前回の記事に関係するのですが、去年1年を通して考えさせられ、気づかされた

ことがあります。

 

それは、あまりに周りに頼り過ぎていた自分自身のこと。

 

歩けるかどうかわからなくて、1歳頃、医療型児童発達支援所でPTの訓練を受けた

ことに始まり、歩けたら歩けたで、次は児童発達支援へ行って療育を受けて、ここで

身体も強くしてもらったし、いろんな経験をさせてもらいながら、理解力が上がった

し、諦めかけていた言葉も出てきた。じゃあ、次は身辺自立だ、トイレトレも…と、

療育継続のみならず、特別支援学校を選択してそこでのさらなる支援を期待した。

また、発語が出たことでもっと教育的なことを望んだ。

 

親として当然の想いではあったのだけど、こんなに希望を言えるのは今の

障害福祉が充実してきたから。ある意味、恵まれてたんだということに、

遅いけど思い当たったのです。

 

そして、お勉強だって、公文に通ってパパや私が一緒にやっていくことで、大変

だけど成長を間近で感じることができる幸せ。これは大きかった。

 

考えてみたら、仕事をして長男を育ててたときは、保育所に預け、歩き出しもトイレ

も保育所任せ。言葉だって、どこが初語かなんてわからない。親だけでない大人の中

で成長することを良い事だと思っていた。悪いことではないし、長男はそれで良かっ

たと思っているけど、手をかけて育児したとはやはり言えない気がしている。今、

次男でそれを体感しているような状態だ。もちろん、長男以上に手はかかるのだ

けど…。

 

前回記事では悶々とした気持ちを綴りました。学校の先生とはいろいろあった

ので、これはこれで本当の気持ちなんですが、去年の支援校での経験は、自分自身

の甘えを見直すきっかけになったということもあり、決して悪いことばかりでは

なかったと思っています。

 

いろんな支援を当たり前にせず、ゆうさんとさらに前に進んでいこうと思うのです。