努力なくして成功はない。 -2ページ目

選手に感謝!!

2011年11月3日の高円宮杯関西大会に敗れU-15の活動が終了しました。


後少しでも勝てるチームを作ってあげたかった後悔はありますが、

まずは、選手全員に感謝したいと思います。


指導経験の浅い僕を信じて3年間、ついてきてくれたこと。


そして、沢山の事を学ばしてもらいました。


2年前を思い出すと懐かしいです。

トレーニングはとにかく基礎技術の向上。

それらを活用し失わない技術を身に着ける。


こういった事を選手と努力してきました。


時には・・


近隣の街クラブの指導者から、

「ボールなんか回せても意味ないで!」


悩んだ時期もありましたが、

選手が日頃行っているトレーニングを、

遊びのミニゲームでも意識して実践してくれる姿を見て勇気をもらいました。


よし、選手たちと「あっと言わせるチームを作ろう」


しかし、

何でも簡単に行くわけもなく、

難しい時期もありました。


でも、選手は諦めることなく成長をしてくれました。


「努力すれば夢は叶う可能性がある」。


それが、3年生で夏・秋連続「関西大会出場」に繋がったと思います。


この学年が特別に強いとは思いません。

ただ、味方を信じれる強さを持っていました。


下の学年が入ろうが、

メンバーが変わろうが何も変わりません。


共通理解・規律・向上の意欲。


これらを常に要求し選手は応えてくれました。


そして、

ピッチ内では素晴らしい「ポゼッション」を見せてくれました。


難しいことも要求して共にトレーニングを積んできましたが、

この仲間たちと一緒にやれた事を自信にして次のステージに繋げてほしいと思います。



そして、最後までクラブの活動にご協力、ご理解をしていただいた保護者の皆様。

ありがとうございました。


選手達は立派になりました。

次のステージでも、選手達を支えていただければと思います。


変化【小学生時代②】

暑い・暑いです。

頑張っていきましょう。



では、続きです。

前回の終わりに書きましたが、ライバル出現。


名前は、

岸田裕樹(ファジアーノ岡山/J2)

まだ、現役のJリーガーです。


何がすごかったか。

スピード・技術は飛びぬけているのは当たり前。

しかし、彼には小学4年生時代からサッカーへの探求心がありました。


自分に求める厳しさは自然にあり、

試合に勝つ事へのこだわりは異常なほどでした。


・・・・


すごい。

この一言でした。


僕達が小学生の時代は、

サッカーを教えてもらうという感覚はありませんでした。


上手い、

下手ではなく、


出来ればOK、出来なければダメ。


つまり自分で練習するしかなかった時代です。

貪欲でなければいけませんでした。


甘ちゃんだった僕ですが、

姉の言葉と岸田君との出会いでサッカーへのこだわりに変化が生まれます。


サッカーを始めてから4か月ぐらいで変わっていったと思います。

毎日皆で必死にサッカーの練習をしました。


そして、

伊丹南SCでは中心選手に。


5年生の冬になり「伊丹選抜」の選考会がありました。

選抜?

よくわからんと思いながら合格し地域大会へ。


行ってみて驚きました。

神戸選抜の選手全員上手い。


この大会から「兵庫県選抜」に選ばれていくわけですが、

レベル的には「無理」の一言。


でも、

サッカー人生ってわからないものです。


MFで試合に出ていたのですが、

こぼれ球をロングシュート。


これが面白いように決まり、「兵庫県選抜」合格。

運を拾うことはサッカー人生において大切な事です。


今、振り返れば、

こだわりの練習が実を結んだのではないかと思います。


シュート練習でも「ミート」「膝の振り」を心掛けて練習していました。


僕達は、遊びで練習をする感覚はありませんでした。

常に何かを心掛ける。


それが、伊丹南SCの強さの秘密だったのかもしれません。

実際この時、伊丹選抜に7人。兵庫県選抜に4人選ばれています。


こだわりという変化を見つけいい努力が報われました。


次回は、へたっぴな自分への驚きを書きたいと思います。


変化【小学生時代①】

もうすぐ梅雨明けですかね。

とにかく暑い。・・・メンタルで乗り越えます。


さて、

今回は、「変化」。

僕自身のサッカー人生を振り返りながら、

何故、今の考え方が必要なのか。という事について書きたいと思います。



僕がサッカーを始めたのは、小学4年生。

自分でやりたいといったのか、やらされて始めたのかは覚えていません(笑)


この時点で、姉はバスケットボールをしていました。

おそらく親が姉と同じように運動させたかったのではないかと思います。

ただ、姉はいわゆる「天才」でした。

後に高校日本代表選手にまで上り詰め、実業団の選手に。

※今は、普通のおばちゃんです。


競技は違いましたが、

姉がどうであれ僕の身近に「ライバル」がいたのです。

これが、最初の「変化」でした。


ライバルは姉。

3つ離れていたのでこの時、姉は中1。


サッカー部に入部後、

初めての練習。

定番の「リフティング」です。


初めてでしたが、18回。

いい数字か悪い数字かはわかりませんが、

半分以上の選手は、僕以下でした。



リフティングの回数が人より多いことが自慢。

自分より回数が多い選手は見ていませんでした。

いつもニコニコしていました。


でかくて、速い。

それが、この時点では売りでした。


なんとなくプレーがうまくいく。


こういう僕を見て姉から強烈な一言。

「下見てやるぐらいなら練習なんかいらんのちゃう」


ズキッとしました。


この時の伊丹南SCは名門。

毎年県トレがいて当たり前というレベルです。


それは、

切磋琢磨することから生まれていたことです。


親にも言われていました。

「上手くなくていい。人より一生懸命やれ」



この事に気づいていたわけではありませんが、

姉の一言が悔しくて伊丹で1番の選手になると思い始めました。


ここからどんどんうまくなる自分がいました。


しかし・・・

僕には最高のライバルが現れます。

同い年で上手く・速い選手。


これは、また次回書きます。