友人にとっても私にとっても、

この過去世を視るのは、

非常に辛いことでした。



場所はイタリア。中世。



黒い衣装をまとったその人は、

それなりに位の高い僧侶でした。



この人物が友人です。



そして私は、魔女と判断され、

牢屋に入れられている女性、イザベラ。



同じように牢に入れられた女性たちは

泣き叫び、助けてくれと懇願していました。



彼女たちは住民に密告され、勝手に

『魔女』とされた普通の女性たちです。



教会は魔女を狩り出し、自分たちの

立場を確固としたものにしようと

躍起になっていました。




僧侶たちは、自分たちのしている事が

神の御心に添うとほとんどの者が

信じて疑わず、単なる保身のための

人殺しだとは思っていないのでした。



実のところ私が過去世において、

誰かに殺されたのは、数知れず。



けれど不思議な事に、これまでは

ただの一度もそのことを恨みに

思ったことはありませんでした。



過去世を体験するとわかりますが、

ある人物が自分だとわかると、

なぜかその時の感情がまさに

今起きているかのように

よみがえってくるのです。



今の自分の感情ではないとわかっていても、

泣いたり怒ったりしてしまう強い感情に

揺さぶられることがしばしばあります。



誰かに殺される、そのような過去を見ても、

悲しい気持ちになることはあっても、

怒りが沸いてくることも、

うらみがましい気持ちが出てくることも

ついぞありませんでした。



そんな私が。



たくさん見た過去世の中で今回初めて、

強い怒りを覚えていました。


私たちを裁判にかけ、火あぶりに

しようとしている黒ずくめの僧侶に対し、

本気で怒りを感じていたのです。



面白い事に、友人がその僧侶の気持ちを

思い出し、ポツリポツリと語るその言葉の

一つ一つにカチン!!と来たり、

むかむかし続けていました。



『その時の常識だった・・』とか、

『そうするのが当たり前だと思っていた』

などという言葉を聞くたびに、

人を悪魔扱いして、火あぶりにすることが

当たり前!!??

と今の友人がその僧侶ではないことが

分かっていても、ありえない!!と

ものすごい反感を持っていました(苦笑)



イザベラの怒りの感情は、

現在の私の感情を呑みこみそうになるほど、

強く、たくさんの言いたい事が

あるようでした。



それでもその僧侶は、あまりの剣幕の

イザベラの言葉に、ふと

『もしかしたら、彼女も人間なのかも?』

という気持ちを抱き始めていたようでした。



彼女の話を聞きに時折、

牢に降りて行き彼女の言葉に

耳を傾けることもあったようです。



だんだんと彼女を哀れに思うようになり、

僧侶は、彼女だけなら逃がせるのではないかと

考えるようになり、それを彼女に伝えますが、

彼女はきっぱり『そんなことには意味がない』

と断ります。



彼女が怒っていたのは、

単純に自分が殺されることではなく、

僧侶たちが神の御心を忘れ、

自分たちの権力や保身に走り、

愛の本質を置き去りにしたまま

人殺しを正当化している、

ということでした。



このことに対する彼女の怒りは相当なもので、

うっかり私は現在の友人を憎みそうな気持ち

になっていました。



結局私は、他の女性たちとともに、

火あぶりに処せられましたが、

かの僧侶は、そのことで

心を痛める事となりました。



時間はかかりましたが、もしかしたら、

自分たちのやっていることは、

間違いなのではないかと思い続け、

ついには教会に居続ける事が難しくなり

教会を去りました。



彼はその罪滅ぼしとして、

教会の外の住民のために

その一生を捧げましたが、

心には背負いきれないほどの

深い傷を負っていました。



私はそれを最後まで見ても、

やはり、罪もない女性たちが

魔女として恐ろしい扱いを受け、

殺されていったことを許すことは

できないでいました。



怒りが自分の奥底からふつふつと

わいてくるその気持ちを

どうしても止められないのです。



私の中にいるイザベラは、

『なぜ、本当に自分のやったことが

間違いだと思っているのなら、

教会に踏みとどまり、どんな弾圧を

受けても、それを皆に

主張してくれなかったのか』

と怒っているのです。



教会の者たちが行っている事が、

どれほど神の声を代弁してはいないかを

語ってくれなかったのか、と。



友人はその朝一番に、

『ずっと自分の言いたいことを

正直に話したかった、

それが正しくても間違っていたとしても。』

と話していました。


それができるようになってうれしい、

とも。



「ずっとそれを望んでいた」と彼女は言い、

それがひょっとしたら、この過去世から

言いたいことを言えずにきたせいだったのかも?

と言っていました。



友人はその時の自分になり、

『私は神の御心に従って生きていきます』

と宣言しました。



そして他の人たちにも

『彼女たちは、人間なんだ、

私たちのやっていることは間違っている!』と

言い続けると言ってくれました。



私の過去世であるイザベラは、

その言葉を聞いて、

とてもほっとしていました。

 

『神の御心に従って生きる』とは、

愛を体現して生きる、ということです。



それができれば、実際の肉体がどうであれ、

問題ではないのです。



この言葉によって、ようやく怒りは

私の中から去っていき、彼女は僧侶に

感謝の言葉さえ遺しました。



『ありがとう』と。



この時の私たちの学びは終わりました。


こうして、私たちの過去の一つは

統合されていきました。



過去世はまだまだ終わりません。

私たちのたくさんの過去の

ストーリーの中には、

私も同じような感情を抱いた、

と思う人がいるかも知れません。



これはきっと、決して私たちだけの

学びではないはず、とここに書いています。



その学びを皆さんも共に学び、

あなたの中の過去を

一つ一つ統合して行ってください。



そうすることによって、

あなたのエネルギーはより軽くなり、

新しい世界で生きる事を楽に

してくれるでしょう。