原発さえなければ・・切り捨てられるフクシマの被災農民たち(´;ω;`)
原発カルタQ (パイロット版)
http://youtu.be/RG672j8wzAc
尾米タケル之一座HP http://www.okometakeru.com/
(*´∀`)アハハン♪
20130216 R/F #006「小出裕章ジャーナル」
http://youtu.be/p9nbRFELrk0
◆石井
それでは、ここからのコーナーは、小出裕章さんにお話を伺っていきます。
小出さん、よろしくお願いします。
◆小出
はい、よろしくお願いします。
◆石井
あの、今日はノンフィクション作家の吉岡忍さんと一緒にお話を伺います。
◆小出
ありがとうございます。
楽しみにしていました。
◆石井
東京電力がですね、あの福島第一原発の高濃度、高く汚染されている汚染水をですね、処理をした大量の水を、海に放出することを検討し始めたと、いう大きなニュースがですね、え~、最近ありましたけれども、まずこのことについて、小出さんはどのように考えてらっしゃいますか。
◆小出
え~、実際問題としてはせざるを得ないと思います。
え~、どんどん今あの~敷地の中に、汚染した水が増えてきてしまっていまして、いつまでも持ちこたえられる道理がありませんので、いつの時点からなにがしかの方策をとって、海に捨てる以外にありません。
◆石井
あ~~~ぁ、それはでもなかなかたいへんなことですよね。
◆小出
そうです。
まああの~、漁民からみればとんでもないことだと思われるでしょうけれども、でももう、たいへんな事故が進行中なのであって、え~、どうにもならないと私は思います。
◆石井
小出さんにまず一つお聞きしたいのは、まずその高濃度の汚染水を、そこから放射能を除去すること、ま、完全にとは言いませんが、ある程度でも除去することというのは、可能なんでございましょうか。
◆小出
可能です。
ただし、猛烈な汚染水ですので、え~、作業をするために、え~、多数の労働者がまた被ばくをするだろうと思います。
ただし、汚染水の中から、え~、汚染水というのは水を放射能が汚しているわけですが、え~、水の中から放射能を取り分けるということは、え~、出来~るのです、やる気になれば。
◆石井
やる気になれば出来るけれども、やるためにはたくさんの人たちが、あの被ばくをせざるを得ないと。
◆小出
そうです。
◆石井
ぅお~、そういったたいへんなリスクがありながらも、もう現実にこれ以上は保管が出来ないという状況なんでしょうか。
それとも、どっか別の場所で保管をすることは可能なんでしょうか。
◆小出
え~っと、私はですね、事故が起きた直後から、え、巨大タンカーを、え~、福島の海に連れていってですね、え~、タンカーの中に汚染水を移して、え~、それを柏崎刈羽原子力発電所の、え~、廃液処理装置に持っていって処理をするという案を提案していたのですが、え~、今までもうほとんど2年近く経ちましたが、国も東京電力もそれをやろうとせずに、とにかく福島第一原子力発電所の敷地の中にタンクを作って、そこで受けるということをやってきたのです。
え~、それをやる限りは、いずれにしても敷地は限りがありますので、いつの時点かで必ず破綻します。
んで、かなり満杯になっていますので、遠からず別のことを考えるしかなくなると思います。
◆吉岡
結局今、東京電力は海に流しましょうということを、まあ、可能性を探っているというところだと思うんですけれども、私、実は2、3日前まであのやっぱり宮城県の牡鹿半島のほうに行っていましてね、漁師さんたちといろんな話をしていました。
ぼちぼち漁業はあの発達、少しずつ復興してきてるんですが、とはいえ、福島から流れてくる水ですね。
◆小出
はい、そうです。
◆吉岡
これを一番心配してるんですよ。
◆小出
そうでしょうね。
◆吉岡
今、漁師さんたち、大きな声でそれ言えないんですよ。
なぜかというと、言うと宮城県もかという風に言われるからですよ。
◆小出
あぁ、なるほど。
◆吉岡
漁師さんたちも言えない、漁協も言えない、県も言えない、で、だから誰も反対しない、しかし、一番心配をしている彼らという、こういう構図があるんですよ、今は。
◆小出
そうですね、はい。
◆吉岡
どうすればいいんですか、これ。
◆小出
え~へっ、私が言うのはたいへん申し訳ないけれども、え~、どうしようもないのです。
もう人類が経験したことのないほど酷い事故というのが、え~、今現在進行中なのです。
でぇ~、相手は放射能なわけで、人間がどんな風に手を加えても消すことが出来ませんので、え~、なんとか漏れを防ぐということは、唯一出来ることなわけですけれども、え~っ、次々と水を入れ続けるしかない状況では、それがまた増えてきてしまう。
いつかやはりどこかに捨てるしかないというところに追い込まれてしまっているわけです。
◆石井
え~、小出さん、あの、たくさん…
◆吉岡
もう一ついい?
