父の死に際しての続きです。
「骨になる前に」
http://ameblo.jp/lychee-tangerine/entry-11282815350.html
遺骨を引き取りにいったのは、江戸川区の斎場でした。
私が行ったのは午後2時か3時頃。
その日の10時に父は火葬され、友人が数人来てくれたそうでした。
私はその時間に間に合わせて火葬場へ向かうことができませんでした。
斎場の担当者の方に、葛飾区役所の担当の方の連絡先を聞きました。
父は葛飾区の生活保護を受けながら2年の入院生活の末に亡くなったそうでした。
引き取った遺骨を抱えて、駅に着いてから
「今からならギリギリ5時前に区役所に行けるかな」とぼんやり思い
「でもそもそも葛飾区役所?福祉事務所?ってどこにあるのかな?」
頂いた連絡先に電話をかけました。
父が生活保護を受けるにあたって担当されていた職員の方とお話ができました。
父は建築現場に派遣される作業員として働いていたところ
健康診断で心臓に疾患がみつかり、退職。
生活保護受給者となる。
その後、脳溢血?くも膜下出血?(曖昧)で倒れ、救急車で病院へ。
一命をとりとめるも、半身不随(および言語障害)に。
茨城県のリハビリの病院へ転院。
二度目の転院で江戸川区へ。
亡くなる数日前に二度目の発作(?)で意識不明に
そのまま回復せず、死亡。
2年の入院生活のあいだに住居はすでに撤収しており、遺品はなし。
この状況の中に
さまざまな感想がわいてきます。
働いてたんだな。ちゃんと。
心臓が悪かったの?
2年も入院してたのか。
生活保護というのは、ほんとうに、最後の安心なんだな。家族もなく
仕事もない人が、2年も闘病できるんだ、ということに
私は大きな感謝を感じました。
なんとなく、自分の中に
「お金がなければ病気になったら死ぬしかないのかな」的な
あきらめがあったのですが
父は少なくともリハビリまでさせてもらえて、そして亡くなった。
その期間が彼にとってどんな日々だったかは知ることはできないけれど。
(そして生活保護を受給することができずにいる人々の存在も
想像することしかできないのだけれど)
最後に区の職員の方が
「ご友人で、Fさんという方が何か預かってらっしゃるということですが・・・」
と言われたので
「連絡先を教えていただくか、私の連絡先をお伝え頂けますか?」と
答え、電話番号を伝えました。
Fさんから電話はすぐにかかってきました。
午前中の火葬に出てくださったのは彼を含めて
数人の、元同僚たちだったようです。
Fさんは泣きながら父の死を悼んでいました。
前歯のどこかが抜けているのか、
聞き取れない言葉がいくつもありました。
私の父も、前歯が1本なかった。
私はすごくすごく温かくほっとした気持ちになりました。
電話を切って、私は遺骨とともにラボへ戻り、
そして家に帰りました。
こぶたラボのスタッフSNSに
「父が亡くなりました。
こんどのこぶたカフェはちょっとぼーっとしたり
奇行があるかもしれません、フォローよろしく」
と書きました。
スタッフからは
「奇行してください!」
「じゅうぶん悲しんでね」
などなど書き込みをもらい
本当に本当に受容と安心と信頼を感じました。
みんなありがとう。
そして、誰かに
話を聴いて欲しいなあ。
つれづれと、思うことを話したい。
と心から思ったところへこぶたスタッフであり、
ブライト・リスニングの研究生のとよちゃんから
ツイッターのDMがきました。
「大丈夫ですか?なにかできることあったら言ってください。
わたしの実父は20年以上音信不通で突然死の知らせが来ました。
お力になれればと思っています。 」
このDMがなくても、私は
とよちゃんと話したい!と心から思っていたのでした。
お父様の訃報を、音信不通ののちにうけて
突如お葬式を出した話を聞いていたので
なんとなく
状況は違えど、感覚的に共感してもらえる
とくに
戸惑わずに驚かずに聴いてもらえる!
それを私は求めていたのだと思います。
「ありがとう!とよちゃんと話したいなあ」
と返すとすぐに
「今夜22時以降Skypeできます」とのお返事。
私が、どれだけの安堵を得たのか
どうやって書けばいいのか、
わかりません。言葉にならないです。
私は「聴く」仕事をしていて
辛い時に私を思い出して連絡をくれるクライアントさんに対していつも
「この辛い時に私を思いだしてくれてありがとう!」と思います。
だけど
「聴いてくれる人が居てくれること」
の有難さを感じる立場になったのは初めてかもしれません。
混乱の淵に立ち、
その深い闇へ引き込まれそうな時
私を現実の岸へつなぎとめる
太い命綱のように感じました。
「こんな時、聴いてくれる人がいれば」
そんな時にすべての人に
聴いてくれる人がいて
すべての人が
大切な人が求める時に
聴ける人であるということ。
それを実現していきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「聴き方」が変わると、関係性が変わります。
大切な人の話を大切に聴くために
【ブライト・リスニング講座&体験会】
http://bit.ly/eZnw1K
日祝も予約できます。Skypeは深夜早朝も対応。
ココロのIQを上げる 個人セッション
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7/22 ココロカフェ
「母がしんどい」読者トーク会
http://ameblo.jp/lychee-tangerine/entry-11247708717.html
新潟出張決定!
