NVC(非暴力コミュニケーション)ワークショップで、
アメリカでの教育実践の話を聴いたその夜、
映画【プレシャス】
http://www.precious-movie.net/
を観た。
昼間ワークショップで聴いた話は
「1か月(だっけな?自信なくなってきた)で3人の殺人があった高校」
という衝撃的な学校でのNVCの取り組みで
「その年はもう殺人が起こらなかった」
という結果もなんというか絶句するような過酷な状況。
参加者のひとりが「そこは危険な地域なんですか?」と質問をしたら
講師のキャサリンは
なにかを訊き返した。(聴きとれなかった私)
質問した参加者が
「3人も学校で殺人があるなんて、危険な地域かと思って」と補足したら
「3人も学校で殺人があったと聞いたら、私はその学校には
共感を必要とする痛みが、たくさんあるのだと思います」
とキャサリンが答えた。
「危険」
というレッテルを貼るのでなく
「そこには、痛みがあるのだ」
と感じる。
その感性を身につけられたら、
本当に子どもたちにもレッテル貼りをせずに
寄り添っていけるんだろうなあ。
分厚いレッテル帳を抱えた私にとっては修行だ。
まずは自分自身をそのクリアファイルから出さないと。
で、その夜観た【プレシャス】は、きつい映画だった。
太っていて黒人で貧乏で日常暴力にさらされる少女は「プレシャス:宝物」という皮肉な名前。
そんな状況をワークショップで聞いた実際の話(ビデオも観た)のすぐあとだったので
よりリアルに響いた。
プレシャスはこれでもかというどん底の状況から
オルタナティブスクールで出会う教師や、
ケースワーカーの女性(見たことある人だと思ったらマライア・キャリーだった!)によって
少しづつ、希望や、意欲をつけていく。
映画は最後の最後まできつい状況を描き続けるのだけど。
私が痛みを感じるのは、
底辺から1ミリでも上にいけばそれが希望だという過酷さよりもむしろ
底辺から脱け出せないばかりか
さらに転落していく人々のことだ。
そこには
「共感を必要とする痛みが、たくさんある」のだ。
プレシャスの実父、養父(養ってないかも。ただの母親の恋人)
自分勝手さの権化のような行動を繰り返すプレシャスの母親。
誰も彼らに共感しない。
その痛みに寄り添ってはくれない。
だけど
それだから
状況は変わらないのでは?
罰ではなく、サポートが必要。
映画のラストシーンではケースワーカーは、
母親の涙ながらの真実の告白(自分勝手な言い訳つき)に
憤懣やるかたない様子で席を立つけれど
あの叫びに
誰かが心からの「共感」を差し出して
その痛みに寄り添い
本当の望みにつながる手助けをしてあげられたら
この映画が本当に希望の映画になる。
「お母さん、あなたにも、本当のサポートが必要なようですね」
そう言ってケースワーカーがほほ笑んでくれたら。
誰かを傷つけたり
何かを間違えたり
そんな時に必要なのは
罰でなく、サポートなのだ。
そうでなければ
傷つける側を降りられない。やめれば傷つけられると信じているから。
間違える場所から出ようとしない。
出られると思ってないから。「バカ」という太字のレッテルの中にいるから。
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