乗せしなければ(いいのか)実は分からないっていう、そんなところまできてしまっているのです。
六ヶ所再処理工場の工程と危険性
ですから、私としては「もう、さっさと核燃料サイクルを撤退すればいい」と思いますけれども、日本でこれまで原子力、あるいは核燃料サイクルというものをやってきた人達は、「とにかく核開発をしたい」「プルトニウムをとにかく取り出す」という技術を懐に入れたいと思ってきたわけですから、採算を度外視してでも何としても再処理工場を動かしたいのです。
日本は原発推進の米国の代理人
まあ、そのツケを払わせられるのが私達、電気の消費者ということになります

石丸:
なるほど。核開発・原子力発電の先頭走者であったアメリカが、実は原子力発電からどんどんどんどん撤退の方向にあるということですね。

小出さん:
そうです。はい。

石丸:
今日は小出さん、ありがとうございました。

小出さん:
いえ、ありがとうございました。


原発撤退が相次ぐアメリカ なぜ簡単に原発からの撤退を決められるのか
(The Huffington Post)
http://www.huffingtonpost.jp/2013/08/28/shalegas_n_3833721.html

コスト高から原発撤退が相次ぐ米国。簡単に原発からの撤退を決められるのはナゼ?

米国で原子力発電からの撤退が相次いでいる。理由は安全性への懸念ではなくコスト。シェールガス革命の影響で原発の発電コストの高さが際立つようになってきた。また米国は日本と異なり、核燃料サイクルを構築しないシンプルなワンスルー方式を採用している。放射性廃棄物の再処理問題がなく、原子力産業が身軽という点も大きく影響している。また電力が自由化されており、電力会社が地域独占ではない点も、意思決定のスピードを速くしている。

米電力会社エンタジーは8月27日バーモント州のヤンキー原発を閉鎖すると発表した。閉鎖の理由は原発の発電コスト。

米国では安価なシェールガスの開発が進んでおり、近い将来エネルギーのほとんどを国内の石油や天然ガスで賄うことが可能とみられている。米国ではエネルギー価格の下落が進んでおり、試算方法にもよるが原発のコストは天然ガスの2倍近くにもなっている。

今年に入って米国ではヤンキー原発以外にも3つの原発が閉鎖を決定している。7月には米国の原子力発電事業に進出していたフランス電力公社が、原発の採算が合わなくなっていることを理由に米国市場からの撤退を決めた。

米国の電力会社がコストが高くなったからといって容易に原発から撤退できるのは、米国がワンスルー方式と呼ばれるシンプルな原子力政策を採用している点が大きい。

日本やフランスは、原発の使用済み燃料を再処理し、その中からプルトニウムを抽出、再度原発で燃料として使用する「核燃料サイクル」の構築を目指している。このため、核燃料の再処理工場や高速増殖炉など、様々な付帯設備を開発する必要がある。

だがプルトニウムの取り扱いや高速増殖炉の運転には危険が伴うため、商業ベースに乗せるためには相当の技術開発を重ねる必要がある。現在、日本では青森県六ヶ所村に再処理施設を建設中だが相次ぐトラブルで操業開始が延期となっているほか、高速増殖炉もんじゅは運転を停止したままとなっている。再処理後に出てくる高レベル放射性廃棄物の最終処分場もまだ決まっていない。

これらの開発には何兆円もの国費が投入されており、簡単には撤退できない状況に追い込まれている。日本の原子力業界が何としても再稼働を急ぎたい背景にはこのような事情もある。

一方、米国はウランを原子炉で燃やした後は再処理せず、そのまま廃棄するワンスルー方式を採用している。危険な核燃料サイクル施設を建設する必要がなく、コストも安い。原発からの撤退は、単純に発電所の採算だけを考えればよいため、意思決定が容易だ。

米国における原子力開発に対する考え方はシンプルだ。核戦略上、原子力開発そのものは必須と考えており、この分野からの撤退はまったく考えていない。だが商用ベースの発電所については、民間ベースで純粋に経済合理性だけで判断すればよいというものである。

