富良野塾の想い出〜長老に褒められて嬉しかった③
お産の時の苦しさを忘れるように
富良野塾での2年間の苦しさも忘れました(笑)
忘れてしまった!と思っていました。
だから
長老に褒められて
長老に苦しかったよね〜
いや〜!本当に辛かった〜〜‼︎という言葉が
後から後からジーンと思い出されて
泣いてしまいました
そんなに深い心の奥の片隅にまだ忘れずにあった感情
押し込めて蓋をした感情って凄いものですね
自分自身、無意識に忘れていました
よく富良野塾の2年間は大変だったでしょう!と言われましたが
いえいえ、楽しかったです(*^^*)と答えてきた
嘘のない自分の言葉だっただけに
その感情が残っていた事には驚きました(笑)
あの頃、富良野に行くにはかなり遠い道のりで
千歳空港から占冠を回って入ったのですが
乗り継ぎの為に占冠で2〜3時間も待ちました
長かった〜〜
初めての北海道は
遠い遠い国に来たようでした
広くて大きくて
ワクワクしました!
心細さとワクワク感(*^^*)
まだ雪が残っていたっけ⁈
富良野駅まで
ベンツのジープで先生が迎えに来て下さって
キツネが道を横切った時には
父を説得してきた時の事を思い出して泣いてしまいました
携帯電話のなかった時代なんて
今では想像つかないですよね〜
信号もまばら!というか1つか2つ
コンビニもまだなくて
普通の商店まで行くのにも車で10分
深い山奥の谷でした
その谷に富良野塾を私達の手で作る所から始めたわけです
どこかの宗教のようじゃないか!
先生という教祖がいて
信仰する信者の君らがいて!と言われた事がありますが
外から眺めたら
そんな風に見えても仕方のない環境にいたことは確かかもしれませんね〜(笑)
でも、ちょっとそれとは違っていました
教祖⁈であるはずの先生は一緒に暮らしてはいなかったし
先生自体をみんなは知らなかったし
先生の作品を読んだ事も観たこともない人もいたし
向田邦子さんや山田太一さんの方が好き〜〜!都会で彼らに関われるなら、こんな所には来なかった〜〜!と言う人もいて(笑)
あの頃は先生を盲信するみたいな人の方が少ない時代でした
かくいう私も
先生の脚本は好きでしたしお芝居も好きでしたが
女優になりたい!と云うよりは
丸太小屋を作ってみたーい!
馬を飼って乗りた〜〜〜〜い!
農作業してみたい!という好奇心の方が強かったんです
父にも
立派な人になる為に修行して参ります!と言って家を出てきました