一絃須磨琴保存会&須磨海岸 - 在原行平の歌碑 | 公式にゃんたの  むにゃブロぉ~

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平安時代の在原行平が、須磨で侘び住まいをしていたおり、寂しさを紛らわすために、須磨の海に流れ着いた木の板に、冠の緒を弦にし、葦の穂を指に嵌めて、音色を奏でたといわれる、一弦の琴、須磨琴。

その須磨琴を復活させ、昭和40年に発足した、一絃須磨琴保存会。その活動と沿革。
リンク~公式HP  一絃須磨琴保存会~

『 神戸スタイル 守り続ける伝統の調べ-須磨琴保存会・小池美代子さん 』 7分09秒


検:お琴 覚峰和尚 伝統楽器 邦楽器


10日ほどまえになるけど、、須磨海岸に降り立ったにゃんた氏にゃー

この側溝の石のフタ、“おまえはいつからここに嵌っているんだい?”

【歌碑 中納言在原行平 にゃんた】

“わくらばに 問ふ人あらば 須磨の浦に 藻塩たれつつ わぶと答へよ”

“たち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む”

須磨海岸内にある、中納言 在原行平(ありわらのゆきひら)の歌碑。行平は、その死後に書かれた源氏物語の主人公のモデルの一人ともいわれ、在原業平(なりひら)のお兄さんです男の子


九世紀の中ごろ、この須磨で蟄居していたといわれる在原行平は、京へ戻ることの出来ないやるせなさを歌に託します、それが“わくらばに…”です。

そして、親しくなった多井畑(たいのはた)の姉妹、松風と村雨との逢瀬を重ねていたが、突然の知らせで京へ帰ることとなり、二人との別れを惜しみ“立ち別れ…”の歌を詠んでいます。

※多井畑:須磨のやや北の地名。今もあるよ。距離を測ると丁度5km。予想よりは近い。

地図はポインタで動かせるよ~ん左上矢印

これは上画像左の木製案内板の内容(上画像では裏面が写っています)。


(その松風と村雨が行平を偲んで建てた庵跡が松風村雨堂だよ)


その行平所縁の地名として、行平町・稲葉町・松風町・村雨町・衣掛町・磯馴町などが、この辺りでつけられてるよ。

また月見の景勝地としても有名で、千年の歴史があったりするよお月様 江戸時代には、松尾芭蕉がその名月を愛でるため、この地を訪れます。

須磨離宮公園(武庫離宮)の中には、「在原行平月見の松跡」の碑があるよ(側面は「松かげや月は三五夜中納言」貞室)。以前はそこに、老松があったそうだけど、今はもうないよ。

代わりに、月見台なる展望台というか展望場所があるよ目 離宮公園は、洋風でオシャレな公園だよ、王侯貴族のバラ園もあるよチューリップ赤
リンク~公式HP  須磨離宮公園~

月見…「月見山」という山陽電車の駅名にもなってるし、地名があるよ~ん♪ 月見山=稲葉山だよん富士山 
リンク~ウィキ 在原行平~

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百人一首、読み上げ。0分17秒。

『中納言行平 立ちわかれ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む』


近畿地区限定品だって。日清「神戸開港150年記念ビーフカレーヌードル」¥138

「ビーフもカレーもはじめは港からやってきた!」

“濃厚なビーフのうまみと野菜の甘みが溶け込んだ昔懐かしい味わい”かぁ、たしかにw


そんなこんなで~~( ゚д゚ )ポカーン