日本の教育とその問題(13) | 《太陽水素文明への道》

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このブログは、マスターのミクロ/マクロ問題に関する私見を述べたものです。

12 学園犯罪とスクール・ポリス

世界最先進国アメリカは、同時に深刻な犯罪大国でもある。

実際、2010年において、日本の凶悪犯罪(殺人、強姦、強盗、暴行)は人口10万人当たり5.9件、刑法犯総数は1238件(警察庁)であるが、アメリカでは凶悪犯罪403件、総数3466件(FBI)。凶悪犯罪で約70倍、犯罪総数で約3倍弱である。特に大都市部で多く、デトロイトでは凶悪犯罪1887件、総数5312件に達する。

それは教育環境にも重大な影響を与えている。学園犯罪の凶悪さも日本の比ではない。

(1) テキサスタワー乱射事件

1966年8月1日正午、テキサス大学オースティン校で前代未聞の凶悪事件が発生した。同大学大学院生チャールズ・ホイットマンが本館時計塔(タワー)にM1カービン銃、レミントンM700狙撃ライフル等の銃器、さらには食料等を持ち込み、受付嬢や見学者を殺害した後、同時計塔展望台に立て籠もり、眼下の人を次々に撃ち始めたのである。

地元警官隊が急行したが、なんと犯人は元海兵隊員の一級射手だった。最終的に警官が地下水道から侵入してチャールズを射殺するまでの96分間で、警官や一般市民など死者15名、重軽傷者31名を出す大惨事となった。もちろん、過去最悪の事件である。後で判ったことだが、チャールズは、事件に先立ち妻と母を殺害していた。残した遺書によれば「悲しませたくないから」とのことであった。

犯人チャールズ・ジョセフ・ホイットマンは1941年6月24日生まれ。裕福な中流上層家庭で何不自由なく育った。成績優秀でスポーツ万能、音楽の才能を示すなど、恵まれた少年時代を過ごしている。一方、厳格な父親から体罰を含む厳しい躾を受け、父との関係は悪かったとされる。

アメリカ海兵隊で一級射手の資格を取ったのち、除隊。事件当時は建築学を学ぶ大学院生であった。性格は穏やかで快活。冗談がうまく、子供好きで、誰にでも愛想が良く、「模範的なアメリカの好青年」であったと言われている。

1966年、両親が離婚したころから発作的暴力衝動や激しい頭痛に悩まされるようになり、カウンセリングを受けている。事件に際して遺した遺書で、死後自分を解剖するよう意思表示するとともに、父親に対する憎悪の念をぶちまけた。父親と弟に宛てた遺書も残されていたが、父親宛て遺書は現在も公表されていない。

事件後、遺言どおり解剖が行われ、間脳視床下部からクルミ大の腫瘍が発見された。それが扁桃核を圧迫して暴力衝動を誘発していた可能性があるが、高度の計画性を見せており、不可解さは拭えない。思うに、それが狂気というものなのだろう。

(2) コロンバイン高校銃乱射事件

1999年4月20日、アメリカ合衆国コロラド州コロンバインのジェファーソン郡立コロンバイン高等学校で、前代未聞の凶悪事件が発生した。同校の生徒エリック・ハリスとディラン・クレボルドが11時10分から45分間にわたり次々に発砲、最後に両名とも自殺したのである。死者15名(生徒12名、教師1名、犯人2名)、重軽傷者24名。学校における乱射事件としては当時アメリカ史上最悪であった。

ハリスとクレボルドは、入学後しばらくしてから事件当時まで、校内の人気集団=体育会系エリート(ジョック)から、いじめの対象になっていた。そのことは、彼らの共通の知人で後に独白録を出版したブルックス・ブラウンその他関係者によって証言されている。

いじめられていたのはハリスとクレボルドだけではなかった。彼らの一部は結束して一種の自警団「トレンチコート・マフィア」を自称していた。ハリスとクレボルドはこの集団のリーダーと共通の友人であったが、黒のトレンチコートをシンボルとした彼らは、両名以外、事件発生以前に全員卒業ないし退学していた。

