「分かって欲しい」という被害者意識
の続きです。
「分かってもらえていない」
前提の時にはわたしは
話も長くて必死で話しても
「分かってもらえない」
という現実を生きていました。
「足りない」前提の
のカオナシだったから
愛も理解もリスペクトも
お金も喜びも
足りなかったです。
自分の人生をどう定義してるのか。
何が前提なのか
みつけてください。
それが現実になっています。
そしたら、それを変える。
でもね、自分にたくさんの
禁止がある人はそれを
みつけられないし、変えられない。
口先でいくら言い聞かせても
それを信じてなければ
変わらないしね。
まずは自分が
感じるすべての感情を
許すところから。
感情を良い悪いで振り分けて
悪い方を感じないようにしてきたこと
なんでそう思っちゃったのか。
ここでたいてい、
お父さんやお母さんが出てくる。
「分かってもらいたかった」
でもそうじゃなかった。
だから、諦めたか、ひねくれたか
悲観したか、達観したか
冷静になったかした。
でもそこには本当は
悲しかったとか、悔しかったとか
怒りとか、絶望が隠れている。
↑これがあることを許す!
↑2度とこれを感じたくないから
「分かってもらいたがる」のだ。
だから、諦めたか、ひねくれたか
悲観したか、達観したか
冷静になったかした。
でもそこには本当は
悲しかったとか、悔しかったとか
怒りとか、絶望が隠れている。
↑これをしっかりと味わう。
それが受け取るってこと。
↑これから逃げてきて
まだ逃げようとするから
おかしなことになっている。
感情をそのまま感じられない
ネガティヴ感情を味わえない
受け取れないのは
そこには逃げてきた隠してきた
これがいっぱいあるから。
だから、諦めたか、ひねくれたか
悲観したか、達観したか
冷静になったかした。
でもそこには本当は
悲しかったとか、悔しかったとか
怒りとか、絶望が隠れている。
心の部屋いっぱいこれに
占領されているから
そこにスペースが無くて
愛も豊かさも受け取れない。
そしてこれが
分かってもらえない
絶望や悲しみや怒りが
現実になる。
「分かってもらえなかった」
「与えてもらえなかった」を
創り続けてしまうのだ。
何から逃げてきたのか
勇気を出して見て!
つづく