僕ね、2、3日前に牡鹿半島行ったんですよ。
そしたら、女川原子力発電所がありますよね。
そしたら、今まで、もう僕、20回ぐらいあそこに行ってるんですが、始めて見ましたけれどもPRセンターが開いていました。
◆小出
あっはは、そうなのですか。
◆吉岡
で、案の定、あのすばらしい、我々のエネルギーがないこの時代にやっぱり原子力は必要ですというPRをやってましてですね。
◆小出
そうですか。
◆吉岡
いや、ちょっとびっくりしましたね。
◆小出
はい、そうですねぇ。
この~後に及んで、まだなのかなぁという思いを私も禁じ得ないです。
◆吉岡
はい。
◆石井
あの~、小出さん、ありがとうございました。
また、来週もよろしくお願いします。
◆小出
はい、こちらこそよろしくお願いします。
◆吉岡
ありがとうございました。
◆小出
はい、失礼します。
福島第一原子力発電所における高濃度の放射性物質を含むたまり水の 貯蔵及び処理の状況について(第86報)東京電力
http://www.tepco.co.jp/cc/press/betu13_j/images/130213j0201.pdf
汚染水、海へ放出検討 東電(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013013102000121.html
東京電力が、福島第一原発の高濃度汚染水を処理した大量の水を海洋放出することを検討し始めた。敷地内に水をためるタンクの増設に限界がみえてきたためだ。ほとんどの種類の放射性物質を法定濃度未満になるまで除去するというが、地元漁協は強く反発している。 (小野沢健太)
「とんでもない話だ。たとえ、どれほど念入りに処理したとしても放出は一切認められない」。福島県漁業協同組合連合会の中田研二参事(58)は憤る。
茨城県の茨城沿海地区漁業協同組合連合会の吉田彰宏専務も「出荷規制がかかった魚がまだ二十種類もある。今も被害が続いているのに放出という話が出てくること自体、いったい何を考えているのか。現場の実情をあまりに知らなすぎる」と怒りを隠せない。また、同県北茨城市の大津漁協に所属する漁師の男性(60)は「少し風評被害が落ち着いてきたのに、汚染水を流されたら、また『茨城の魚は食べられない』となる。苦しみを分かっていない」と訴える。
福島第一原発では二〇一一年四月、毎時一〇〇〇ミリシーベルトを超える極めて高濃度の汚染水が海に漏れた。その後、高濃度汚染水の移送先確保のため、比較的に低濃度の汚染水を意図的に放出。魚類から当時の暫定規制値(一キログラム当たり五〇〇ベクレル)を超えるセシウムが検出され、漁業者は操業自粛に追い込まれた。
現在は放出を避けるため、タンクに貯水。千基超のタンクに約二十二万トンの処理水がたまり、汚染水処理に伴う廃棄物やがれきも管理している。注水した水は建屋地下に流れ込む地下水と混じって、汚染水は一日四百トンずつ増加。一部は処理して冷却に再利用できるが、大半はタンクにためるしかない。
一三年度、敷地南側の駐車場など十万平方メートルをタンク造成地に充て、タンク容量を計七十万トンまで増やす計画。それでも、たった二年半で使い果たす見込みだ。北側の森は地盤が軟弱でタンクの長期保管に不安が残る。
東電側が海洋放出に言及したのは、福島第一の廃炉計画を審議する二十四日の原子力規制委員会の検討会。担当者は「最終的には関係者の合意を得ながら、そういった活動(海洋放出)ができれば、敷地に一定の余裕ができる」と述べた。
東電が期待するのがセシウム以外の多くの放射性物質も除去できる新しい処理装置。実験では一部の物質を除けば、法定濃度をクリアできる水準まで浄化できたという。
東電の尾野昌之原子力・立地本部長代理は記者会見で「現段階で放出は具体的に考えてはいない」と釈明したが、いずれ処理水が貯蔵しきれなくなるのは明白。その前に、地元も納得できる解決策を打ち出す必要がありそうだ。
