今日の朝日新聞朝刊に
『家族の責任どこまで 』
“徘徊中、線路に•••遺族に賠償命令”
という見出しの記事が載っていた。
この裁判に関する記事は、他の方のブログ
でも拝見していたが、あまりにもひどい判決。
「遺族は事故を防止する責任があり、それを怠った。故に鉄道会社に約720万円の賠償金を支払え」
という判決内容。
遺族の長男のコメント。
「一瞬の隙なく監視することはできません。施錠・監禁・施設入所が残るのみです。」
この判決が正しいなら、認知症の徘徊老人を在宅で介護している人間は、トイレに行く事さえ出来なくなる。
しかも、要介護1の85歳の妻まで、賠償責任あり、となっていた。
「賠償責任なし」とされたのは、介護を担っていない次男・次女・三女。
長男とその妻は、完全に貧乏くじを引いた形。
なんで、認知症の徘徊老人を必死に頑張って在宅介護していた者に、賠償金まで請求されなきゃならないんだ。
私が裁判官だったら、介護を分担すべき責任があるにもかかわらず、無関心だった法定相続人にこそ、賠償命令を出してやる。
徘徊は、本当に大変。
うちのじーじも、今でこそあまり歩けなくなったので、徘徊の危険性は少なくなったが、決してまだゼロではない。
以前、徘徊真っ盛りだった頃、真夏に自転車で探し回ったあげく、どうしても見つからないので、写真を持って警察に行き、行方不明の捜索を依頼した。
その後はGPS端末をズボンのポケットに縫い付け、GPSを貸し出していたタクシー会社に電話をかけ、位置を教えてもらい、車・自転車・徒歩で探し回った。
私が仕事中に、ばーばから
「じーじがまた出てって帰ってこん。」
という電話が、何度も何度もかかってきた。
その度に、職場の人に頭を下げ早退させてもらい、探しに行く。
そんな生活は、じーじが貧血で歩くことがおぼつかなくなるまで、約三年間続いた。
手錠を買って監禁しようか、と思ったり、歩けなくなるように脚の骨を折ってやろうか、とも考えていた。
他の認知症の周辺症状も大変だが、徘徊は他人に迷惑をかけることが一番大変。
我が家から踏切まで、歩いてたった三分。
うちが賠償金を支払うことになるかもしれない。
こんな判決、絶対おかしい。