日本の教育とその問題(11) | 《太陽水素文明への道》

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10 現代アメリカの教育改革方策

『危機に立つ国家』以降、教育改革論議は盛んになったが、あまり改善は表われなかった。州の専管事項である教育への連邦政府の介入であるとして反発を受けたためである。 また、 教育行政の第一線=教育区の実情は複雑で、政党、教員組合、父母、人種、宗教、財界、官僚組織の主張、 利害が錯綜している。肥大化した学校組織、柔軟性を欠く法規や組合契約等も教育の改善を阻んでいた。そして日本と同様、教育界は結果責任制を欠き、現状維持志向であった。

そこで、公教育の「選択」「民営化」 という動きが現われた。

(1) 学校選択制とは

学校選択 (school choice) とは、子どもの通う学校を決定する際に、親に選択肢を与えることである。

一般に、公教育を選ばざるをえない家庭の子どもの場合、通学する学校は居住地に基づく教育区に限られてしまう。子どもの要望、教育の質、学校の安全や規律に不満があっても選択の余地がない。

そこで、公立学校にも選択の自由を、という考え方が出てくる。これが学校選択制である。

学校選択を推進する理由はおよそ次の通りである。

①公教育は地域独占状態である。ゆえに、学校に対する改善動機付けがなく、生徒にも抜け出す道がない。市場原理を導入して学校間競争が促進されれば、努力する学校は栄えるし劣悪な学校は淘汰され、公教育システム全体の向上を促進することができる。

②『目標2000年法』第8目標にあるように、 両親の教育への関与は生徒の学習成果向上のための重要な条件と考えられる。学校選択は両親に熟考する機会を与え、教育への関与を増大させる契機となる。


一方、 学校選択制の導入には批判がある。

①結果的に一部の生徒のためのエリート学校を作り出すため、かえって人種や所得間の不平等を拡大する。

②同一教育区内に公立学校の供給を増やすことになるので、限られた公的資金が分散され、 公教育の改革努力が妨げられる。


現在、学校選択形態にはオルタナティブ・スクール、マグネット・スクール、バウチャー制度、そしてチャーター・スクールがある。

(2) オルタナティブ・スクール

オルタナティブ・スクール (alternative school、代替学校) は、もともと1960年代に使われ始めた言葉で、本来「代替教育」理念に基づく学校を意味するものであった。

代替教育とは、新教育運動の一環として「旧教育に代わる教育」を標榜するものの総称である。教師や生徒の自主性を重んじ、学校経営の自主裁量を許容し、自由なカリキュラム編成と教育方法で育成する。多くは伝統的教育と根本的に異なる哲学に基づいて発展した。

例えば、オカルティストにして人智学の創始者ルドルフ・シュタイナーの創始したシュタイナー学校や、アメリカのホームスクール(通学することなく、家庭教師をつけたりインターネットで勉強したりする方法)に見られるような非常に強い政治的、学術的、宗教的又は哲学的な方向性を持つものがある一方、後述する「特約学校」のように、既存の教育手法に不満のある教師や生徒が集まって作り上げたものもある。

形式的には公立校、私立校、無認可校(営利・非営利)など様々であるが、大部分が①少人数クラス、②教師と生徒との近しい関係、③共同体意識の三点に重きを置く。この意味では日本のフリースクールも代替学校の一種であるが、正規学校ではないので、多くは通信制正規学校と提携して衛星校になり、そこで卒業資格を得る。

しかし、現在、アメリカの公教育における代替学校とは、「普通の公立学校に在籍すれば他の生徒に悪い影響を及ぼすような非行生徒、正規の教育では疎外されがちな生徒等を受け入れる」ものとして1970~80年代に各地の教育委員会が開校した学校をいう。無断遅刻、欠席、暴力・恐喝、麻薬・アルコール乱用、妊娠・子持ち等の不適応な生徒・問題児を送り込み、強制的に矯正指導を受けさせ、指導を受けて矯正が認められた生徒は元の学校に戻ることができる。要するに、日本の《少年院》的機能を併せ持った学校である。