推定20トン汚染水漏れ 福島第一 低濃度セシウム含む(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013021802000106.html
原子力規制委員会事務局と東京電力は十七日、福島第一原発5、6号機で、建屋内にたまった水を淡水化装置に送る途中にある屋外の水槽から、推定で最大二十トンに上る低濃度の汚染水があふれ出たと発表した。原因は分かっていない。
あふれた水は、津波で入った海水や雨水が混ざった地下水で、低濃度のセシウムを含んでいるという。
東電などによると、十六日午後七時半ごろ、淡水化装置を止めようとした東電の協力会社作業員が、あふれているのを発見。水を送るポンプを止めると、あふれるのも止まった。十七日になって、あふれた量が二十トンと推定された。水は地面の砂利に染みこみ、近くに側溝などがないことから、海への流出は確認されていない。
「犯罪者!」「独裁者!」がれき処理で新潟県知事と柏崎・三条市長ののしり合い(税金と保険の情報サイト)
http://www.tax-hoken.com/news_axn7Q8ylNC.html
柏崎・三条市長対泉田知事
がれきの広域処理を巡り、新潟県では本格焼却を開始した柏崎市・三条市の市長と泉田知事の「ののしり合い」がヒートアップしている。
本格焼却開始で「殺人」!
新潟県柏崎市では13日、三条市では14日から震災がれきの本格焼却を開始した。これを受け、がれき受け入れに反対する泉田新潟県知事は両市の市長に対し、「亡くなる人が出れば傷害致死、(危険性を)分かっていて(埋却処分を)すれば、殺人に近い」と記者会見の席でコメントした。
同知事は12日にも、両市が行うがれき焼却灰の埋却について「将来世代への犯罪行為」と厳しく批判している。3月25日までに柏崎市は111トン、三条市は145トンの震災がれきを受け入れる予定。
市長対知事 選挙戦の遺恨も
一連の知事発言に対し、柏崎市の会田洋市長は「どういった法に触れるのか? 震災がれきを受け入れる全国の自治体全てが犯罪者ということになる。知事の発言としてきわめて不穏当」と反発。三条市の国定勇人市長も知事について「独裁」と批判する。
がれき受け入れについて、新潟県では住民の危機感が強く、同じく受け入れ方針を決めていた新潟市は、市民の反対運動にあって試験焼却が延期されている。
泉田知事はこういった県民の声に応える形で、昨年10月の知事選で当選。11月の柏崎市長選挙では、会田現市長の対立候補を支援した。
すでに破綻した広域処理
震災がれきを全国の自治体に運搬して処理する「広域処理」は、民主党政権下で環境省主導のもと進められた。細野豪志環境相(当時)が声をからして必要性を訴える姿は、記憶に新しい。
環境省では当初、震災がれきの総量を400万トンと見積もり、広域処理にかかる費用として9900億円を計上した。ところが先日25日に修正値を発表。がれきの総量は69万トンと約1/6にまで下方修正された。
実際、もう全国に割りふるだけの量がないため、宮城県でも岩手県でも3月31日発送分で、搬出を終える予定となっている(一部送り先分を除く)。
柏崎市・三条市では、試験焼却しても周辺の放射線量が上がっていない、と主張するが、そもそも新潟まで持ってくる必要があるのか、見極めことが先決だ。
◆柏崎市 市長室へようこそ
http://www.city.kashiwazaki.niigata.jp/detail/
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ロシア・ウラル地方の隕石落下について。- 2013.02.16
http://youtu.be/QmivGSGUR04
【原発に落ちてきたらどうすんねん!?】隕石落下、400人負傷=上空で爆発、住民パニック―ロシア
http://blog.goo.ne.jp/sithux7/e/ba4aae3acab1505c3277c51e947d5b80
