好評につき上映延長になっていた「隣る人」は
今日が最終日だったのですね!
5/25に観てその後感想ブログを書けないまま1か月以上経っていたとは。。。
宣伝としてはダメダメですが
感想を書きとめておこう!
児童養護施設で8年もの取材を続けて完成したドキュメンタリー映画。
脚色も音楽もテロップすらない、素のままのドキュメンタリー映像。
それだけに訴える力が強い。
私は、尊敬するカウンセラー信田さよ子氏と刀川監督のトークが
上映後に会った日を選んで行った。
信田さよ子氏の視点はいちいちさすがに鋭くて
まるで「解説」みたいに映画をさらに理解するのに役立った。
刀川監督も、「ああ、よかった!そう見えますか。そうです、そういう意図あのシーンを使いました」と言っていました。
なんの説明補足もしない仕上げだったのでより心配な面はあったんだろうなあ。
「あらでも誰がみてもそう思うんじゃない?」と信田氏が言うと
「いえ、観る人によって感情移入する場所は違いますから・・・」と監督。
それをきいて信田氏は
「じゃあ、それは名作だわ」
と言ったのが印象的でした。
多様な解釈を許す映画は、名画である、ということ。
客席からの質問。
「あの、『ずっと一緒にいようね』の言葉は、いつか別れる時がくる子に対して
無責任とも思えるのですが・・・」
子どもがいつか裏切られる時にさらに傷つくことを心配しての発言に
信田氏
「あの言葉は、物理的な一緒にいるだけでなくて
ずっと私はここにいて、あなたを思っているよ。心がずっと一緒っていう意味なんじゃないかなあ」
と、しみじみと答えておられたのが印象的でした。
さらに信田氏
「私、むっちゃんはよかったな~と思うのね。この子たちは。
もっと、実母といるからこそつらい子どもがいて
その家からは抜け出せないでいる。
そのまま大人になった人もいる。
その人たちより、こうして、愛を感じられるむっちゃん、よかったねって」
私もまったく同じことを思っていました。
(記憶があいまいで、信田氏の言葉そのままでなくかなりライチ意訳してます)
私は、むっちゃんの、実母とのやりとりシーンがものすごく胸が痛かった。
なんとか、また一緒に暮らしたい母。
でも急にはなつかない娘。
ほんとうは一緒にいたい娘。でも受け止めきれない母。
お互いに、この人こそが特別な大切な人として居て欲しいのに。
欲しいやり方では、相手からその愛が表現されることがないまま
ココロが痛すぎてそれ以上一緒にいられない二人。
あなただから、意味があるのに。
やるせない、やりきれないすれ違い。
最後のまり子さんのセリフは、光り輝いて見えた。
ほかの大人たちからは、愛あればこそなんだろうけど
「むっちゃんはもっとこうだといいね」という含みのあるメッセージが続き
まり子さんだけが
本気で、心から、
「もう、どんなむっちゃんも好き」
という言葉が出てきた。
これほどの受容と愛と承認を、私たちは受け取れてきただろうか?
私は、表現できているだろうか。
「ずっと一緒にいようね」
いまこの瞬間の真実を伝える「永遠」の言葉。
私が信じて来れなかった「永遠」。
それを、疑いようのない真実として口にすることもできるのだと
感動と哀しみが同時に襲ってきた。
現実とは、まさにこれらがすべて含まれている。
特別で意味があって、だけどうまくいかなくてやりきれなくて
その上に、希望の光が燦々と降り注いでいる。
刀川監督の描き出したこの世界は、現実より現実らしい。
映画「隣る人」オフィシャルサイト
http://www.tonaru-hito.com/index.html
ポレポレ東中野(タンジェリン・ラボの並び)の上映は終わりますが、
各地で上映予定あるようです。
http://tonaru-hito.com/zyoei.html
自主上映もできるそうです。
子どもと関わる方、
しんどい母を持っている方、
ぜひご覧ください!
それにしても、父が不在だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日が最終日だったのですね!