だが日本の場合、原子力開発については、建前上、核開発の技術蓄積のためとは公言できない事情があった。このためあくまで商業用原発を普及させることが主目的とされた。さらに原子力開発が推進された当時、エネルギーのほとんどを石油の輸入に依存していることについて、かなりの危機感があった。このため何が何でも核燃料サイクルを確立しなければならないという雰囲気が強く、米国ようなシンプルな方式はあまり検討されなかった。

原発問題には、安全保障(核戦略)、エネルギー自給、コスト、危険性という4つのファクターが存在しており、その他の発電技術とは大きく異なっている。原子力開発の是非について議論するためには、この4つのファクターのどれも欠かすことはできない。日本の原子力開発が迷走しているのは、この4つについて真正面から議論してこなかったツケといえるだろう。


原発の源流と日米関係
(1)“ラッキードラゴン”の衝撃/米が「広島に原発を」
~(6)核燃料サイクル計画/日本は施設の実験場
(しんぶん赤旗)
http://www.jcp.or.jp/akahata/html/senden/2011_genpatsu/index.html


日米原子力同盟史Ⅰ(共同通信)
http://www.47news.jp/hondana/nuclear/article/article018.html

日米原子力同盟史Ⅱ(共同通信)
http://www.47news.jp/hondana/nuclear/article/article019.html

日米原子力同盟史Ⅲ(共同通信)
http://www.47news.jp/hondana/nuclear/article/article020.html


原発と原爆 日本の原子力とアメリカの影(1)


原発と原爆 日本の原子力とアメリカの影(2)


テレビ朝日・ザスクープスペシャル 2013.8.11.

戦後、脈々と続いてきた原発開発と核兵器との密接な関係。
1957年、東海村で原子の火が灯って以来、消えることのない“アメリカの影”。
福島原発事故で図らずも露呈した、原子力をめぐる知られざる日米関係を検証する。


