このニュースはみなさんもご存じだと思いますが、先日いじめで自殺した少女を被写体にして写した写真が市長賞を取ったにも関わらず、「ふさわしくない」という判断で受賞を取り消されたというニュースがありましたね。

 

さらにこの話にはあとがありまして、このニュースを聞いたネット民はみんな怒って、市にクレームをつけたところ、市側は一転、やっぱりその写真は受賞することになったそうです。

 

このニュース、私も写真が趣味ですから他人事とは思えない話でした。

 

自分の撮った写真が、自分ではどうすることもできない被写体の都合で受賞を取り消されたらたまったものじゃありません。

 

また、この市側の「賞を取り消す」という行為そのものが、自分たちの主催するフォトコンテストを「アート(芸術)」ではなくて「コマーシャル(宣伝)」におとしめていると思います。

 

自分たちのやっているフォトコンテストが「アート」だというなら、応募してくる写真が見て美しいか否か、アートとして価値があるか否かだけが問題であって、被写体の事情や生き死になんて関係がないはずです。

 

その被写体の生き死にの事情を受賞の上で考慮するというのは、そのフォトコンテストが芸術の振興ために行われているのではなくて、市の宣伝のために行われていることを白状したのと同じです。

 

なるほど、市の宣伝のためにやっているフォトコンテストなら、被写体がいじめで自殺しただなんて縁起でもないですよね。被写体として市長賞の受賞にふさわしくないとも言えるでしょう。

 

あくまでも「アート」である、という見方からも「いや、たとえアートであっても被写体が持つストーリーは作品のうちに含まれる。よって市長賞にはふさわしくない」という捉え方もできます。

 

でもそれならばたとえクレームが何件来ようとも受賞させるべきではなかったのに、クレームがたくさん来るや一転受賞させてしまいました。

 

大衆に迎合してしまったと言えるわけで、まさにこのフォトコンテストは「アート」ではなくて「コマーシャル」であることを二度も認めてしまったわけです。「アート」なら大衆の意見は聞かなくてもいいですが、「コマーシャル」は大衆の意見こそが全てですからね。

 

何もこの自治体だけでなくて、日本各地で、自治体や公共団体、企業などによるフォトコンテストは開催されています。そしてそのコンテストの多くは「アート」を標榜していますが、実際はそうした団体がバックに付く地点で求められているのは「(町の宣伝になる)アート」「(村おこしになる)アート」「(企業のイメージアップになる)アート」であり、つまりは「コマーシャル」の域を出られないということがよく分かった一件でした。

 

写真は今年の彼岸花です。