4月20日午前11時10分、各々の自動車でコロンバイン高校に同時に到着したハリスとクレボルドは、11時17分に爆発するようセットされた20ポンド(9kg)のプロパン爆弾2個、ポンプ式短銃身散弾銃、9mmセミオートカービンハイポイント955、9mm半自動拳銃イントラテック TEC-DC9、水平二連短銃身散弾銃で完全武装していた。当初計画ではカフェテリアで爆弾を炸裂させ、そこから逃げてきた人々を銃撃する予定であった。爆弾はカフェテリアと二階の図書館を崩壊させるのに十分な威力を持っており、少なくとも500名の生徒を殺害しようとしていた。

しかし、カフェテリアの爆弾は作動しなかった。そこで予定変更、午前11時19分、大虐殺を開始。目についた人間を片端から撃ち、あるいは爆弾や火炎瓶を投げて周囲を炎上させた。急報に駆け付けた保安官との銃撃戦をしのいで図書館に至るや、恨み重なる白帽の運動部員=「ジョック」とその取り巻きの女生徒を片端から射殺。ある女生徒は頭を二回叩かれ「見いつけた」と言われた後に頭を撃ち抜かれた。

午後0時2分、一旦図書館を出てカフェテリアで銃を乱射していたハリスとクレボルドは再び図書館に入った。警官隊の誘導によって生徒や職員は既に逃げ出しており、死体だけが残っていた。やがて2人は銃で自殺した。

ハリスの遺体を検死したところ、体内から抗鬱剤(SSRI)フルボキサミンの成分が大量に検出された。若年者が服用した場合、攻撃性や衝動性を増長する副作用のある薬物だ。精神失調を抱えていたハリスは、精神科医からフルボキサミン(製品名ルボックス)を処方されていた。

当然、事件との関連が疑われ、被害者遺族らがルボックス販売会社を告訴した。しかし事件との因果関係は認定されなかった。

(3) バージニア工科大学銃乱射事件

2007年4月16日、アメリカ合衆国バージニア州ブラックスバーグのバージニア工科大学で、アメリカ史上最悪の学園犯罪が起こった。同大4年、当時23歳の在米韓国人男子学生チョ・スンヒが起こした銃乱射事件である。死者33名(教員5名、容疑者1名を含む学生28名)。痛ましいことに、犠牲者にはホロコーストを生き抜いた老教授も含まれていた。

犯人はコロンバイン事件を模倣した形跡濃厚である。7時15分、最初に学生寮で2名の男女の学生を射殺した後、郵便局からNBC宛にビデオと写真の入ったCD-Rを発送。犯行声明だった。9時20分過ぎに講義棟の教室に乗り込み、まず教授を射殺。次に教室の鍵を閉めて学生を外に出さないようにした上で銃を乱射した。9時45分、警察官が踏み込むと、屍山血河のただなか既に犯人は自殺していた。身元判明は翌日のことである。

犯人のチョ・スンヒは、8歳の時に一家で韓国ソウルからアメリカに移住。韓国籍だがアメリカ永住権(グリーンカード)を所有していた。両親と姉の4人家族であった。

所持していた拳銃2丁(グロック17とワルサーP22)は自分の身分証を使って購入した7万円相当の拳銃で、所持していたバッグから領収書が発見された。

事件の動機はよく判っていない。しかし、アメリカのメディアは、高校での知人などの取材を通じて、犯人が「場面緘黙症」(家庭では普通に喋ることができるにもかかわらず、学校など特定の社会的環境において喋ることができなくなる情緒障害の一種)だった可能性を報じた。

2007年6月13日、米下院は銃の購入者の犯罪歴や精神障害歴を厳しく審査する法案を可決した。強力な反・銃規制団体である全米ライフル協会も今回は支持に回り、2008年1月5日に成立した。

アメリカ世論は、当初、この事件は個人犯罪であり、在米韓国人社会全体が非難されるべきでないという姿勢であった。しかし、言論過激になりがちなインターネットの普及も影響して、韓国との間で感情的対立が生ずるのは避けられず、日中をも巻き込み、米韓の国民感情はいささか微妙になった。

(4) スクール・ポリス

こうした学園凶悪犯罪の増加を背景に全米で実施されているのが、公立学校に銃、スタンガン、催涙スプレーなどで武装した警官を常駐させる制度、スクール・ポリス(School Police、学園警察)である。