代替学校制度はゼロトレランス (zero-tolerance、無寛容) 方式に基づいて運用される点が日本の少年院と異なっている。暴力行為、麻薬、非行等を行う生徒に対して事情を聞いたり理解したりせず、外形的法規/校則違反に罰則を一切寛容なしで適用し、代替学校に送り込む。

後述するように運用の行き過ぎを批判する声もあるが、アメリカの学校に秩序をもたらしたのは無寛容方式と代替学校である。このため、現在では各州にくまなく設置されるようになった。ただし「代替学校」とそのまま名乗ることは少なく、地名、人名その他の名称が使われることが多い。

日本も少年院などに学校機能を持たせ、全寮制代替学校として扱い、無寛容方式で児童の問題行動に厳正対処すれば、ほとんどの教育問題は解決するであろう。もちろん、卒業は元の学校の資格ですることとし、入院事実はプライバシーとして秘匿する配慮が必要である。

(4) マグネット・スクール

マグネット・スクール (magnet school、磁石学校)とは、独自の特色あるカリキュラムによって多くの生徒を惹きつけることを目的とした学校である。磁石が鉄を吸い寄せるように、学校の特色・魅力で生徒を引き寄せようとする。公立学校だが、教育区の指定を持たず、広い地域から生徒を募集することが認められる。

磁石学校は、もともと人種差別撤廃の手段だった。1970年代、学校の人種的バランスを取るため白人学校へ黒人生徒を、黒人学校へ白人生徒を通学させたが、このるとき、法的強制力のあるバス通学の方法が取られた(スクールバス)。これに対し「地元の学校に通えないのはおかしい」という反対運動が起こり、時には流血騒動になった。この解決策として、魅力ある公立学校を造り、結果として人種の統合を図ろうという方法が取られた。

魅力の源泉は「特別なカリキュラム」とされる。学術的カリキュラム、芸能教育カリキュラム、職業教育カリキュラムなど様々に特化が図られ、優れた教師が配置され、施設が整備された。そうなれば当然入学希望者が増えるので、選抜問題が生ずる。公立学校であるから選抜条件は地元の生徒の入学を妨げず、人種別構成のバランスを失わない配慮が必要となるが、いずれにしても私立校同様の問題点が生じてくる。

日本でも最近創設された「公立中高一貫校」が磁石学校としての性質を持っている。

(5) バウチャー制

磁石学校を財政的に支えようとしたのがバウチャー (voucher、学費券) 制である。これは、学費の一部又は全部を公費負担することにより学校選択の枠を広げようとする試みである。経済学者ミルトン・フリードマンが『資本主義と自由』(1962) の中で最初に提案した。

制度はこうである。親が子どもの通う学校を自由に選べるようにするため、連邦政府は授業料に充当できる現金引換券=学費券を負担する。就学校は公立/私立を問わない。公立ならば学費は全額免除になり、私立ならば差額を親が負担する。要するに、公立と私立、公立同士、学校間に競争原理を導入して学校教育の質的改善を図ろうとする試みである。

導入以前、経済的制約で低所得層の家庭が私立学校を選択することは困難だったので、学費券制は確かに選択の自由を拡大した。だからそれは社会正義の実現に寄与するものとされた。

しかし、学費券制にも問題点が指摘されている。

①私立校の多くは宗教系である。学費券は結局私立学校を公費補助するので、特定宗派のために支出する結果となる。ゆえにアメリカ合衆国憲法修正第1条に違反する疑いがある。

②本来公立学校が受け取るべき財源が私立へ振り分けられるので、公立学校はそれだけ予算減となる(公費流出論)。実際、全米各州の教員組合は、このゆえに学費券制を非難している。

