こんばんは。黒影@恋愛戦略家です。
先日の某専門学校のプレゼン指導に限らず、人前で話すことは、やっぱり慣れが必要だ。それが対大人数であれ、1対1であれ、練習を積むことで必ず上手くなってくる。
そして、失敗をしながらも、繰り返すことによって話す内容が吟味され、記憶されて、さらに一連の行動が無意識にできるようになってくると、まるで子どものころに、補助輪を外して自転車を乗りこなせるようになったあのときのように、いつの間にか…喋れるようになる。
これは、別に根性論を持ち出すまでもなく、当たり前のことだ。
だから、話すのが苦手…という人は失敗を恐れるが、上手くなるには、その失敗をすることがすごく重要なんだ。
そして、ここからが本題。
このブログを読んでいる人のなかには、仕事柄、人前で話すことに慣れている、またはすでに訓練や練習をしていて、喋るのが得意だと言う人もいるかもしれない。
もちろんそれは素晴らしいことなんだけど、場合によっては、その上手さが鼻について、相手に真意が伝わらない…なんてこともある。いわゆる…胡散くさい状態。
先日、言葉にできないほどの強い想いがあって、想いを語れないもどかしさが、時としてその人の想いを雄弁に語る…という話をした。
その、語れないもどかしさをテクニックとして使うんだ。
photo by sjwilliams82
つまり、「わざと」口ごもったり、間を取ったり、または早口でまくしたてて、しどろもどろになる…ということをするんだ。
たとえば、映画の祭典アカデミー賞で、受賞者がスピーチのとき、感極まって言葉に詰まる…ということがある。同じように、伝えたいことがありすぎて、興奮して早口になって、何を言ってるのか分からなくなる…ということもある。
ボクらはそれを観て、その人の映画に対する想いや、スタッフや演者に対する想いを感じるから、ほんの数分間のスピーチで心打たれて感動するんだ。
それは決して「話の内容」だけに感動したわけじゃない。もちろん、スピーチの内容もすごく大切だけれども、それと同じくらい…または、それ以上に、言葉に詰まるほどの想い、または、止めどなく溢れる想いを(観て)感じて、ボクらは感動するんだ。
だったら、ボクらもアカデミー賞の俳優のように、言葉に詰まり、溢れる想いを抑えきれない…本気の演技をするんだ。
もしかしたら、上手く喋れるのにそんなことをするなんて、姑息だと思うかもしれない。
けれども、本当にキミが伝えたいことを、ちゃんと「伝わる」ようにするには、またはより強い印象を与えるには、演出が必要な場合もある。
だったら、姑息でいいじゃないか。
慣れた口調で、流暢に綺麗な言葉で話すことが、どんなにかっこよくても、それによって伝えたい想いが相手に響いていなかったら…何の意味もないんだから。
女の子に好意を伝えるとき…彼女を騙すためにウソをつくんじゃなくて、自分の「本気」を伝えるために、自分の中にもともとある感情や感覚、好きという気持ちを増幅して、より気持ちが伝わるように、アカデミー賞級の演出をするんだ。
つまり、キミの気持ちを乗せて、本気で演出することで、ただの情報としての話ではなく、相手の心を震わせるような感動を、相手の女の子の心に刻むことができるんだ。
上っ面だけの演出は、薄っぺらく感じるかもしれない。けれども、本気の演出は…やっぱり本物の感動を生むんだ。