ロシア:ウラルで隕石が爆発・落下 1000人が負傷(毎日新聞)
被害、半径100キロに及ぶ=負傷者1200人に―ロシア隕石落下(時事通信)
突然、火の玉が 衝撃で吹き飛ぶ扉、転ぶ人 ロシア隕石(朝日新聞)
Meteorite explosion over Russia(guardian.co.uk)
ロシアに隕石が落下する瞬間のまとめ動画 Meteorite Falls In Russia urals
http://youtu.be/7n2ryducd1E
隕石、周辺に核施設も 「危うく第2のチェルノブイリ」(朝日新聞)
http://www.asahi.com/international/update/0216/TKY201302160251.html
【モスクワ=関根和弘】1200人の負傷者が出たロシア・ウラル地方の隕石(いんせき)爆発で、プーチン政権が災害対応を急いでいる。プーチン大統領自身が15日、プチコフ緊急事態相らを招集し、「冬でもあり、ことは緊急を要する」として、復旧活動や被災者の支援を指示した。
緊急事態相は、大きな被害が出たチェリャビンスク州に部隊を増派。16日には輸送機を派遣して、背骨が折れた女性をモスクワの医療機関に運んだ。
ウラルの隕石、威力は広島原爆の30倍(The Voice of Russia)
http://japanese.ruvr.ru/2013_02_16/105007475/
Photo: RIA Novosti
15日、チェリャービンスクに落下した隕石の威力について、米国航空宇宙局(NASA)は新たな情報から修正を行い、当初試算したよりずっと大きなものであったことを確認した。隕石の爆発力は0.5メガトンで広島に投下された原子爆弾の30倍に相当する。
NASAの出した新たなデーターでは隕石の大きさは17メートル、重さは1万トンで大気圏に出たときの爆発時のエネルギーは30-500キロトンに達した。
NASAの新たな評価は5つの超低周波音測定ステーションからの補足データーを集めて出されたもの。そのうち1つのアラスカのステーションは隕石の落下したチェリャービンスクから6500キロに位置する。ステーションからの情報では隕石が大気圏に出た瞬間から爆発するまでの時間は32.5秒とされた。
15日、モスクワ時間で7時20分、ウラル地方で隕石が長い尾を引く火の玉となって落下している様子が観測された。落下はまぶしい発光と大爆発を伴った。チェリャービンスクは落下位置から近く、爆発の影響で建物が壊れ、10万平方メートルを越えるガラスが割れた。落下の模様を1200人近くが目撃している。
リアノーボスチ通信
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「原発さえなければ」と書き残し、自死した酪農家の妻子が東電を提訴(秋場龍一のねごと)
http://akiba1.blogspot.jp/2013/02/blog-post_17.html
「原発さえなければ」
そう、堆肥小屋の壁に遺されたことばである。
その小屋で菅野重清さん(当時54歳)は首をくくって亡くなった。2011年6月10日から11日のことだ。東京電力福島第一原子力発電所の事故から、ちょうど3か月たっていた。
この「原発さえなければ」という文字を眼にするたびに胸が痛み、東電へ、そして原発を動かす者への怒りがこみあげてくるのは、筆者だけではあるまい。
菅野さんは福島県相馬市の酪農家だったが、原発事故で酪農家として生きる道を断たれ、絶望の淵に立たされ、そしてみずから死を選択した。
原発さえなければ、この「選択」はなかった。
その菅野さんの妻と息子2人が、東電を3月に提訴する。東電に損害賠償を求める東京地裁への訴訟だ。
東電を訴えるということは、これまでの約2年間、東電は菅野さんの遺族に何の対応もしなかったということだろうか。
原発事故のために自殺に追い込まれたのは菅野さんだけではない。また原発事故で生活が、家庭が破壊された人は数十万を超えるだろう。