③自由競争原理で切磋琢磨することによって学校改革を目指すとする理念も、実際にはなかなか実現困難である。

④成績の悪い公立学校から10%の優秀な子どもを救出することができても、残りの90%以上の子どもたちが通う公立学校を救うことは難しい。

⑤私立学校に希望する生徒のすべてを入学させる義務はない。しかし、公立学校は学習能力や品行に問題のある子ども、障害のある子どもなど、すべてを受け入れる。私立学校は公的補助を受けながら公的責任は負わなくてもよいのか。


ジョージ・ブッシュ大統領は磁石学校を推進し、学費券制支持を表明していた。しかし、彼が1992年大統領選挙で敗れたこともあって、学費券制は必ずしも普及していない。

(6) チャーター・スクール
チャーター・スクール (charterschool、特約学校)は、代替学校の一種である。従来の公立校に不満を持ち、新しいタイプの学校を自分たちの手で作りたいと希望する教師、 親、 公私の団体等が設置申請者(operator)となり、設置許可者(sponsor)と特約(charter)を結び、法規適用免除を受け、教育区に拘束されることなく独自の教育理念とカリキュラムで自律的に学校運営を行う。1992年、ミネソタ州セントポールで最初に開校され、その後、全米に広まりつつある。

飽くまで公立学校なので、運営には公費が支出され、入学希望者が定員を上回れば入試でなく抽選などの「公平な」方法が取られる。運営費は、 当該教育区の生徒一人当たり運営費又は州補助金額に基づき、入学生徒数に応じた金額が教育区又は州政府から支給される。 この資金は学校を転校する生徒に附随して移動するため、従来型公立学校と特約学校の間には生徒/資金獲得競争が生じ、公教育全体の質の向上が期待される。

特約学校の真髄は教育の結果責任(accountability)である。設立許可に当たって教育目標及びその達成方法、成果測定の方法等の組織運営、権利義務等が特約状に規定される。特約は目標が達成されなければ更新されず、何らかの違反があった場合には取り消される。したがって、教育目標の達成と、生徒の期待に応えるための努力が常に求められる。

実際、これまで約200校が閉校している(ただし、運営上の理由がほとんどで、成果不良が原因なのは非常に少ない)。学力達成度評価は標準学力試験(SAT)や州の学力試験を利用する。特約学校のカリキュラム・教育目標で一番多いのが基礎教育、 次いで大学準備、 科学・数学・技術の順となっている。

現在、全米の公立学校は約92,000校、私立学校は約27,000校。生徒数は公立学校が約4,700万人、私立学校が約600万人である。かつてクリントン大統領は一般教書演説で「全米の特約学校を西暦2000年までに3,000校にする」と述べた。現在、特約学校法を持つのが40州(コロンビア特別区を含む)、そのうち実際に設立されたのが37州ある。校数約2,700校、生徒数約68万人。公立学校のうち校数で約3.0%、生徒数で約1.5%である。小規模校が多く、平均的特約学校の生徒数は約140名、従来型公立校は約475名である。

特約学校は、要するに公立学校民営化の一形態で、通学校指定だけでなく、学校開設・運営・カリキュラム策定の権限を市民へ譲り渡す試みである。学費券制など公費補助が公教育の民営化/廃止論や公的資金流出論をもたらしたことに対する行政側の対応であった。

各州の定める特約学校法によって異なるが、教育委員会が許可者の場合には設立が難しい(弱い特約学校法)。最大の既得権益者である教員組合の猛烈な反対を受けるからである。特約学校の推進者チェスター・E・フィン・Jr.は言う。「公立学校は決して失敗を認めません。そして公立学校は、読み書きができない子どもを卒業させ続けているのです」と。我が国にもそのまま通ずるものと言うべきではなかろうか。

特約学校は、期待する声がある一方、懸念する声もある。実際、セントポール第1号校は2000年5月に経営不振で閉鎖され、特約学校の難しさを示している。また、不安定なので音楽・芸術・体育の教員がなかなか集まらない。公立校として必ずしも妥当な形ではないのだ。

私見だが、そもそも、学校選択より教育の成果管理と結果責任を正面から問う方が何ほどか効果的だと思うのは、果たしてわたしだけであろうか。