防府マラソン完走記 | 市民ランナーまさちゃんの日記
2007年12月9日(日曜日)
第38回防府読売マラソンに参加してきました。

今年で3回目となる防府の地、昨年の防府が終わってから自分自身に、1年間で4500キロ走れたらもう一度参加すると約束をしていた。

3月頃までは全てが順調に進み、10キロ、ハーフでも公認自己ベストを連発していたが、4月頃から昔痛めた首のケルニアが再発、いつものことだから2週間もすれば治ると思っていたが、2週間、3週間、1ヶ月しても治る気配がない。
仕事中も右腕を首より上に上げていないと腕が痺れる、運転中も同じ、寝ているときも同じで辛かった。
医者からは手術を勧められたが、会社を休みたくなかったので、以前より強い薬を処方してもらい落ち着くまでに3ヶ月程度掛かった。

7月頃から不規則な仕事がより一層不規則になり始めたが、防府完走への道は捨てきれず、7月3日から連続ジョギングと称して走り込みを開始した。
時には雨風の強い日にわざと走った、真夜中にも走った、1人インターバルや1人ペース走もやった。基本的には自分だけの力でやってみたかったからだ。

9月頃から左足の裏に違和感が、自分の足の裏は甲が高いので、足の裏がアーチしているために足底筋を痛めやすい。

今度は右の大殿筋にも違和感が、いつもよりストレッチを長めにやるように心がけていたら、自然と治っていった。

10月初旬、以前会社の健康診断で尿酸値が高いと言われ、このままでは痛風になっても困ると思い、ふじさんの病院で診察して頂いた。
診察が終わってマイカーで帰宅中、自宅近くの横断歩道で交通事故が、横を通過中何処かで見たことがある自転車?もしやと思い親の家に急いで行ってみると、病院から母へ電話があり直ぐに病院へ来るようにとのことだった。
その日から仕事、病院、もろもろで超多忙の日々。
しかしここからがマラソンの最終ピーク作りのスタート、やれるだけの事はしよう。
一気に身体作りをするのは不可能なので、取りあえずはコントレックス(超硬水)を飲み始め、11月8日からは禁酒、20日からはプラス寝る前にアミノバイタルプロを1袋飲んで寝た。
レース2週間前からグリコーゲンローディングを意識した。
前日の土曜日は最後のバカ食いで下痢をしてしまった。
お腹痛くて眠れない。

遂にレース当日
やっぱりお腹痛くて下痢した。
せれさんが5時20分に自宅に迎えに来てくださり、みんなとの待ち合わせ場所のハム基地へ。
一緒に行く仲間は、選手のけんついさん、夢追い人さん、応援隊のともちゃんとはまぐりさんの計6人。
現地入りしたのが9時頃だったと思う。
現地ではカサブランカさん、じあしさんと合流。
じあしさんに会えたのも1年ぶりだったので嬉しかった。
会場では流石にアスリートの大会だけあって、廻りは殆どがサブスリーランナーで、緊迫した雰囲気はとても言葉では言い尽くせない。
場所を確保して、せれさん達はコースを走ってくると言ってくださり、私達にプレッシャーを与えないよう気配りしてくれた。

スタート
今年はとても苦しく辛いことがいっぱいあったけど、4500キロ走って来た事への自信と、今の自分が持っている力を最大限に発揮できれば2時間52分が出せると信じていた。

ヘリコプターが競技場の上でフォバーリング始め緊張の瞬間だ。
約450名の最後尾辺りからスタートしたがロスは数秒、流石に速い!
あっという間に競技場を1周してロードへ。
後ろを振り返ると、案の定収容バスがついてくるが慣れていた。

ロードではカメラマンのせれさん、ビデオ撮影班のカサブランカさん、喜び組のともちゃん、はまぐりさん、じあしさん役者は全てそろった・・
よっしゃー、気合いも入った!

5キロのチェックポイント20分10秒(360位)。
ほぼ予定通りに通過。昨日からの下痢で少し調子は悪いが気にしないことにする。

10キロのチェックポイント20分22秒(366位)。
予定よりかなりスローペースだな。ペースメーカーを変更することに。
12キロ付近でウガッチが苦しそうに歩いているのを発見、声を掛けてあげたいが正直自分のことだけで精一杯。

15キロのチェックポイント20分23秒(347位)。
ペースが遅すぎる、22.1キロ関門で終わるかも知れないと思いペースアップ。

20キロのチェックポイント20分05秒(320位)。
精神的に余裕が出来てきた。身体もスピードに慣れてきて安定してきた。
最初の関門22.1キロを1分30秒の貯金で通過。

25キロのチェックポイント20分08秒(295位)。
凄く余裕があるのでペースアップするべきか悩む。

落とし穴・・
27キロ付近で右足底にできた水ぶくれが破れ一気に激痛が、痛い、痛い我慢でない。
こんなところで止めなければならないのか?涙か出そうになってきた。
もっともっと痛い思いしてきたじゃないか、事故でICUにも入ったし、幾多の怪我も繰り返した、我慢しよう、マラソンは痛みとの戦いだと心の中で何度も言い聞かせた。

後1キロ走れたら止めようの繰り返し、キックできないからスピードが落ちる。
一生懸命に我慢して35キロ関門まで走って来た。
まだ2分17秒も余裕がある!

ここで気持ちを入れ替えるために自分の頭をだました。
これから7キロのマラソンが始まるんだと、たったの7キロだから走れるよねってだました!

でも痛い、踵から着地して踵からキックする感覚で走らないと進まない。いや進めない。
シューズを見ると血で真っ赤になっているから怖くて見ないように意識した。

40キロ付近で遠くにけんついさんらしきが見える、おばちゃんはハッキリ視界にとらえることができた。
こうなったらおばちゃんを抜いたる!
いつの間にか痛みは通り越していた。
競技場に入った瞬間はやはり昨年と同じで夢の中を走っている気分。
アドレナリンが出尽くした状態だろう。

結局おばちゃんは抜けなかったが、その気持ちが最後はゴールへと導いてくれた。
ゴールではともちゃん手作りのお菓子で出来た「自分だけの金メダル」をかけてくれた!
けんつさんは金メダルに感激して涙目になっていた。

せれさんが写真を写してくれ、カサブランカさんがビデオ撮影してくださった。
ともちゃん、はまぐりさん、じあしさんが笑顔でおめでとうと言ってくれた瞬間、やっぱり泣けそうだったよ。

仲間の支えで1年間楽しく走ってこれた事に感謝の気持ちは忘れません。
今回のタイムもせれコーチ、せれ運転手、せれカメラマンさんのお陰です。

来年もはっぴーずのみんなと走り続ける!!

  【記録2時間54分32秒(185位)】