5/25に観てその後感想ブログを書けないまま1か月以上経っていたとは。。。
宣伝としてはダメダメですが
感想を書きとめておこう!
児童養護施設で8年もの取材を続けて完成したドキュメンタリー映画。
脚色も音楽もテロップすらない、素のままのドキュメンタリー映像。
それだけに訴える力が強い。
私は、尊敬するカウンセラー信田さよ子氏と刀川監督のトークが
上映後に会った日を選んで行った。
信田さよ子氏の視点はいちいちさすがに鋭くて
まるで「解説」みたいに映画をさらに理解するのに役立った。
刀川監督も、「ああ、よかった!そう見えますか。そうです、そういう意図あのシーンを使いました」と言っていました。
なんの説明補足もしない仕上げだったのでより心配な面はあったんだろうなあ。
「あらでも誰がみてもそう思うんじゃない?」と信田氏が言うと
「いえ、観る人によって感情移入する場所は違いますから・・・」と監督。
それをきいて信田氏は
「じゃあ、それは名作だわ」
と言ったのが印象的でした。
多様な解釈を許す映画は、名画である、ということ。
客席からの質問。
「あの、『ずっと一緒にいようね』の言葉は、いつか別れる時がくる子に対して
無責任とも思えるのですが・・・」
子どもがいつか裏切られる時にさらに傷つくことを心配しての発言に
信田氏
「あの言葉は、物理的な一緒にいるだけでなくて
ずっと私はここにいて、あなたを思っているよ。心がずっと一緒っていう意味なんじゃないかなあ」
と、しみじみと答えておられたのが印象的でした。
さらに信田氏
「私、むっちゃんはよかったな~と思うのね。この子たちは。
もっと、実母といるからこそつらい子どもがいて
その家からは抜け出せないでいる。
そのまま大人になった人もいる。
その人たちより、こうして、愛を感じられるむっちゃん、よかったねって」
私もまったく同じことを思っていました。
(記憶があいまいで、信田氏の言葉そのままでなくかなりライチ意訳してます)
私は、むっちゃんの、実母とのやりとりシーンがものすごく胸が痛かった。
なんとか、また一緒に暮らしたい母。
でも急にはなつかない娘。
ほんとうは一緒にいたい娘。でも受け止めきれない母。
お互いに、この人こそが特別な大切な人として居て欲しいのに。
欲しいやり方では、相手からその愛が表現されることがないまま
ココロが痛すぎてそれ以上一緒にいられない二人。
あなただから、意味があるのに。
やるせない、やりきれないすれ違い。
最後のまり子さんのセリフは、光り輝いて見えた。
ほかの大人たちからは、愛あればこそなんだろうけど
「むっちゃんはもっとこうだといいね」という含みのあるメッセージが続き
まり子さんだけが
本気で、心から、
「もう、どんなむっちゃんも好き」
という言葉が出てきた。
これほどの受容と愛と承認を、私たちは受け取れてきただろうか?
私は、表現できているだろうか。
「ずっと一緒にいようね」
いまこの瞬間の真実を伝える「永遠」の言葉。
私が信じて来れなかった「永遠」。
それを、疑いようのない真実として口にすることもできるのだと
感動と哀しみが同時に襲ってきた。
現実とは、まさにこれらがすべて含まれている。
特別で意味があって、だけどうまくいかなくてやりきれなくて
その上に、希望の光が燦々と降り注いでいる。
刀川監督の描き出したこの世界は、現実より現実らしい。
映画「隣る人」オフィシャルサイト
http://www.tonaru-hito.com/index.html
ポレポレ東中野(タンジェリン・ラボの並び)の上映は終わりますが、
各地で上映予定あるようです。
http://tonaru-hito.com/zyoei.html
自主上映もできるそうです。
子どもと関わる方、
しんどい母を持っている方、
ぜひご覧ください!
それにしても、父が不在だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「聴き方」が変わると、関係性が変わります。
大切な人の話を大切に聴くために
日祝も予約できます。Skypeは深夜早朝も対応。
7/22 ココロカフェ
「母がしんどい」読者トーク会
新潟出張決定!