エネルギー基本計画とプルトニウムの返還を求めるアメリカの真意

http://youtu.be/N640rgJbYzw
ニュース・コメンタリー (2014年03月01日)
エネルギー基本計画とプルトニウムの返還を求めるアメリカの真意
 安倍政権はオバマ政権の求めに応じる形で、冷戦時代に米国から研究用として提供されていた高濃度プルトニウムを、米国に返還する方向で調整に入ったというが、日米関係の歴史的な文脈の中で、このことの持つ意味を過小評価すべきではないだろう。
 このプルトニウムは冷戦時代に米国から研究用に提供を受けていたもので、茨城県東海村にある高速増殖炉の実験施設で使われていた。これは原子爆弾への転用が可能な純度の高いプルトニウムで、日米間の原子力をめぐる協力関係の証としての象徴的な意味を持つとされていた。
 今回米オバマ政権が日本に対して研究用に提供していた約300キロのプルトニウムの返還を求めた背景としては、公式には核廃絶を目指すことを宣言しノーベル賞まで受賞したオバマ大統領が、テロ防止の観点から兵器転用可能な核物質量の最小化を提唱してきた一環と説明されている。日本以外の同盟国に対しても、提供したプルトニウムの返還を求めているという。
 しかし、第二次世界大戦の敗戦国であり、核兵器を保有しない日本が現在、原発から出る使用済み核燃料に含まれるプルトニウムを保有することが許されている理由は、ひとえにアメリカの後ろ盾があってのことだ。アメリカが研究用に提供している爆弾への転用可能な純度の高いプルトニウムには、そのような日米間の原子力協力関係の象徴的な意味があると受け止められてきたこともまた事実なのだ。
 今回の研究用の300キロとは別に、日本が原発から出る使用済み核燃料に含まれるプルトニウムを既に45トンも保有している有数のプルトニウム保有大国であることについては、テロ防止の観点と同時に、尖閣・竹島の領土問題や安倍首相の靖国参拝で不安定化する中韓両国との緊張関係を背景に、不安視する向きが根強くある。第二次世界大戦から70年が経った今も、日本が再び核武装し軍事大国化することを危惧する声が完全に収まったわけではない。それ故に、IAEAは今日に至っても、日本に対して厳しい核査察を行っているという現実がある。
 更に政府が原案を公表したエネルギー基本計画に、六カ所村の再処理工場の稼働を進める計画が含まれていたこととも、今回との関連では見逃せない。この工場は表向きは原発の使用済み核燃料を再び燃料に加工して利用する「核燃料サイクル」のために必要な施設とされている。しかし、実際にこの施設が稼働すれば日本は毎年9トンの爆弾に転用可能なプルトニウムの製造が可能になるという。
 日本政府は1960~70年代を通じて、国際社会、とりわけアメリカの度重なる要請にもかかわらず、核不拡散条約の批准を先延ばしにしてきた。それは核不拡散条約が、その段階で核兵器を保有していない国には一切核の保有を認めないものだったからだ。その当時から、日本にとって核オプションは現実的な選択肢だったのだ。
 最終的にはアメリカが後ろ盾となって日本の原発開発とその結果生じるプルトニウムの保有を認めることを条件に、日本は核不拡散条約を批准したとされる。そして、今回返還されることになる研究用のプルトニウムは、そうした日米両国の原子力分野の歴史的な協力関係を象徴する意味を持つものと受け止められてきた面がある。
 また、アメリカがこれまで同様の特権を韓国に対しては認めてこなかったことも念頭に置く必要がある。日本はたびたびアメリカのポチなどと揶揄されてきたが、少なくともこれまでは日本がアメリカから特別扱いを受け、アメリカの後ろ盾があったからこそ、国際社会も核に関する日本の特別扱いを容認してきた。そのような側面があったことは否めないのだ。
 日本がアメリカに対して、日米原子力協定の象徴とも言うべきプルトニウムを返還することの意味することについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。



荻上チキSS22「﨑山記者の福島第一原発の実態、取材報告」2014.02.27

http://youtu.be/vYaV7AvXwL0
2014年02月27日(木)荻上チキSession22

■テーマ 
原発ニュース・スペシャル
  
崎山記者が見た廃炉作業中の福島第一原発の実態

■スタジオゲスト

セッション原発担当・TBSラジオ 﨑山敏也記者

東京電力・福島第1原発・小野明所長 発言全文書き起こし
http://www.tbsradio.jp/ss954/2014/02/post-260.html

1・2号機中央制御室
1・2号機中央制御室


【福島第1原発の現状】 暗闇の中央制御室再現 東電、事故3年で公開
(共同通信)
http://www.47news.jp/47topics/e/250903.php

福島第1原発事故発生時の最前線となった1、2号機の中央制御室=2月26日、福島県大熊町(代表撮影

 東京電力は2月26日、福島第1原発事故から間もなく3年を迎えるのを前に、事故発生当時の事故対応の最前線となった1、2号機の中央制御室を報道機関に公開した。この日の公開では制御室内の照明を落とし、全電源を喪失した当時の状況を再現した。
 制御室は原子炉やタービンなどの運転をコントロールする部屋。1、2号機の原子炉建屋の間の建物内にあり、一つの制御室で両方の原子炉を監視、制御する。現在は無人で、原子炉への注水の管理や、温度の監視は免震重要棟で行っている。
 1、2号機は2011年3月11日の東日本大震災の津波で全ての電源を失い、制御室での機器操作や監視ができなくなった上、照明も落ちた。事故の進展に伴い室内の放射線量が上昇し、運転員たちは全面マスクを着用。格納容器から蒸気を放出するベントなどの作業に当たった。
 公開された制御室内は、事故当時に使ったホワイトボードや机、散乱していたメモなどが片付けられ閑散としていた。1号機の制御盤にある原子炉水位計の横には、運転員が当時、水位と時間を書き取った痕跡が残っていた。
 制御室には窓がなく、当時を再現するため天井の照明が消されると真っ暗になった。東電の担当者がペンライトで制御盤を照らし、直径30センチほどの範囲がようやく読み取れる状況だった。事故発生翌日の未明には室内で毎時千マイクロシーベルトほどの放射線量が計測されたが、26日の公開時は最高で毎時9マイクロシーベルトだった。
 東電は、5号機原子炉建屋地下の圧力抑制室周辺や、地上タンクの建設現場なども公開した。
 公開後、第1原発の 小野明 (おの・あきら) 所長は、タンクの高濃度汚染水漏れや、4号機使用済み核燃料プールの冷却停止など相次ぐトラブルについて謝罪し「事前の準備が十分できていなかった。しっかりやりたい」と述べた。

