レコード以前の時代へ | 第四玉手箱の備忘録

第四玉手箱の備忘録

ブログの説明を入力します。



前回、ジャズという音楽が形づくられる以前のアメリカ黒人によるポピュラー音楽 ラグタイムを取り上げた。

ラグタイム初期に活躍した主な楽器がピアノだったことが幸いし、楽譜のみならずピアノロールが残っていて、私たちは100年以上前のラグタイムを(ほんの一部だけど)聴くことができるヘッドフォン

そのラグタイムをバンド形式の音楽‐ジャズ‐に発展させ、聖地ニューオーリンズで“初代ジャズ王”の称号を勝ちとったのが、1877年生まれのバディ・ボールデンである王冠2



本バディ・ボールデン‐Wikipedia‐



この人のレコードは、今のところ発見されていない。

音が残っていないことから、バディに憧れ尊敬する人たちによって伝説が語り継がれ、やがて伝説は一人歩きするようになった。
「バディのコルネットの音はホンマにでかかった。その音は、ルイ・アームストロングがマイクを通して吹く音量に匹敵する」
といった伝説の数々がニューオーリンズでまことしやかに語られる。

幻のジャズ王への憧憬…。


アメリカのテレビ番組で、ジャズ・ミュージシャンのウィントン・マルサリスがバディ・ボールデンについて語っている。
この番組は、以前日本でもNHK教育テレビで放映された。日本版は当然ながら吹き替えだったけど、YouTubeに投稿されているのはアメリカ版である。
英語がわからなくても、豊富な写真とマルサリス氏の笑顔と演奏で、十分に当時のニューオーリンズの雰囲気をうかがい知ることができるチョキ



映画 Buddy Bolden



大酒呑みだったバディを、音楽仲間は「キング」と呼んだが、女性たちは「キッド・ボールデン」と呼んでいたという話もある。
音楽の天才が恋愛においても天才だとは限らない。

度重なる深酒のせいか、彼は頭痛を訴えるようになり、1907年のある日、とうとう発狂して精神病院に収容された。演奏中のことだったという説もある。
そして、1931年に54歳で亡くなるまで、実に20年以上もの歳月を病院で送ることになるのだ。
天才の音楽活動は、1907年を最後に永遠に途絶えてしまったのである。

残された病院のカルテには、バディが
「みんなが俺の悪口を云うてるのがしょっちゅう聞こえてしゃーないんや」
と医師に訴えていたと記録されている。典型的な妄想型統合失調症の症状だ。
ちなみに当時この病気は「早発性痴呆症」と呼ばれていた。天才画家ゴッホの症状とも酷似しているらしい。

このあたりのことが書かれた翻訳本(確か旧ソ連のジャズ評論家が書いたものだった)を、学生時代に友人に貸したまま返ってこなかったので、細部の記憶が曖昧なんだけど、本によると、バディ・ボールデンの母上が病院に宛てた手紙が残されている。
短く綴り間違いだらけで句読点すらないというその文面が、今も胸を締めつけられるほどの哀れを誘うしょぼん

「センセどうかせがれチャーリーボールデンのようだいをしらせとくれやすクリスマスのプレゼントをうけとったかどうかしらせとくれやす○○通××番地アリスボールデン母より」

当時治る見込みがなかった病に侵された成人した息子を案じる、文盲に近いであろう貧しい母の心中は察するに余りある。

世間から隔離され、狂人として一生を送ったバディ・ボールデン。
天才の活動期間は僅か7年ほどにすぎなかった。
けれども、彼が創造者のひとりとして生み出したジャズは、その後さまざまなミュージシャンに受け継がれていくのである。

バディ・ボールデンのオリジナル曲の再演がYouTubeに投稿されている。テレビ番組でバディ・ボールデンについて熱く語ったウィントン・マルサリスの演奏によるものだ。



CDBuddy Bolden's Blues



熱心なリサーチャーたちが、ニューオーリンズの街で長年バディのバンドの幻のレコードを探していた。
ハリケーン・カトリーナの襲来は、そんなリサーチャーに打撃を与えなかっただろうか?
ぜひ朗報を待ちたいものである。








Buddy Bolden

第四玉手箱の備忘録-tumblr_m3xxelsLxE1rpnkjdo4_250.jpg