短編小説【月光酒 抄─香─】⑦ | るこノ巣

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「うわあああああああああああああああああああああああああああっっ!!」
 喉が、割れた
 そう、思え来るくらいに、叫んでいた。
「千佳子……千佳子が……」
 千佳子は、ごろりと、転がっていた。
 白い車。どうして気付かなかったんだろう。ボンネットの辺りは真っ赤だ。べちゃべちゃに汚れてる。その側に、千佳子の体が転がっていた。半分だけ。
 自分の膝に、透明な水が落ちた。
 あの時は、紅い水が、かかっていた膝に。
 同じ紅い水の上で、千佳子はどんよりとした顔のまま、転がっていた。
 下の半分は、車の向こうにあったそうだ。車と、ぶつかった木に挟まれて千切れたらしい。後で、誰かが教えてくれた
「なんで、何でオレ……」
 体中が、ガタガタ震える。
 抱えた頭が、ズキズキと痛む。
「忘れてたなんて……どうして! どうして千佳子が死ななきゃならなかったんだよ 何でこんな大切なこと、忘れ……っ、なんでっ……」
 声が引き攣る。泣いてるのかな、オレは。目の前がまっくらでわからない。
「なんでっ……ちかこ……千佳子ぉっ……」
 え?
 頭に、何か、当たった。
 優しく、撫でるような、くすぐったいような、感じ。
「それは、兄さんが悲しすぎたからやろな」
 優しい、水華さんの、声。      
 漸くオレは、蹲ってた自分に気付いた。
 心なしか、喉が痛い。
 水華さんは、優しげな微笑みを浮かべてオレを見つめてくれている。
「か、なし、すぎた?」
 声が詰まったけど、頑張って訊くと、水華さんはゆっくりと頷いた。
「大切な人を亡くしてしまう……人が、生きている以上、それは必ず訪れることや。誰にも、避けることなんか出来ひん」
 ゆっくりと、水華さんは喋り出した。
「病気だったり、事故だったり、偶には自殺だったり他殺だったり……色色と物騒な世の中らしいから、考えたくもないような、見たくもないような別れ方も起きてしまう」
 その、通りだ。千佳子の、あんな姿、見たくなかった……
「ちかこ……」
「失った人が大切であればあるほど、尚更悲しい。もう二度と、その人とお話も出来んようなるんやからな。ビデオや写真で、過去を見ることは出来ても、それは“今”ではない。“今”は、二度と来ぃひん。特に、兄さんみたいに悲惨な場合はその“瞬間”がこびり付いてしまうこともある。それが、大切な人を失ってしまうことや。兄さんには、言うまでもないことやけどな」
 こぽぽぽ
 水の音がするので見てみれば、何時用意したんだろう、水華さんが急須でお茶を淹れている。苦笑いを浮かべて粗茶やけどな、と差し出してくれたので、素直に受け取った。温かい。
「悲しいことや、それは。どうやっても逃げられへん悲しみや」
「うん……熱っ!」
 冗談抜きで舌が取れたかと思った。
「すまん、ウチ茶あ淹れんの苦手やねん。さぁちゃんとかに教えて貰たんやけどな」
「い、いや、熱いだけだから…味はいいっすよ」
 ちょっと慌てる水華さん。頭を掻いて苦笑いする。本当に、味は良いんだ。只、恐ろしく熱かった。さぁちゃんとは、誰だろう? ま、いっか。
「で、話を戻すけどな……」
 そして、また、真剣な表情に戻る。
「この、悲しみやけど…人には、色んな悲しみ方がある。状況にも依るけど、本当に人それぞれや。周りが驚くほど、泣いて喚いて叫び散らす場合もあれば、魂でも抜けてしもたかのように、何にも手につかんようなる事もある。ショックが強すぎて、“死”を受け入れられんようなる人もおるし、後を追ってしまう人かておる。ウチは死んだ人の霊なんて見えんから分からんけど、まるでそこに死んだ人がおるかのように振る舞ってしまう人もおるらしいな。