■制御盤に残る苦闘の跡 最前線だった中央制御室


福島第1原発1、2号機の中央制御室。制御盤には事故当時の原子炉水位と時間が手書きで記されていた(左)=2月26日、福島県大熊町(代表撮影)

 東京電力福島第1原発1、2号機の中央制御室は3年前、全電源喪失と炉心溶融による放射線量上昇の中、運転員たちが必死に対応した“最前線”だった。1号機の制御盤には、刻々と変わる原子炉水位を運転員が水位計の脇に直接書き込んでいった痕跡が残り、当時の苦闘を物語っていた。
 制御室に向かうための入り口となるサービス建屋1階を入ると、事故後に敷設されたケーブルやがれきが目に入った。サービス建屋1階は海抜10メートルで津波に直撃された場所だ。
 ケーブルをまたぎながら2階に上がり、狭い廊下を抜けると教室2~3個分ほどの広さの1、2号機制御室に出た。
 「16時50分マイナス120センチ」「16時55分マイナス130センチ」。1号機の制御盤には事故直後、かろうじて読み取れた原子炉水位計の数値を記録しようと、運転員が制御盤に直に書き込んだ生々しい跡が残る。
 当直責任者の座っていた席は残っており、免震重要棟の対策本部とやりとりしたホットライン(専用電話)が今も卓上にあった。
 2011年3月11日の地震発生時、1、2号機の制御室には当直の運転員14人がおり、原子炉スクラム(緊急停止)の確認や非常用冷却装置の操作をした。応援の運転員も含め、多い時は数十人が詰めた。
 津波でタービン建屋地下の非常用ディーゼル発電機が浸水し、1、2号機は電源を喪失。制御室内は非常灯を残して照明や計器の表示が消え、原子炉水位や圧力、冷却装置の運転状況も不明となった。
 計器を生かすため、免震重要棟にいた作業員たちが発電所内の車のバッテリーをかき集め、制御室に持ち込んだ。作業員たちは小型発電機でつけた蛍光灯の明かりで図面を確認し、制御盤裏側の狭いスペースで計器の端子に直接バッテリーをつないでいった。
 12日未明には1号機格納容器の圧力が上昇、原子炉建屋に隣接する制御室は放射線量が急激に上がった。運転員たちは線量が比較的低い2号機側に身を寄せ、過剰な被ばくを避けた。
 1号機格納容器の損傷を防ぐため、蒸気を放出するベント作業に向かったのもこの部屋からだ。空気ボンベを背負った作業員は2人一組で原子炉建屋に突入していった。
 現在、1号機の原子炉建屋爆発で壊れた天井パネルは外され、床や机は汚染防止のシートで覆われていた。



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【1173】 「電気」となると値段より作り方が気になる日本人 / 武田 邦彦

http://youtu.be/LbLvyt-hPBI
「電気」となると値段より作り方が気になる日本人
http://takedanet.com/2014/02/post_100e.html
日本人はやや何かに取りつかれる特徴があり、前の戦争の時でも「大丈夫かな」と心の底では思っていても、みんなが「戦争、戦争!」と言っているとそれに逆らうのもどうかという気持ちになり、そのうち、自分自身も取り込まれるというところがある。

