存在承認 | 拝啓 29歳の女子へ

拝啓 29歳の女子へ

30歳を目前にし、次の行き先が見えなかったあの頃。
あの頃の私に夢のきっかけを与えてあげられるような自分にになろうと決めた。
夜で出逢った人たちが生き抜く知恵を与えてくれたから。

たっぷり湿気を含んだ風と微かな波の音とラテンの音楽が流れる中、それにも増して踊る人々の熱気でむせるような非日常のパーティで久しぶりの友人と極めて日常的な会話をひとしきり終えた後、振り返った先の彼の一言により私は一気に閉塞へと突入する。


「おまえ、最低だな。」


友人との会話の途中、彼は私を呼び止め、今まさに流れている曲にまつわる先日の話の続きをし始めた。

私はそれを軽く往なし、再び友人との会話に軌道を戻した。


私は友人との近況報告に夢中だった。

そして、彼は思い入れのあるその一曲をどうしても踊りたかった。


「決して、単なる嫉妬だと思わないでほしい。」

彼はそう言った。


そもそも、初対面で紹介した時がまずかった。

名前、知り合ったきっかけ、簡単なプロフィールを彼とその男友達とを私は同等にお互いを紹介した。

彼が彼の女友達に対していつもそうするように私も「彼氏」という言葉を加えていたなら、こうはならなかったのではないだろうか。



【存在承認】

人間は潜在的に周囲に認められること=承認されることを重要視するし、ステータスの一つとして考える。

逆に承認されないことを嫌い、恐れ、無視され続けることで生きる価値を感じられなくなったりもする。

恋愛においては、常に得られる存在承認から、安心感を覚え、自分が認められるその場所を居場所として認識し、故に愛を感じることができる。

恋愛感情の重要な要素の一つなのではないかと思う。

例えば、浮気。その行為の最中、相手の中に自分の存在はない。

そして、いわれない嫉妬。相手の言動の中で自分の存在を感じられない時、その愛を疑う。



一人の時間が長かったせいか、どうやら対の意識が薄い。

もっとも、これまでの恋愛は個同士のものであったため、自分の友人関係とをリンクさせることに慣れてはいなかった。

彼と私との摺り合わせるべき点がまたひとつ見つかる。



キャバ時代に常にタッグで営業をしていた友達との間で鉄板の接客があった。

初対面である彼女のお客様の席に私が付き、彼女がそれぞれ紹介した後、すかさず私が「あー、あの○○さんね!」とやっと出逢えたといわんばかりに言う。

すると、たいていのお客様は「あのって何々?」とまんざらでもない顔つきで聞いてくる。

そこで、彼女と顔を見合わせて「んー内緒。ねー。」と意味ありげに好意的な表情で会話をする。

彼らは思う。自分の知らないところで自分のお気に入りがその一番の友達に自分の話題をしているのだと。


「あの」の効果は偉大だ。

たった二文字で存在承認してるのだと勘違いさせることができる。

だって、私は目の前の○○さんのことなど一切知らないのだから。