53.二度と取り消せない言葉 | いつかまた君と会う日のため(自殺・自死遺族ブログ)

いつかまた君と会う日のため(自殺・自死遺族ブログ)

2013年12月、最愛の妻をうつ病による自死で亡くしました。
結婚して1年1ヶ月、あまりにも短すぎました。
体に障害があったけど、懸命に生きていた妻。
妻の事を忘れない為、初めてブログを書きます。

妻と一緒に心療内科に行ってから、一か月とちょっと過ぎた。



ずっと妻を見てきたが、調子の悪い時とそうでもない時が、何となくわかるようになってきた。



調子が「まし」な時は、まだテレビを見ていても時々喋っていられる。



調子が悪い時は、じっと膝を抱えて小刻みに震えている。





3日程前に心療内科から処方される薬が変わった。



今までの薬は、その病院でも妻を含め3人しか処方されていなかったらしい。



一般的に処方されている薬に変わったと言っていた。



薬が変わる時は、副作用で落ち込むことがあるらしい。



妻は今までないほど激しく落ち込んでいた。





私が仕事を終えて帰ってきたら、リビングにじっと座って、毛布にくるまって小刻みに震えていた。


一緒に食事をしていても、一言も喋らず、眉間にしわをよせて溜息ばかりついていた。



家事を全て終えて、私がテレビを見てくつろいでいると妻が話しかけてきた。


「こないだの食事会は楽しかったの?」



3日前に私の実家の食事会に行った時の事を聞かれた。


母から兄弟夫婦がみんな集まって食事会をするから、来るかどうか聞かれていた。



妻の事があるので最初は断ったが、よく考えたら母の誕生日だという事を思い出した。



妻は実家で泊り、私だけ行ってきた。



「うん、楽しかったよ。一番下の弟の子が来ててね。ちょうど一歳になったけど、すごい人懐っこいよ。

全然泣かなくて、顔見るとニコニコ笑ってくれるんだ。可愛いかったよ。」




子供の話題を聞いたからだろうか。


妻はしばらく考え込んだ顔をして、口を開いた。

「yoshiちゃん。ずっと聞くのが怖かったんだけど、私が子供いらないって言ったらどうする?」




この言葉は本当にショックだった。


ずっと妻との子供がほしいと思ってきた。



だから反射的に言葉に出てしまった。

二度と取り消せない言葉を、、、。


「挑戦してダメならしょうがないけど、挑戦もしないなら、その時はどうなるか分からない」



「分からないって、どういう意味?」

妻が聞いた。



しまった!俺何を言ってんだ。

こんな落ち込んだ状態なのに。元気づけなきゃいけないのに、、、。



「もちろん今すぐって意味じゃないよ。今の状態じゃ無理なのはわかってるよ。

でも何年か後には挑戦はしてみたい。

でも今は治る事だけを考えてほしい。」


そういって言葉を濁した。





「もう(子供の事は)大丈夫だよ、って言ってほしかったな、、、。」


妻は悲しそうな顔でそう言った。


消え入りそうな小さな声だったけど、私にははっきり聞こえた。





この言葉は一生忘れない。


そして私が発した言葉も、、。



この私が言った言葉が、彼女を殺してしまったのだと今も考える。



なぜなら、この10日後に妻は自死してしまうのだから、、、、、。




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