日本人はトイレットペーパーを買うときに、それが日本の木を使ったか、外国の木を原料にしたかを気にする人はいない。「環境」ということを考えれば、とても重要なことだが、だれも関心がない。

自動車を買いに行く日本人は、その自動車の板金がどのような方法で作られたのか質問する人は少ないし、鉄鉱石をどこから輸入したのかも聞かない。値段と性能やスタイルを見て買う自動車を決める。

つまり、消費者というものは「安くて、品質が良い」のが第一で、「製法」や「原料」には興味がなく、また考える必要もない。それは専門職のやることで、一般人はそこまでは知らなくても良い。

それなのになぜ、「電気」となると、「石炭火力か、原子力か、はたまた太陽光発電か」という議論に熱中する。これは、日本の政治家、官僚、そしてNHKのトリック(催眠術と言っても良い)で、そこに「税金」を注ぐチャンスを指導部が得ていることを示している。

中国が文化大革命の時に突然、毛沢東の宣伝によって国民が「製鉄方法」に興味を持ち、全国各地に小さな「人民製鉄」を作った。「鉄は国家なり」などといろいろ言えば、鉄だけがほかの工業製品にはないある意味が出てくる。日本の電気と同じだ。

電気の作り方は、鉄鋼と変わらない。外国から石炭を買って溶鉱炉で燃やせば鉄ができ、発電所で燃やせば電気を作ることができる。鉄鋼業はすそ野が広いが鉄鋼業自体の出荷額は約14兆円で、電力とほぼ同じである。

自動車も日本にとって最重要産業で、その原料となる鉄鉱石、石油は全部、輸入である。だから、政府にとってもとても大切だが、トヨタはガソリンエンジンばかりではなく、ハイブリッドも独力で開発した。出荷額は約50兆円で、海外も入れるとトヨタ自動車一社で連結売上が20兆円を超える。

これに対して電気の売り上げは約15兆円、そのうちの原発は稼働しているときに約5兆円だった。大した産業でもない。また「外国からの石炭を使う」と言っても、それは鉄鋼でも、自動車でも、プラスチック産業でも全く同じである。

それなのになぜ国民は「電気を何で作るか?」とか、「原発を動かさないと日本の経済は破壊する」などと言っているのだろうか。そして太陽光発電に膨大な税金を投入したり、買い取り制度を作って電気代をさらに上げるのに賛成するのだろうか?

これにはトリックがある。つまり国民に「どういう方法で電気を作るか」に関心を集め、「なにをすべき」という議論を巻き起こし、それが馬鹿らしいことであることに気が付かせないようにして、税金を投入し、大企業は補助金を取り、役人は天下りし、政治家は利権をむさぼっている。

電力会社は独占を守るために、「電気の作り方」に国民の関心をひきつければそれで、政治家、官僚が電力の独占に文句を言わなくなる。哀れなのは、トリックにかけられて高い電気を買い、原発で被曝し、太陽電池で踊らされている。

消費者はただ一言、「私はどうやって電気を作るかなど関心がありません。安くていつも使える電気を買います」と言えば、原発はなくなり、電力会社の独占も解消し、税金も安くなる。

錯覚とは恐ろしいものだ。

将来のために太陽電池と言うけれど、電力も鉄鋼も、自動車のみんな同じだ。それなのになぜ、エネルギーとか電気となると他の産業と違うように感じるのか、それが大きな問題だ。

(平成26年2月11日)

重要
【1183】 無責任な原発再開手続き 事故が起こった時の通報なくして再開とは ? ? / 武田 邦彦

http://youtu.be/uYgtmciaSPo
無責任な原発再開手続き  事故が起こった時の通報なくして再開とは??
http://takedanet.com/2014/02/post_fa66.html
2011年3月11日、午後2時46分、岩手県沖で大地震が起きて、福島原発も停電し、配管に一部が破壊した。作業員は原発の中から全員が退避し、暗い中で必死の回復作業をしていた。

