朝を迎えたが、全く眠くならなかった。
ときおり葬儀社に言われたように、葉っぱに水滴を取って口から飲ます動作をしたり、妻の髪を撫でたり。
その場から離れず、ずっと横にいた。
妻の穏やかな表情を見ては、思い出があふれてきて泣けてくる。
頭の中は「何で?どうして?」
この感情が繰り返される。
時間は朝の9時になっていた。
もう会社が始まっている時間だ。
会社に電話をして、簡単な指示を出して電話を切った。
次はお客さんに電話をしないと、、、。
うちの会社の一番大口のメーカーのお客さんだけに電話をした。
ちょうど直近の仕事を抱えていたので、連絡が取れないと迷惑をかけるから。
他のお客さんは沢山いるが、いまだに妻が亡くなったことは言っていない。
きっと幸せに新婚生活を送っていると思っているだろう。
しばらくすると、葬儀社から電話がかかってきた。
会葬礼状に載せるエピソードを聞く電話だった。
昨日の夜、妻に語り掛けたエピソードを話した。
「奥様の印象や好きな物、思い出に残っているエピソードなどお話し下さい。」
「そうですね、、。
私の妻はいつも笑顔の印象がありました。思い出すといつもニコニコしてる思い出ばかりです。
海外ドラマが好きで、よく二人で見てました。
思い出のエピソードですか、、、。
妻は生まれつき足に障害があって杖で歩いていたんですが、私も景色が見せたくてデートで張り切ってしまって、急な坂道を手を引っ張って登って行きました。
岐阜の養老の滝です。
それと、毎年花火をとても楽しみにしていたんですが、初めて浴衣を着て喜んだ日に限って雨が土砂降りりで、、。
後では笑い話なんですが、とても思い出に残っていて、、、。」
ここまで電話越しに話していると、当時の情景が鮮明に思い出されてきた。
この状況で元気だった頃の思い出話は、かなり酷だった。
「すみません。ちょっと待って下さい。」
泣きそうになって、言葉に詰まった。
「大丈夫ですよ。落ち着いてからゆっくり話して下さればいいですから。」
そう言われて、言葉に詰まりながらもエピソードを話した。
昼過ぎになると、義両親が交代で来てくれた。
一度会社に言って、引き継ぎをしないといけないので、一旦家族葬の施設を後にした。
アパートに戻ってシャワーだけ浴びて、車で会社に向かった。
運転していても、景色がいつもと違って見えた。
年の瀬のせわしない中、自分だけ世の中からはじき出されてしまったような感覚だった。
会社に着くと、みんなぎょっとした顔をしていた。
弟には言ってあったが、まさか会社に来るとは思っていなかったのだろう。
弟に引き継ぎの資料を渡し説明を手短にして、30分くらいで会社を後にした。
夕方、家族葬の施設に戻って、義両親と一緒に葬儀の打ち合わせをした。
朝話した会葬礼状の原文がもう出来上がっていた。
「この内容が良いかどうか見て頂けますでしょうか。」
渡された原稿に目を通した。
「きれいにまとめるもんだねぇ」
お義母さんが言った。
私は当時の思い出が一瞬に蘇って、部屋を出て隠れて泣いた。
だがすぐ部屋に戻って、その内容で進めてくれるようにお願いした。
「yoshiちゃん、昨日は一晩ここにいて疲れたでしょう。
今夜は私たちが泊まるから、yoshiちゃんはアパートに戻って休んでね」
本当はまだ一緒に妻と痛かったけど、義両親も一緒にいたいはずなのでアパートへ一旦帰ることにした。
アパートに戻った。
もう妻のいないアパート、、、。
帰って来ても、何もできなかった。
ただ椅子に座って、嘆き悲しむしかなかった。
ふいに妻のスマホが目に入る。
私はスマホは持っていないので、実際に妻のスマホを触りながら操作を覚えていった。
妻がなぜ死んだのか。
何か痕跡は残っていないのか、探した。
LINEの操作もこの時初めて覚えた。
メッセージを見て、痕跡をずっと探す。
最後にメッセージをしていたのはお義母さんで、亡くなった前日には短時間でとても多くメッセージを送っていた。
新しく見つけたうつのカウンセラーに行こうか相談している内容。
妻と同じ障害の二分脊椎で3人も子供を産んでいる人の事。
身体に良さそうな、サプリの内容。
身体の不調の悩み。
時々自分が無能に思えるという内容。
6~7通一度に送っていた。
これは今思うと、躁状態に入っていたのかもしれない。
話していた感じでは、ただ穏やかになったような感じだったが、、。
よくスマホでネット情報を見ていたので、履歴が見たくなった。
どうやって見るのかな?
適当に操作していると、履歴らしきものが出てきた。
履歴は前日の内容だけ残っていた。
それを見て思わず「うわっ!」っと声を上げた。
それは自殺サイトだった。
http://ameblo.jp/loveemichan/entry-11763985232.html