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恋愛小説『Lover's key』 #32-4 理想と現実(yua's side)






 

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 「ちょっと待ってて…」


 静まり返った住宅地にテルくんの小声が少し響いた。私の靴音もコツコツと響くから、音をたてないようにと心なしか忍び足になる。


 クロスバイクを置きに自宅奥へ入っていったテルくんを大人しく待つ私。その間は、何となく近所の人に気づかれたくなくて顔を伏せていた。


 勢いで来てしまったけど、ここに着いてみると改めて本当にこれでよかったのかと躊躇する。でももう抑え込むのに疲れた自分もいて。


 今はこの流れに任せたいと、少し自暴自棄になっているのかもしれない。だけど、そうなったからこそここに来る決心ができたのだとも思う。


 「お待たせ。こっち」


 更に小声で私を誘導するテルくん。私の右手は再び彼の左手にガッチリと握られた。


 それだけで私の心が踊るなんて…そんなのおかしいけど。でも、今日はそんな些細なことさえも私の心に響いてしまう。


 護られている───。


 一瞬でもそう感じられるのは、とても嬉しいことだった。


 玄関を開ける前に一度足を止め、私のほうを向いたテルくんは急に私の耳元まで顔を近づけてきた。


 突然のことに驚いて一歩引いてしまったけど、それでも構わずテルくんは囁いた。


 「玄関で靴脱いだらそれ持って無言でこっそり2階行って…」


 「あ…」


 そうか。と、私は苦笑いした。キスされるわけじゃないのに一歩引いて身構えた自分が恥ずかしくなる。


 こくりと頷くと、テルくんは目で合図しながら玄関をそっと開けた。


 室内は静まりかえっていることを勝手に想像していたけれど、うっすらとテレビの音が聞こえる。


 玄関には百合の花が飾られていて、甘い香りが広がっていた。前回も同じ状況だったけど、もしかしたらテルくんのお義母さんは百合の花が好きなのかもしれないな…なんて悠長に考えてると。


 “行って…”テルくんは再びアイコンタクトを送ってきた。私は靴を持って音を立てないように急いで2階に上がる。


 私が無事に2階に上がったことを確認すると、テルくんは玄関の扉をバタンと音を立てながら普通に閉めた。


 その行動に一瞬驚いたけれど、テルくんは足音も気にせず2階へ上がってくる。


 ここの住人なんだから当たり前の行動なんだけど何故か心拍数が上がってしまって。踊り場でさらに目を丸くした私を見て、テルくんはニコっと笑った。


 「部屋、入ってていいのに」


 さすがにそれはできなくて、私は肩を竦めて頭を左右に振った。するとクスっと笑われて。


 「そーゆー可愛いことしてっと襲うぞマジで」


 そう言いながら私の後ろからテル君が自室の内開きドアを開ける。


 そして。


 背中をトンっと押され部屋に優しく押し込まれるような動作に、さっきとは違う種類のドキドキを覚えた。


 「っつーか、部屋超汚ねぇな…」


 ドアを閉めたあと、電気をつけたテルくんは私の前に出てきた。そして部屋を暖めるために床に無造作に置いてあるエアコンのリモコンを操作したあと、参考書や雑誌を片付け始めた。


 全然汚れてなんかないよって、声をかけたい。この間来たときも思っていたけど、男の子の部屋にしては綺麗だし、飾ってあるものもセンスがいい。


 「気にしないで…」


 緊張の中やっと出た言葉と共に、なんとなく突っ立ったままじゃ悪くて私も一緒になって本を拾う。


 「こんなことなら昨日掃除しときゃよかったよ…」


 テルくんはそう言って、少し顔を赤らめながら私が渡した本を受けとった。


 「全然大丈夫だよ…。突然こんなことになっちゃったの私のせいだし…本当にごめんね」


 申し訳なくてペコリとお辞儀をする。するとテルくんは空かさず返答した。


 「謝ることねーよ。連れて来たのオレだし。それより、着替えとか持ってる?」


 そう言いながら私の大きな鞄をチラっと見たので、私も頷いた。


 「えっと…パジャマみたいなスウェットならある…かな」


 「じゃ、オレ10分だけ部屋から出るからさ。その間に着替えてろよ。スカートじゃ座り辛いだろ?」


 「あ…うん……でも……」


 私はテルくんの部屋で着替えたりするつもりは全くなかった。単純にこのままここで話せればそれでいいって思っていたのに。


 そんな気持ちを知らないテルくんは、背を向けてタンスのような引き出しから自分の服を取り出して振り返った。


 「オレが出たらなるべくすぐ着替えてね。10分より早く戻るかもしんないから」


 そう言い残すとドアの外へ行ってしまった。階段を下りる足音が聞こえる。


 「……どうしよう」


 誰も居なくなった部屋で私は独り小声で呟いた。自宅や友人宅のように寛ぐつもりはないけど、スカートよりスウェットのほうが確かに座りやすい。


 着替えたからって何かあるわけじゃないけど、彼氏が居ながら他の男の子の部屋で着替えるのはやはり少し気が引けた。


 「………」


 私は暫し考えたあと、鞄からスェットを取り出した。結局は着替える決心をして急いでコートとワンピースを脱ぐ。そして脱いだ後は服を丁寧に畳んで鞄の隣に置いた。


 まだ部屋が完全に暖まっていないから少し寒い。私は膝をぎゅっと抱えこむように体育座りをしてテルくんを待った。


 ぐるりと、部屋を見回してふっと浅いため息をつく。


 進一とのことで酷く落ち込んだあとなのに、数時間後にはテルくんの部屋に居ることになるなんてさっきまでは全く想像もしていなかった。


 普段の私はこんな風に男友達の部屋に行ったりしないのに。


 通常時に比べると今日の私の羅針盤は狂いっぱなしで。改めて冷静になって考えてみると本当にここに来てよかったのかと少し怖くなった。


 テルくんはどこまでも私を惑わせる。だけど、この強引さに惹かれてしまうのも事実。


 ───理想はテルくん。でも現実は進一…。


 そんなワードが脳裏にパッと浮かんだ自分が情けなくて、頭を横に振ってかき消そうとした。更には膝におでこをくっつけるように首を擡げてみる。


 (何やってるんだろう…私…。今は進一との問題を一番に考えなきゃいけないのに……)


 ものすごく気持ちがぐしゃぐしゃで。私はテルくんが戻ったらこの状況をどう話せばいいのか考えあぐねていた。







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