地震からおよそ45分後の3時30分に15メートルの津波がきて、5.7メートルの防潮堤を乗り越えて原発の海岸線まで到達した。津波自体は原子炉まで到達していないが、いろいろなところから水が原子炉まで行って、原子炉の建物が浸水した。

海水が入って原子炉が水没したので、地下の電源系がすべてダメになり、全電源を喪失した。原子炉の中では核物質がものすごい熱(崩壊熱)を出しているから、制御棒を入れて核反応を止めても、発熱は続いていた(通常時の約10分の1)。

この状態が続くと、原子炉は次のような状態になる。これは事前にわかっていることだった。
1)通常は循環水に浸っている燃料棒が、3時間後に頭部が露出し、水素の発生が盛んになる、
2)水素は継続的にでて、約20時間後に爆発する領域に入る、
3)4時間後には燃料棒は一番下まで露出し、温度が急激に上昇し始める、
4)6時間後には温度は2800℃付近になり、燃料が融けはじめ、それが原子炉容器(鉄だから1700℃で融ける)を突き破って下に落ち、いわゆるメルトダウンの状態になる。

つまり、午後3時42分に全電源を喪失し、停電が回復しそうにない状態になった時、発電所長ならびに幹部は次のことが分かっていた。

1)6時間後にメルトダウンする、
2)20時間後に爆発する、
3)建物の屋根が吹き飛び、大量の放射性物質が大気に出る、
4)その時、南風、北風、東風が吹いていた場合、地元住民が法令の制限をはるかに超える被曝をする。

しかし、発電所長も幹部も地元消防に連絡せず、したがって地元の人は避難ができなかった。つまり「原発と言う事故の起こる可能性のあるものを、社会が容認してくれるから運転ができている。だから万が一にも社会に迷惑をかけてはいけない。予想外のことが起きても付近住民が被曝するようなことを避けるのは我々の任務だ」という意識は原発の技術陣になかった。

そんな状態で原発を運転するのは技術者としては許されないことで、複数の新聞が「原発を再開しないなど無責任だ」と言っているが、「現に非常時が起きているのに、非常時に付近住民を被曝から救う手順も決まっていないで再開する方が無責任だ」と私には思われる。

日本の技術史から見ても、事故の時の対応が決められていない重要産業などはなかったと思うし、あってはいけないと私は考える。

繰り返しになるが、たとえば、読売新聞はその社説で、「原発再開反対は無責任だ」としているが、私は「事故の通報すら決めないで、原発再開を申請するのは企業倫理に反する」と思う。企業は「規則に定められているだけを守れば申請できる」のではなく、社会倫理を守る必要がある。そのためには、最低でも、「万が一、事故が起こった場合、どうする」ということを宣言する必要がある。

浜岡原発の再開手続きが始まろうとしているが、浜岡原発が事故を起こしたら、付近住民は被曝する。だから、通報をどの時点でするか、それは国家としても、地元との間でも決めておく必要があるのだ。

単に地震対策と活断層調査で、「事故は起こらないことになっている」という従来型の安全審査は無責任と私は思う。もちろんNHKのニュースでは「安全審査にかけたところがある」などとの指摘や取材は一切ない。「政府の言う通り報道する」というのが籾井会長の方針だから、その通りやっているのだろう。

(平成26年2月18日)




広瀬隆講演会 「放射能の危険性について」 1/3 @三木 2014.02.23

http://youtu.be/v3cCZpINDts

広瀬隆講演会 「放射能の危険性について」 2/3 @三木 2014.02.23

http://youtu.be/jNkaABM2ICI

広瀬隆講演会 「放射能の危険性について」 3/3 @三木 2014.02.23

http://youtu.be/C1dBU89zefA
広瀬隆講演会 「放射能の危険性について~どのように子どもを守れるか」
三木市立教育センター 2014年2月23日