合掌 | ロトスとれんこん

ロトスとれんこん

田舎暮らしのほっこり生活

ばーちゃんが亡くなった。

旦那はんのばーちゃん。結婚して半年間一緒に暮らしたばーちゃん。


この半年は人から受ける言動や行動で、私の人生の中でダントツ1位!

ってかこれ以上は絶対もうない!と言い切れる程、死んでしまいたいほどつらくて苦しい半年間だった。


新婚生活なんぞ皆無、胃炎で倒れ、血尿がでた半年間。


たった半年だけれど、本が何冊もかけるほど色々なことがあった。

けどここには書かない。

フェアーじゃないし、何だか悪口になっちまう。悪口になったら癪だもの。


「ばーちゃんが死んでも、私は泣かないし泣けないから。」と昔、旦那はんに言った事があるが

やっぱり泣かなかった。そして泣けなかった。


母に「あんたの意地だね。女の意地。」と言われた。


どんなにヒドいことをされても、身の回りのお世話をし、ばーちゃんが食べたいというものを作り、

どこどこに連れて行けと言われれば何処でも車で一緒に行った。


どんなにツラくても、実家には連絡もしなかったし、帰りもしなかった。

母の言ったとおり、きっとアタシの意地だったんだろう。


嫁としてやることはどんなことがあっても完璧にしたい(全く完璧でなかっただろうけど)。

周りからは「絶対つらくなるからやめてとき。」と結婚を反対されたのに嫁に来た私の意地だ。

ホームに入居してからは毎月の支払にあっぷあっぷしながらもかき集め支払ったのも意地だ。(といっても旦那はんのお給料やけど。)


ばーちゃんのおかげで気づけば私の神経は屋久島杉のように図太くなってしもうた。


毎日祭壇のお花やお供えをしながらお線香をたく。

手をあわせながら、いつも思う。


どえらいばーちゃんだったけど、ばーちゃんがいなかったら旦那はんもいない。

旦那はんもいなかったら、きぃちゃんもいない。

わたしの大切な宝物の家族2人と出会えなかったのだ。

やはりばーちゃんは私にとって必要な人だったのだと。


偶然かロトスの命日と同じ2月18日にばーちゃんも天に召された。


今日もまた同じことを想いながらきぃちゃんと並んで手を合わす。


ロトスとれんこん

















ばーちゃん、お義母さんを産んでくれてありがとう。

そしてロトスとそちらで仲良く遊んでよ。安らかに。