昔の自分と出会った日
先日、中学校の同窓会がありました
卒業してから およそ○十五年経って初めての開催とあって
予想以上の人数が集まり それは賑やかでした
受付で胸に旧姓の名札を貼ってもらってから会場に入ると
遠くの方から ひと目で私を認識してくれた人達が声をかけてくれます。
口の悪い男性達に 「太ったな~~~!」と言われ
やっぱり二の腕を堂々と出してノースリーブで行かなきゃ良かった、と
散々後悔したけれど、後の祭り
横浜の運河に面したパーティー会場のワンフロアを貸切り
熱気と蒸し暑さから逃げるように 運河に張り出したテラス席を陣取り
そこからはフロア全体を見渡せました
女性も男性も分かれていない。
みんなゴッチャゴチャに混ざって飲んでしゃべって大騒ぎ
顔を見るとみんな満面の笑み
中学の頃のまだしがらみのない間柄だからこそ出る笑顔だからか
おじさん、おばさんもみんな子供みたい
よく子供達の写真を何枚も映し出すCMがあるけれど
あれを見るたびにいつも感じていたことがあります。
子供の笑顔って本当に自然で大きいな~
なのに大人になると笑顔は小さくなって作り物みたいになっちゃうな、って
特に男性は大人になるにつれて無邪気に笑うことが減るって聞いたことあります。
処世術を身に着けるうちに、なかなか素の自分が出せなくなるのかも。
バリの男の人はとても無邪気な笑顔ですよね。
いくつになっても心の底からの笑顔ができるって
心が自由な証拠のように思えていいなぁ~と思います
みんなと話し込んでみると、子育てが一段落したと思ったら
今度はそろそろ年をとって体の弱ってきた親と同居したり
身の回りの世話をしているという人も多かった。
離婚をして今はシングルの人、実家に戻って子育てをしている人etc...
本当に様々、人生いろいろ・・・
いろんな経験をしてきて、ほんの少しだけど
相手の苦労だったり、感じてきたことを察することができるようになるから
年をとるのもそう悪いことじゃないな。
でも笑顔で近況を話してくれる相手の顔に浮かぶ
言葉にしない悲しみとか寂しさも同時に感じて切なさも(w_-;
それと今回の収穫はまだありました。
今でもたまに思い出す中学の時のいくつかの出来事
いじめたとかいじめられたとかではないけれど
まだ繊細な10代の心に感じていた ほんの小さな棘のような・・・
お互い相手を認識した瞬間
ほんの少しの照れとか戸惑いを見つけたので
おそらく私と同じような記憶を心に留めていたんだな。
「元気でしたか」と敢えて話しかけると
とてもうれしそうで安心したような笑顔を返してくれる
いくつかのそんな出来事のあった相手の中で
欠席だった一人を残して、近況を報告したり思い出を話したりして
次に偶然どこかで出会うことがあっても ちゃんと言葉を交わせるように
自分の中でクリアにすることができた
私は自分の中に残っていた小さな棘をきれいに抜くことが出来たけれど
他の人はどうだったろう・・・
何人かの人は 「覚えてる」と声を掛けてくれて
いろいろな思い出を話した。
そんな風に思ってたの と驚いたことも多々ありました。
みんなそれぞれ 私と同じように自分の過去の出来事を
ほんの少し整理・整頓していたのかも知れませんね
過去に私のしたこと、言ったことで
私が全く気づいていない棘をまだ心に持っている人がいるかもしれない。
また日々生きていて忘れていたのに
相手に会ったことで記憶が蘇ることもあるし・・・
どんなこともすぐに忘れてしまえれば それが一番楽だけど
人によって種類は異なりこそすれ
よく覚えている種類のことってありますよね
自分の中で消化できていないことこそ、よく覚えている気がする。
どんどん消化してサッサと手放す・・・それが一番
そして中学を卒業する間際に亡くなったKくんのこと。
前にこのブログでも書いたことがありますが
小学校の頃からなにかと縁が深かった男の子。
みんなと賑やかに談笑しながらも
彼がそこにいないことを寂しく思っていました
でもそんなふうに感じる時、彼はそこにいるのだと本で読んだことがあります
夜の7時から11時まで続いた同窓会の帰り道
一人で東横線に揺られながらそんなことを考えていました