こんばんは。
今日は”5”という数字がそろいました。
よくわからないけど、なんかよさそうだから写メしてみた。
さて、P320にある
15.客体は同一であっても、それを受け止める心がさまざまであるから、認識は様々に異なるのである。
17.客体は、心がそれによって染められるか否かによって、その存在を知られたり知られなかったりする。
とあり、心の話が書かれています。
これはよく私が心理学の部分で書いている、”認知”というもので、
同じものを見ても人によって、時によって感じ方が違うというものです。
おはよ!!!
とあいさつし、返事がない。
1、あれ?聞こえないのかな?
2、何か悪いことしたかな?
3、機嫌が悪いのかな。
どうとらえますか?
人は自分のことをどう思っているかによって、感じが方がずいぶん違います。
相手がどういった意図を持っているかなんて、全く関係ありません。
どう受け取るかということが、自身の世界を描きます。
1、の人は、「自分は無視される人間と全く思っていない。当然、挨拶しないからには聞こえにくいんだ」という人です。
この場合、自分は人に挨拶を返さないなんていうことはやったことがないというのが前提です。
なぜなら、自分がやったことがあることを想定するからです。
無視されるわけがないと自分のことを高く買っていたとして、自分が誰かを無視したことがあったり、機嫌が悪い時に挨拶をしない経験があると、「当然人もそうなのかも」と思います。
というわけで、ある人は2.3というように感じるわけですよね。
人はどんな心でものを見るのか?
そのフィルターを理解することがとても大事です。
それは自分を知るという行為です。
その際、自分で自分のことをどう扱っているのか?
ということと、
もう一つは、自分が人にどういったことをしてきているのか?
ということがとても大事になります。
だから、人に扱われたいように扱うべきですし、
自分のことをそう扱うべきです。
そこを変えるときっと人生は大きく変化していきます。
そして、17客体は心が逸れによって染められているか否かによって、その存在が知られたり知られなかったりする。
という部分は、何に気づきを持つのか?ということだと思います。
気づくことが全てです。
でも、今の私には気づけないことってたくさんあるのだと思います。
心がそのレベルに達すると、見えるものがまた違ってくる。
よく、
見える景色が違う
なんて言葉を使う人もいますが、経験を積むとやはりその分だけ違ったものの見方がなされます。
私は子どもを産む前と今とでは同じ物事を見ても、違った考えだったと思います。
また、その母親という立場からものを見ると世の中にはまだ気づかないものがたくさんあったとびっくりしました。
ベビーカーを押して歩くのですが、意外と大変でたかが段差ですが、
そんな段差あったけ???というほど段差だらけです。
そのようにして、フォーカスするとそこに血とエネルギーが流れるのだと思います。
気づきが全てですな。
だから、今ダメな感じがするのはまだ気づいていないだけ・・・
最後までありがとうございます!
Mico