それが学校における無寛容政策(zero-tolerance policy)の一環であることに注意しよう。1980年代、薬物濫用に起因する犯罪が急増した。無寛容政策の提唱はこの時代に遡る。クリントンの『目標2000年法』も、そうしたことが背景になって成立した。

90年代に入ると青少年犯罪が重大な社会問題化し、遂にコロンバイン高校事件が起こった。かくて無寛容政策が全米に拡がり、それとともに登場したのが学園警察である。

学園警察官は校内に常駐し、常に廊下を巡回警羅し、何かあれば即応する。警察には学園警察担当部署がある。

学園警察制度は教師から歓迎されている。彼らが口々に指摘するのは「昔の学校とは違う」という事実である。

今の子供たちはふてぶてしく、やりたい放題で、親にも制御不能である。授業中にも騒ぐばかりで、学ぶ気などなく、妨害したいだけである。教師は子供の管理にエネルギーを浪費させられ、教えることに集中できない。

それに、高校生ともなれば、体力だけなら教師より上である。反抗的に向かってきたら身の危険がある。映画『暴力教室』(Blackboard Jungle, 1955)の世界。いや、現実は既に虚構を超えている。ゆえに、暴力や授業妨害を心配せずに教師が授業に集中するためにも学園警察は必要不可欠である──それが現場の教師たちの意見である。

アメリカの犯罪は、軽度のものなら日本の交通反則制度と同じく「切符」(ticket)を切られてすぐに釈放される。軽いものなら少額の罰金を納め、重ければ裁判所に出頭して多額の罰金や地域での奉仕活動などを科せられ、さらに重ければ収監される場合もある。これも日本の交通反則制度と同じである。

違うのは、日本の交通反則制度は「赤切符」でなければ犯罪にならないが、アメリカではすべて「犯罪」であり、記録に残り、後々の進学や就職にも影響するということである。

罰金額は500ドルに上ることがある。実質約5万円。だが、貧困層の親には払えない。放っておくと、子供が17歳になったときに裁判所から召喚状が届く。

そして、逮捕歴は子供にとって致命的なスティグマ(社会的烙印)となる。一度逮捕されると「問題児」として目をつけられ、奨学金を申請しても却下される。その影響から、昔なら教師が叱ったり親に電話したりすれば終わっていた程度のことが、監獄で過ごす人生へと子どもを方向づけてしまうおそれもある。

もちろん、それが殺人・強姦・強盗・傷害などの凶悪犯罪や薬物濫用ならばやむを得ない。実際、学校犯罪の約30%は薬物又は飲酒だという。しかし、素手で喧嘩したとか、授業中に騒いだり紙飛行機を飛ばしたりとかいう程度で子供を現行犯逮捕するというのでは、明らかにやりすぎである。社会全体として、教育責任の放棄が指弾されても仕方がない。

“The US schools with their own police”(The Guardian, January 9, 2012)は、テキサス州の事例を中心に、学園警察問題を批判的に報道している。テキサス州で2010年に切符を切られた子供は延べ30万人に達し、中には6歳の子供までいる。実態はそれ以上との説もある。

テキサス州では10歳から刑事責任がある。1993年にイギリスで起こったバルガー事件(2歳児が10歳の児童2人に拉致・殺害されたもの)を見れば、そのこと自体は正しい。子供を甘やかしてはならない。若さは凶悪犯罪の弁明にならない。

しかし、それでもなお、よほどの凶悪犯罪でない限り、子供に対する処罰は教育的でなければならない。アメリカにおける学校の教育責任放棄と警察依存体質は非行少年と向かい合う現場裁判官からも批判されており、連邦政府の憂慮するところとなっている。犯罪防止に傾くあまり、少年の適正処遇がないがしろにされているからだ。警察が子供の日常行動を過剰に監視し介入するのは、教育の破壊と学校の頽廃である。

日本でも、少年院は、犯罪者養成機関に堕しているおそれさえある。少年司法は、教育行政と協調して行われなければならない。

今後、少年院を代替学校として位置付けるとともに、中学校正課となった柔剣道の講師として、警察官を中学・高校に配置すべきである。彼らは非常事態に即応するが、普段は体育教師として子供たちと交流する。おそらく、それで校内治安問題は完全に解決する。