Dignity,always dignity | しじみなる日常

しじみなる日常

ひとつひとつは小さな蜆(しじみ)でも、蜆汁になったときの旨みは格別な幸せをもたらしてくれます。私の蜆汁は「クラシック音楽」。その小さな蜆の幸せを、ひとつひとつここで紹介できたらなあと思っています。

音楽を聴く時間がほとんどなかったこの2週間、私の最大の楽しみは中野京子さんが新たに訳されたシュテファン・ツヴァイク『マリー・アントワネット(上・下)』(角川文庫)を通勤途上で読むことでした。


強大なハプスブルク帝国の女帝マリア・テレジアの娘、フランスのアンシャン・レジームの頂点に君臨し、フランス革命によって“犯罪者”にされ処刑台に消えたこの一人の女性。

結論から言えば、この本は私の持っていた「マリー・アントワネット観」を根底から覆しました。


これまでは、絶対君主制のもとで、フランスに輿入れし、その身分と凡庸で愚かとさえいえる性格から贅沢と享楽にふけり、国家と国民を顧みず、フランス革命の導火線となり、その革命の象徴として死んでいった、ただそれだけの不幸な女性という認識でした。

しかし同書は、愚かで悪名高い王妃ではなく、革命の犠牲となった哀れな女性としてでもなく、ただマリー・アントワネットという一人の人間の生き様を描いたものでした。

彼女の38歳の人生は、何も考えずにただ本能に従い、得られないものの埋め合わせに楽しみを追い求めた30年と、己の生と家族と、王冠を守るために闘った8年とに分けられます。

最後の8年は、それまでの彼女とはまるで違い、過酷な運命が一人の人間をこうも変えるものかと本当に驚きました。

彼女は断頭台の露と消えるまで、尊厳と誇りを失わず、王妃であり続けた。その強靭さにただただ驚いたのでした。

もちろん、彼女も恋人フェルゼンの前では悩み、悲嘆にくれる一人の女性ではあったのですが。


ここでまた、ベートーヴェンのことを思い出しました。

耳が聞こえなくなったとき、そして「不滅の恋人」と別れねばならなかったとき、そんな人生が打撃を受けたときでも彼には音楽があった。

過酷な試練を芸術に昇華させることが出来たのは、彼の音楽を聴けば解ることです。

では、玉座から引き摺り下ろされたアントワネットには何があったのでしょうか?

ただハプスブルク家の血と、フランスの王太子妃、王妃として生き培ってきた資質と、誇り、尊厳だけだったのではないでしょうか?


結局、運は彼女を見離しましたが、それでも彼女は最後まで闘いました。

残酷な運命がすべての人間を変えるわけではないでしょう。

運命に流され、ただ悲嘆にくれるだけ、運命を呪うだけ、誰かに頼るだけの人は現代にだって大勢いると思います。

ですが、彼女は違ったのです。

これが、私がもっとも驚き、そして感動したことです。


考えてみれば、30歳までの人生なんて、多感なだけでぬるま湯の人生です。

生死の瀬戸際に立ち、試練に直面して何とか乗り越えようとがむしゃらになっている人でなければ、あるいは大いなる野心を持っている人でなければ、若者はぬくぬくと平穏で楽しい日々を求めるものではないでしょうか?

我が身を振り返ってもそう思います。

だから、私自身はアントワネットの王妃時代の享楽的な生活を責める立場にはないのです。

人間は自立し、我が身に責任を負うようになって初めて、自分が何をなすべきか知る。

彼女はそれを知り、実行しただけで充分人間としての生を全うしたのだと、私は拍手を贈りたいです。


私自身は、これから何をなすべきか、何をなさねばならないのか、まだまだ模索の途中です。

ですが、アントワネットのように、私は「私」としての尊厳を失わずに、常に前をしっかり見据えて生きていきたいと思いました。


シュテファン・ツヴァイク, 中野 京子
マリー・アントワネット 上 (1)
シュテファン・ツヴァイク, 中野 京子
マリー・アントワネット 下 (3)