その人たちもまた、「原発さえなければ」という思いでいっぱいにちがいない。
そう遠くない将来、全人類は「原発さえなければ」ということばを抱いて、絶滅するのではないか。
「原発さえなければ」ということばが、裁判所に届くかどうか。このことばに、人類と地球の生存がたくされている、といってもけっして過言ではない。
「原発さえなければ」
このことばを、ぼくはけっして無駄にしないことを誓う。
「壁に書かれた菅野重清さんのことば」
原発さえなければ
姉ちゃんには大変おせわになりました
長い間おせわになりました
2011 6/10 PM1:30
大工さんに保険で金を支払って下さい
ごめんなさい
原発さえなければと思ます
残った酪農家は原発にまけないで願張て下さい
先立つ不幸を
仕事をする気力をなくしました
バネ (息子2人の名前)
ごめんなさい なにもできない父親でした
仏様の両親にももうしわけごさいません
(参考資料:「朝日新聞」社会面、2月17日朝刊)
20110614 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章
http://youtu.be/pE7n64Be1co
切り捨てられるフクシマの被災農民たち こちら特報部(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2013021602000129.html
福島原発事故で避難を強いられた福島の被災農民たちが、苦悩を深めている。農業を避難先で再開したくても、大半の人たちは行政の支援の薄さと東京電力の賠償遅れで離農せざるを得ない状況にある。問題は経済的な面にとどまらない。土を耕す日常を奪われた高齢者たちにとっては、それが心身を衰えさせる一因になっている。全村避難が続く福島県飯舘村の住民たちのケースから実情を探った。(上田千秋)
「しっかりとした支援体制があれば、すぐにでも農業をやりたいと思っている人たちは多いはずだ」。福島市に避難している花卉農家、赤石沢忠則さん(51)はそう話す。
赤石沢さんは今年1月、同市郊外に70アールの土地を借りてトルコキキョウの栽培を再開した。ただ、そこにたどり着くまでにはさまざまなハードルが立ちはだかった。
まず、農地だ。一定の広さがあって条件の良い土地はなかなかない。ようやく確保できるめどがついても、今度はどんな公的支援があるのか、よく分からない。国や県、村に何回も問い合わせをし、国の補助が認められた時には、申請から半年以上が経過していた。
しかも、それで賄えるのはビニールハウスの設備費などにとどまる。種苗代や肥料代などの初期費用として県から100万円の補助が出たが、農地の賃料は自己負担。井戸2基の掘削費用約400万円も自費だった。農機具も放射能に汚染され、2年近くも放置したために使えず、新たに用意する必要に迫られた。
農機具類のほか、事故による生産物の損失分、農地やビニールハウスなどは東電の賠償対になる。だが、「やっと農機具類の賠償書類が先月届いたばかり。他の賠償も全額出るわけではない。農業を再開するにはとても足りず、1,000万円以上は自己負担になる」(赤石沢さん)という。
赤石沢さんによると、農業協同組合(JA)に所属した村の花卉農家約80世帯のうち、再開したか、その意向があるのは5、6世帯のみ。高齢化もあり、大半は農業再開をあきらめたという。
「耕作放棄地を利用しようと考えた人もいたけど、また使えるようにするには相当なエネルギーが必要。気力が続かず、『もうやめた』と言ってあきらめてしまった」
事故から間もなく2年がたつ。村では除染が続き、菅野典雄村長は放射線量が下がった地区については、来秋か再来年春に帰村を促したいとしている。だが、面積の7割を占める山林の除染はほぼ手つかずで、放射線量はそれほど下がっていないといわれる。赤石沢さんも当面、村で農業をやるのは無理と考える。
