蟹スーパームーン満月が呼び起こす創作言語の絆 | 星詩-ほしうた-暮らし

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星占いと詩作(ことば)のコラボ生活...およびいわゆる占いウォッチャー(笑)+「占星音楽-ほしうたうらない-」コンテンツ発信に向け、現在ゆる々絶賛奮闘中


本日16日のスーパームーン満月



そう言われてみれば何となく少しだけ大きい気も...?

すぐそばには木星が、、、でも今日ばかりはさすがに控えめな輝きです


2014.1.16


それでも逆行中で次第に冥王星へと向かっていく

金星とオポジションとなる木星、、、

 
それを煽るかのような(タナトスのリリスと合となった)満月

 
満月には元々人を狂わせるという逸話もありますが

ただでさえそうなる満月が今回はスーパームーン


個人的には、この一年ばかり停滞気味だった創作意欲が

少しずつよみがえってきた気がしますね...


とはいえ、その心躍る創作全般を司る5室インのN海王星に

次第に近づいていくT蠍座土星、、、


そことトラインとなる1室の蟹月アセン合と重なったT木星

そして+このスーパームーン(汗


これは創作関係で否応なしにウズウズせざるを得ない配置(笑

加えて山羊座太陽は勿論、山羊冥王星に逆戻りしていく金星ともども、

個人的に非常によい位置に来ており、いわゆるホームベース型を形成


まあN土星と真っ向オポジションとなる火星が

さすがにプレッシャーかけてきてますが(苦笑


それでも、わざわざこうしてトランジットチャートを覗かなくとも、

すでにこの有機的な形が今、自分自身の中に躍動的に浮かび上がっている

(そして改めてホロを出して、ああと納得すると、笑)


そんなことを今、本当に実感している


そして多分、自分自身の中では、試行錯誤しながら、

「何かを作り上げる」という、その私個人の創作言語でしか、

誰かに伝えられないものもあるのだと――、


そのことをまた、こうして思い出している



「それ」がなければ築けない、つなげられない絆

そう、多分、、、


元々自分は、自分自身の中から何かを生み出さなければ、

容易に人に理解されない人間なのだと、ずっとそう思ってきた


だから、ずっとそうしたいと、そうしなければ他とリンクできないと思っていた

まるで自身の映し鏡のような「それ」で、ようやく誰かの目に像を結ぶ自分自身

だから「それ」は、おそらく私自身の半身なのだと



時には何かに妨げられ、そして我知らず忘れてしまっていた「それ」

それは、どうとでもなれという自分自身の安らかなあきらめでもあったけれど


でも、時々こうして思い出す

思い出さずにはいられない何かの熱に呼び起こされ


その突出した炎のような思いは、まるで生きることそのものの意思のようだ

時には忘れること、自分自身をゆるすことも必要だけれど

それでも突き動かされる衝動がどこかにあるのならば


それこそが自分自身というものの本質なのだ

容易には形に出来ない、目には見えないものを具現化する

それはもしかしたら、「こころ」そのものなのかもしれない


言葉はその手段であり一つのツール

いつしかそれを自分自身の糧として選び取っていた


そう、本当にそれは目には見えない

形のない、ただ感じることで初めて生まれ出る何か



互いを常に見つめるのではなく、互いが見つめている、

その彼方のものによって介する絆


多分それしかないのだと、こうしてまた実感する
 

自身が心踊る何かは、おそらく対岸の誰かも心躍るもの、、、

シンクロする、その同じ躍動によって初めてつながることができる


なぜなら、そういう自分でしか本当に生きているとは言えないから

おそらくは、そのことのただ一つの証なのだろう


生き生きとした瑞々しい心を輝かせている自分自身でいてこそ

はじめて誰かに理解され、そして愛されるのだと――、


そのことの真実に再び心動かされる

たとえ苦しくても、きっと自分は「そこ」へ戻っていく


その生みの苦しみは、本当の苦しみではないことを知っているから

多分その苦しみや痛みですら最上の喜びであると知っている


おそらく「それ」を生業にしてもよいと思える自分自身がどこかにいる

(ただまだ、その真の「スタイル」が整わないだけで)



少しずつ、少しずつ熟成していく

一見無駄と思える時間をかけたからこそ、いつか実を結ぶ


その豊潤な果実酒の味わいには、時そのものの光と影がブレンドされている

だから意味があるのだと


そのことに、いつか気づけるだろうか――、