 勿論これは、それぞれ人の悲しみ方やし、どんな態度がより悲しいかなんて比べる必要もない。お葬式とか行って、泣いてない人に薄情や、なんて抜かすヤツもおるらしいけどな。所詮本人以外には、本人の悲しみの度合いなんて分からへん」
 その通り、なんだろうな……オレは……
「オレ……葬式、行ってない……」
 ぽつり、と零した。そうだ、あんまりにも悲しすぎて認めたくなくて、まして棺に入ってる千佳子の姿なんて見たくなかった。だから、
「兄さんは、認めたくなかったんやね……それも、悲しみの一つの形や」
 ゆっくりと、水華さんは頷いた。
 それから、お茶を少し飲んで、更に続ける。
「そうは言うても、人間いつまでも悲しみ続けるわけにはいかへん。悲しみ続けとったら、自分の方が参ってしまう。大抵の人は、いつか、何らかの方法で悲しみから脱出出来る。
 立ち直る、吹っ切る、そないな風に言えばええかな。自分をちゃんと生きる為に、も一回前に進めるようになった訳やな。
 そして、」
 すい、とアーモンド色の目がオレを見据えた。
「兄さんは脱出方法に“忘れる”事を選んだ」
 頷くオレ。そうだ、確かにオレは、忘れてしまっていた。大切な、多分、大好きだった
千佳子のことを、まるっきり。
 大好き、なのに?
「何でやろ、て顔やな。しゃーない、コレは兄さんの感情が決めたんやない。兄さんの脳味噌が決めたんや」
「の、脳ミソ」
 突拍子もない、て言葉は、こういう時の為にあるんだろうか。
 けど、水華さんは淡淡と話を進める。
「驚くのも、まあ無理ないかな。ウチも、別に科学者やないから根拠はない。今迄に聞いてきた話とかから浮かんだウチなりの仮説や。
 兄さんの脳味噌は、兄さんがこれ以上苦しんで悲しんで嘆き続けることを危険と判断して、無理矢理にでも忘れさせたんや。悲しみ続けることで、兄さん自身の色んなもんが停滞してしまう。それを阻止する為に、さっき言った“自分をちゃんと生きる”ようにしたんや。更に、二度と同じ悲しみを繰り返させない為に兄さんの好みは変わった。
 今、月に本どれくらい読んでる?」
 急にふられた。えーっと、と呟きながら色色考えたが、やっぱり漫画くらいしか読んでない。
 せやろな、と頷いて水華さんはまた、びしりとオレを指差した。だから、目に刺さるって!
「けどな、それは立ち直り方としては良くないよ」
「うっ…で、でもさっき、色んな立ち直り方があるって……」
「その全てが、ええ立ち直り方やとは言うてへんよ」
「え……」 
 じゃあ、オレの脳ミソは、オレを助けたって、なのに何で、良くない??
「確かに、兄さんにとってチカコさんは大切な人やった。亡くなってしもたのが悲しいて苦しいて、忘れなあかんほど辛かった。
 けどな、実際忘れるのはあかん」
 もう一度湯飲みを口に運んで、水華さんの湯飲みは空になった。
 静かな声で水華さんは、チカコさんの写真やビデオがあるか、と聞いた。残念ながら当時のオレに、一緒に女の子と写真を撮る勇気はなかった、と答えたところで、水華さんは正座から一転、胡座をかいた。いや、スカートで胡座はやめてくれ……
「写真は、真実を写すものではあるけど写ったものは更新されることのない“過去”や。ビデオも、動くし音もあるけど“今”ではない。それでも、一応存在はしとる。
 だから、チカコさんのご両親や親戚とかは、“過去”のチカコさんを見ることで“現在”にチカコさんを生かしてはるんや。“過去”には思い出っちゅーもんがあるからな。それを思い出すことで、心の中に生かし続けられる。
 けど、兄さんにはそれがない。ちゅーことは、兄さんにとってのチカコさんは、兄さんの心の中、記憶の中にしか存在出来てなかったんや」