「たかが農業と思うかもしれないが、飯舘村にも長年培ってきた独自の技術がある。このままでは、それがどんどん失われてしまう。国は『除染するから早く帰れ』と考えているのだろうが、被害者である私たちの現実を知らなすぎる」
福島県によると、飯舘村など12市町村が対象になった避難指示区域の農地面積は約1万1,000ヘクタール(県全体の9%)で、農業者は約5,400世帯(同8%)。避難先での農業再開についての資料はないが、多くの人が二の足を踏んでいるとみられる。支援不足の実態はどうなっているのか。
国には、被災自治体に交付金を配り、ビニールハウスや農産物の貯蔵・加工施設などを建てさせる制度がある。前出の赤石沢さんも、この制度を使ったが、対象となる施設の種類や規模はかなり限定されている。
県には最大100万円(畜産農家は150万円)を各農家に再開費用として助成する制度がある。ただ、本格的な農業再開には支援額をはるかに上回る金額が必要になる。
■県外を出ると助成対象外に
こうした支援は原則として県内避難者のみが対象。その理由として、飯舘村復興対策課の担当者は「国の交付金でつくった施設については管理責任があり、遠い場所ではそれが果たせない」と説明する。県農業担い手課も「事故当初は、県内避難者への対応が最優先だったため」と話す。
では、県外に逃れた被災農民はどうしているのか。同村から山形県新庄市の雇用促進住宅に避難した鮎川邦夫さん(67)は「どの自治体からも『農業再建の支援はない』という答えしか返ってこなかった」と漏らす。
鮎川さんは定年退職後の2004年、秋田市から同村に移住。退職金をつぎ込み、カボチャや小麦などの栽培を始め、事故前には米粉パンの製造販売も手掛けていた。秋田県に避難する途中、ガソリン切れで新庄市にとどまり、妻と長女が同市で仕事を見つけたため、動けなくなった。
農業再開の支援策を山形県に聞いても、あったのは新営農者への研修制度だけ。自力で土地や農機具などを用意し、新庄市から車で約40分かかる山形県金山町でカボチャなどの栽培を再開させた。「長年の夢だった農業を簡単にやめるつもりはない。でも、避難先が県外だっただけで、どうして対応が違うのか」
■共同農場に取り組む元村職員
事故以前、1,700世帯(6,200人)の村民のうち、1,250世帯ほどが農業に従事していた。元村職員で、定年退職後に農業を営んでいた菅野哲さん(64)は「専業農家でなくても大半は兼業農家で、自分の家で食べるものぐらいは皆、自分たちで作っていた。畑仕事が生きがいだったお年寄りはたくさんいた。原発事故でその生きがいを奪われ、精神的に疲れていた」と語る。
被災者を対象にした調査でも、仮設住宅ではお年寄りが引きこもりがちになったり、認知症の症状が進むといった実態が明らかになっている。
このため、菅野さんは一昨年7月から、福島県相馬市や福島市などに共同で20~40アールほどの農地を借り、お年寄りたちに農作業をしてもらう事業を進めている。
畑仕事を始めると、見る見るうちにお年寄りの顔に活力が戻ってきた。相馬市の農場では当初は15人ほどだった参加者が今では約40人に増え、何十種類もの野菜を作付けしている。菅野さんはこう訴える。
「放射能の影響を考えると、数年のうちにまた村で農業をやるのは難しいだろう。私たちは農地から農機具まですべて失った。農地を個人で探すことも簡単ではない。国や県には『避難先での農業再開』という>選択肢を示してもらいたい」
[飯舘村]
福島第一原発の北西に位置し、最も近い地点の距離は約28キロ。一昨年4月に計画的避難区域に指定され、一部の企業と特別養護老人ホーム(入所者約100人)を除く全村民が、同年5月から村外に避難した。昨年7月、避難指示解除準備(年間放射線量20ミリシーベルト未満)、居住制限(同20ミリシーベルト以上~50ミリシーベルト未満)、帰還困難(同50ミリシーベルト以上)の3区域に編成された。
[デスクメモ]
