こころにある景色 ~ブライト合宿2014振り返り
出発からお寺到着まで ~2014ブライト合宿振り返り(2)
畑のめぐみ、お風呂、就寝 ~ブライト合宿2014振り返り(3)
2日目寺子屋!~ブライト合宿2014振り返り(4)
バ-べキューを終えて、今日のお風呂は、わくわく西の城にて。




蛇口そのものがついた左側の壁のシャワーも、
なんと3つ以上同時に使えない!?とか




ナニこれ珍百景的お風呂、家族ごとに交代で入りました!
もともとこの施設は、市だか県だかの青年宿泊施設→町が引き受け→
現在はワーカーズコープさんの管理運営になっているという物件。
ゆるく、生き抜いている感じがすてきです。
2日目の夜は、寝かしつけをあきらめて、親のワークをしよう!と
提案したのですが
結局、それぞれの子どもたちに合わせ
一部でsss(陽のあたるセクシャリティゼミ)的な対話をしつつ
この日もなしくずし入眠。
翌朝は、皆さんの疲労度をみて、もともとの予定だった朝のおつとめと
お掃除修行はなくし、
午前はゆっくり自由時間を過ごすプランに変更。
朝ごはんをきのさんがお寺から配達してくれることに。
本当にありがたいです。
さて、言葉を話す子どもたちは、
「帰りたい」を何度も口にしていました。
大人としては、この合宿自体は大人のニーズによる合宿なので
「つきあわせている感」があるがために
そう言われるとゆらぐわけです。
本人がやりたいと言って始めた習い事だって
「やめたい」と言われたらゆらぐのですから
親の都合で(しかし子どものためにもなると思って)連れてきた先で
「帰りたい」
と言われたら、そりゃゆらぎます。
しか~し。
ブライト合宿なので、
ココロの声に耳を傾けたいのです。
「帰る」のは手段、その手段で満たしたいニーズ、望みとは?
関心、ケアされること
安心、居場所
休息、空間、自分らしさ、自由、、、、
なんでしょうね?
ここにいながら、それらのニーズを満たす方法はあるかな?
帰るという手段で居場所を手に入れることもできる。
でも、この居心地の悪い場所を、居場所にする、ということができたら。
この先、この子の力になる。
居心地の悪い場所を「去る」以外に解消する経験が持てたら。
そんなふうにも考えられるわけです。
そして同時に。
大人にもニーズがあります。
子どものニーズに耳を傾けることは、
大人である自分自身のニーズを無視することと同義ではありません。
誰もが、自分のニーズをケアしてよいのです。
誰もが、誰かのニーズを満たすだけの道具になってはいけないのです。
あなたは、これを求めているんだね。
私は、これを求めているんだ。これを聞いてどう思う?
という対話の可能性があるわけです。
私が今回、感動したのは
この対話を、断続的に繰り返した母にもですが
2日目か3日目に、
小学1年生の男の子が
「(母は)そうなんだ。ぼくは、こうしたい。…話しあおう!」
と母に向かって発言したことでした。
「話しあおう」と、子どものほうから言った!!!!

これはすごいことです。
話しあいに彼は可能性を感じているのです。
「話しあうったって最後はどうせ大人の想い通りだろ?」
なんて思ってないのです。
希望があるのです。
すごい!!
「話しあおう」
なんて素敵な提案。
話しあおうと思える関係性。
話しあおうと思える社会。
この合宿でのギフトのひとつです。
ありがとう!
(続く)
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