10月18日午前1時11分
父が他界しました。
昨年の冬に癌診断と
余命4か月の宣告を受けてから1年8か月ー
治療の仕方も自分で選び
可能な限り自宅で過ごすという
自分の意思を貫いて
亡くなる少し前からは
点滴も痛み止め以外の薬も一切使わず
傾眠状態に入ったまま
苦しみを感じることなく旅立つ という
理想と思える最期を見せてくれました。
私と息子が到着したその日の夜のことで
私たちの3日前にはオランダから妹も駆けつけており
母と妹と3人で
父の最期を見届けることができたことは
哀しくも幸せなことでした。
2か月ほど前から
ベッドで横になっている時間が多くなり
夏に帰省したとき
夫と3人でゆっくり散歩をしたのが
最後に見た父の元気な姿。
癌が骨やリンパに転移していたため
痛みが強く出ており
起き上がるのが辛くなってきた頃でしたが
お散歩行かない?と誘ったところ
一度は しんどいからやめておく と答えたのに やっぱり行く と着替えていた父。
そのあとも
吐き気がひどくて水以外口にできなくなり
起き上がる力もなくなって
ベッドのうえで尿瓶を使うようになっても
私と息子が行くと
豆乳を飲むようになったり
車椅子に乗って自分でトイレに行こうとしたり と
つきっきりだった母が驚くほどの
気力・生命力を見せてくれました。
若い頃は貿易船に乗って世界を廻り
船をおりた後は奥多摩の山奥で
半時給自足の生活をしていた父。
いつでも胸のなかにロマンを宿し
自然を愛し、花と緑を愛でて
好きなものには
こだわりを持って生きていた父。
その魂は私と妹にも
そして息子にも
受け継がれているように思います。
目の前で父の呼吸が止まり、鼓動が消え
冷たくなり、骨になった姿を見ているのに
今でもまだ、日光に帰れば
父が おーい よく来たね と
笑って迎えてくれる気がします。
もう会えない
もうふれられない
もう呼んではくれない
不意にこみ上げてくる悲しみと寂しさに
笑ったり泣いたりめまぐるしい自分をそのまま抱いて
父の面影をひとつひとつ
追いかけてゆこうと思います。