手塩にかけた土を耕し、穏やかに生きてきた人たちが突然、原発という暴力で離散を強いられた。その喪失感の大きさに想像力が及ばない。この人たちが何をしたというのか。しかも原因は人災だ。彼らが失ったものを少しでも補うこと。それ抜きに「日本を取り戻す」など悪い冗談にしか聞こえない。(牧)
茨城県民の歌「歌えない」 原子力礼賛の3番に疑問(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013021890135147.html
茨城県が制定し、来月、誕生五十年を迎える「茨城県民の歌」で、原子力をたたえる歌詞を問題視する声が出ている。国内初の原子炉を郷土の誇りとする歌詞は、東京電力福島第一原発事故によって状況が一変。郷土愛を育むための歌とあって、原発に反対する県民は「歌詞を変えた方がいい」と訴える。 (永山陽平)
茨城県民の歌は、県が歌詞と曲を公募して一九六三年三月十六日に制定された。一番から三番まであり、原子力に関する歌詞は三番で出てくる。当時、次世代のエネルギーと期待された原子力を「世紀をひらく原子の火」と礼賛。「このあたらしい光」で「あすの文化をきずくのだ」と高らかに歌う。
同県東海村の日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)に設置された原子炉が、核分裂を連続させる臨界に国内で初めて成功したのは、歌を制定する六年前の五七年。郷土が誇る研究施設の偉業に、県内は祝賀ムードに包まれたという。三番の歌詞は、そうした時代背景の中で生まれた。
歌は小中学校や県主催の体育大会などで歌われており、県民の認知度は比較的高い。県庁では新年の仕事始め式などで歌う。自民党茨城県連では十年ほど前まで、県連定期大会で歌っていた。
だが、原発事故の後、歌詞を問題視する声が相次いでいる。東海村で反原発活動に携わる岡本孝枝さん(43)は「かつて原子力に夢見る部分はあったと思う。でも、歌詞はもう見直した方がいい」、水戸市の和食店員桜井謙一さん(30)も「三番を素直に歌おうとは思えない」と話す。
ブログなどで歌のあり方に疑問を投げかけてきた井手義弘県議(公明)は「みんなが気持ち良く歌える新しい歌があってもいい」と、歌詞ではなく歌そのものの作り替えを一案として挙げる。
歌詞の原作者は元高校教員の川上宏昭さん(85)=同県石岡市。応募では「原子」という言葉を用いておらず、比喩的に東海村の隆盛を描いたという。有識者らでつくる当時の審査委員会が原子力を強調する手直しをしたらしい。川上さんは「歌に関わった人に迷惑がかかる」と多くを語らない。
県は「県民に長く親しまれてきた歌」として、歌詞を変える予定はないとしている。
茨城県民の歌
http://youtu.be/-_OVs_J1HoA
3番歌詞
世紀をひらく 原子の火
寄せる新潮 鹿島灘
このあたらしい 光をかかげ
みんなで進む足なみが
あすの文化をきずくのだ
いばらき いばらき
われらの茨城
武田邦彦 : 原発事故最新情報 食品汚染
http://youtu.be/krz9144Lhms
1月19日に大阪・十三で武田邦彦先生を迎えそこまでやって委員会のトークイベントを行いました。 告知していた通り、武田先生が今一番話したかった「50歳以上の男性は生きている価値がない」を始め 参加された方だけがちょっと得する!?話など盛りだくさん。また参加者からの質問コーナーを設け、 時間が許す限り直接 武田先生とコミュニケーション! ! 最後は参加者とも記念撮影も^^ということで今回の原発事故最新情報はトークイベントの 質問コーナーからお届けします。
武田邦彦 : 小学生になる子供を東京で生活させても大丈夫?
http://youtu.be/Jm8Kh3HqYWA
1月19日に大阪・十三で武田邦彦先生を迎えそこまでやって委員会のトークイベントを 行いました。今回は前回に引き続き「質問コーナー」から原発事故最新情報をお届けします。 ~質問~ 今の汚染状況からみて、小学生になる子供を東京で生活させても大丈夫?