ナチスドイツの哲学は、ニーチェを核としていると思う人が殆どかもしれません。
しかし、アドルフ=ヒトラー自身が最も影響を受けたのはショーペンハウアーです。
哲学上の分類はニーチェは虚無主義、ショーペンハウアーは悲観主義と言われます。
哲学に詳しくなくとも、虚無と悲観というネガティブイメージの共通はわかって頂けると思います。
しかし、その言葉は必ずしも彼らの哲学を端的に表現したものではありません。
ニーチェは後述するとして、ショーペンハウアーの「悲観主義」はあくまで哲学上の分類であり、日本人が日常で使う「悲観的な~」という形容と彼の哲学とは全く違います。
では、ショーペンハウアーの哲学とは?
端的に言うと「禁欲」です。
人間は挫折と苦悩の繰り返しで絶望し、それでも生の意志に突き動かされる。
それには禁欲に務めるしかない…。
これぞ、インド仏教哲学に影響を受けたショーペンハウアーの核です。
菜食主義者で酒も飲まず、嫌煙家のアドルフが影響を受けたのも納得です。
つまり彼も仏教が推奨する禁欲に傾倒してたしか考えられません。
では、何故、ショーペンハウアーの「禁欲精神」が「悲観主義」と言われたか?それはキリスト教圏における輪廻の否定と思います。
私が敬愛するセーレン=オービエ=キルケゴールでさえ、輪廻を否定しています。
生まれ変わりを信じない人間に取って「来世」は逃げ道の様に見えるらしく、今現在を一生懸命に生きない様に見えてしまうらしいです。
まぁ、この輪廻だけはキルケゴールと考えの違う私です。
私はやはり、生まれ変わりはあると思います。
だからこそ少しの縁を大切にしたり、世代や性別や言語とか障碍とか、自分でどうしようもないことに対して、来世を信じることで今を一生懸命生きる理由になると私は思います。
なお、ショーペンハウアーが「悲観主義」と揶揄された理由はもう一つ。
当時、同じベルリン大学には大哲学者ヘーゲルも居ました。
ライバル心を燃やすショーペンハウアーは、ヘーゲルと同じ時間に授業を開講します。
すると、ヘーゲルの講義室には学生が満員で、ショーペンハウアーの講義はガラガラでした。
失意のショーペンハウアーは大学を辞め、ヘーゲルは大学総長に任命されました。
「細心さによって損害を免れ、寛容さによって争いを免れる」
byショーペンハウアー