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遺骨を引き取りにいったのは、江戸川区の斎場でした。
私が行ったのは午後2時か3時頃。
その日の10時に父は火葬され、友人が数人来てくれたそうでした。
私はその時間に間に合わせて火葬場へ向かうことができませんでした。
斎場の担当者の方に、葛飾区役所の担当の方の連絡先を聞きました。
父は葛飾区の生活保護を受けながら2年の入院生活の末に亡くなったそうでした。
引き取った遺骨を抱えて、駅に着いてから
「今からならギリギリ5時前に区役所に行けるかな」とぼんやり思い
「でもそもそも葛飾区役所?福祉事務所?ってどこにあるのかな?」
頂いた連絡先に電話をかけました。
父が生活保護を受けるにあたって担当されていた職員の方とお話ができました。
父は建築現場に派遣される作業員として働いていたところ
健康診断で心臓に疾患がみつかり、退職。
生活保護受給者となる。
その後、脳溢血?くも膜下出血?(曖昧)で倒れ、救急車で病院へ。
一命をとりとめるも、半身不随(および言語障害)に。
茨城県のリハビリの病院へ転院。
二度目の転院で江戸川区へ。
亡くなる数日前に二度目の発作(?)で意識不明に
そのまま回復せず、死亡。
2年の入院生活のあいだに住居はすでに撤収しており、遺品はなし。
この状況の中に
さまざまな感想がわいてきます。
働いてたんだな。ちゃんと。
心臓が悪かったの?
2年も入院してたのか。
生活保護というのは、ほんとうに、最後の安心なんだな。家族もなく
仕事もない人が、2年も闘病できるんだ、ということに
私は大きな感謝を感じました。
なんとなく、自分の中に
「お金がなければ病気になったら死ぬしかないのかな」的な
あきらめがあったのですが
父は少なくともリハビリまでさせてもらえて、そして亡くなった。
その期間が彼にとってどんな日々だったかは知ることはできないけれど。
(そして生活保護を受給することができずにいる人々の存在も
想像することしかできないのだけれど)
最後に区の職員の方が
「ご友人で、Fさんという方が何か預かってらっしゃるということですが・・・」
と言われたので
「連絡先を教えていただくか、私の連絡先をお伝え頂けますか?」と
答え、電話番号を伝えました。
Fさんから電話はすぐにかかってきました。
午前中の火葬に出てくださったのは彼を含めて
数人の、元同僚たちだったようです。
Fさんは泣きながら父の死を悼んでいました。
前歯のどこかが抜けているのか、
聞き取れない言葉がいくつもありました。
私の父も、前歯が1本なかった。
私はすごくすごく温かくほっとした気持ちになりました。
電話を切って、私は遺骨とともにラボへ戻り、
そして家に帰りました。
こぶたラボのスタッフSNSに
「父が亡くなりました。
こんどのこぶたカフェはちょっとぼーっとしたり
奇行があるかもしれません、フォローよろしく」
と書きました。
スタッフからは
「奇行してください!」
「じゅうぶん悲しんでね」
などなど書き込みをもらい
本当に本当に受容と安心と信頼を感じました。
みんなありがとう。
そして、誰かに
話を聴いて欲しいなあ。
つれづれと、思うことを話したい。
と心から思ったところへこぶたスタッフであり、
ブライト・リスニングの研究生のとよちゃんから
ツイッターのDMがきました。
「大丈夫ですか?なにかできることあったら言ってください。
わたしの実父は20年以上音信不通で突然死の知らせが来ました。
お力になれればと思っています。 」
このDMがなくても、私は
とよちゃんと話したい!と心から思っていたのでした。
お父様の訃報を、音信不通ののちにうけて
突如お葬式を出した話を聞いていたので
なんとなく
状況は違えど、感覚的に共感してもらえる
とくに
戸惑わずに驚かずに聴いてもらえる!
それを私は求めていたのだと思います。
「ありがとう!とよちゃんと話したいなあ」
と返すとすぐに
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私が、どれだけの安堵を得たのか
どうやって書けばいいのか、
わかりません。言葉にならないです。
私は「聴く」仕事をしていて
辛い時に私を思い出して連絡をくれるクライアントさんに対していつも
「この辛い時に私を思いだしてくれてありがとう!」と思います。
だけど
「聴いてくれる人が居てくれること」
の有難さを感じる立場になったのは初めてかもしれません。
混乱の淵に立ち、
その深い闇へ引き込まれそうな時
私を現実の岸へつなぎとめる
太い命綱のように感じました。
「こんな時、聴いてくれる人がいれば」
そんな時にすべての人に
聴いてくれる人がいて
すべての人が
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聴ける人であるということ。
それを実現していきます。
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