振り返ることおおよそ3年ほども前のことです。
ぼくの通っておった小学校のもうひとつ山の奥にある小学校が平成13年に休校になっていて、それをなにかに使っていかないといけないのでないか、というようなおはなしがあり、運よくこれに関わることになりました。
誰もいない職員室。
紆余曲折、七転八倒、五里霧中。
いろいろなことがあり書くときりがないのですが、今となってはおおむねうまく進めることができたのではないかと思われるのです。
この小学校の校舎は、野外体験の活動を含めた宿泊施設にすべくことを進めることになったのでありました。
ちょこちょこと改装が始まったのは昨年の夏前のことでした。
野外体験を旨とした宿泊施設にしていこうとなってからのち、どんなふうに運営をしていくべきか、いろいろな方とはなしあいをする機会があったのでしたが、多くの反応では、わざわざ泊まりに来たり、山で遊んだりする方があるわけがない、無駄だろうというのが多かったのでした。
(このブログを読んでおられる方の多くは、普段から山に行って遊んだり、自然を観察する機会が多いでしょうから、野遊びがおもしろいことだというのが当たり前になっていると思いますが、世の中の実際には、そういった反応なのであります)
それでも、夜な夜な、集まってははなしあいを続けていったのであります。
ともあれ、改装の工事が終わり(ぼくがやったわけでありませんが)、ひととおり、校舎のなかを使えるようになってきました。
冬の終わりの見える2月の中ごろのことです。
地元の芸術系の大学の学生さんたちが子ども向けのイベントを企画して試しに泊まってくれることになりました。
校舎内はきれいになって、明るく、人がこんなに入るのも久しぶりのことであったでしょう。
3月のはじめ。
建物の内覧会がとりおこなわれました。玄関が開くと興味を持ってくださった方、卒業生の方などがたくさん来てくれました。
人が集まったのでせっかくだからのもちつき。
近所の奥様たちが集まって見学に来てくれた方についたもちをよそってくれております。
テレビ局や新聞の記者さんなどもやってきました。
サービスカットでわんこの写真など。
そして白い朝日連峰。
内覧会が終わりましたが、ほんとのオープンまではまだちょっと準備が足りません。
日当たりのよいところにアズマイチゲが咲きだすころのことでした。
建物の看板は地元で林業をやっている奇特な若者がこしらえてくれました。
これは製作途中の様子。
ロッカーと、
なんだか懐かしい感じのする木製のいす(これと机もセットであるのですが)は、ぼくが図面原案を引き、建具やさんが作ってくれました。
ばったばたしながら、新しくオープンすることとなったのは4月の1日でした。
(このときにはまだ泊まる準備が終わっておらず、館内の見学などだけでしたが)
地元のみんなでここを運営する団体を作り、これまで準備を進めてきたのでした。写真に写っている以外にもたくさんの方が関わってくれております。
一同でずらりとならんで開館の記念撮影を。(ぼくは撮っているから写っていません。)
いつのことだったか、埼玉の北本へ行ったことを書いたのでしたが、ここを運営していくにあたって、埼玉で自然観察のガイドのお仕事をしていた方が、こちらに生まれたばかりのお子さんも連れて移住をして、この建物でガイドなどをしていくことになったのでした。以前に埼玉へ行ったのは、その方に会いに行ったのでしたね。実は。
泊まることができるように準備の整ったのは5月の連休の目前のことでした。
宿泊の営業を始めることができるようになった日をグランドオープンとして式典を行いました。
テープカットならぬまき割りでオープンをしました。
県知事さんも来てくれてたいへん立派な式典になったのはもう思い出に近いかもわかりません。
その数日後のコナラの銀緑色の芽吹き。
その後、ここには徐々に人がやってきてくれるようになりました。
5月には泊まった方は23人だけでしたが、8月には200人を越え、日帰りの自然観察のお客さんもぐんと増えてきました。見学だけに来たかたも含めて8月までに2,500人ほどがやってきてくれたとのことです。
大江町山里交流館 やまさぁーべ
やまさぁーべ、は山に行こう、という意味合いの山形弁です。
これからどんなふうになっていくのでしょうね。
合宿であったり、オフ会、などぜひご愛顧いただきたいと思いますので、お誘いあわせてござってけらっしゃいなっす。
ぼくの通っておった小学校のもうひとつ山の奥にある小学校が平成13年に休校になっていて、それをなにかに使っていかないといけないのでないか、というようなおはなしがあり、運よくこれに関わることになりました。
誰もいない職員室。
紆余曲折、七転八倒、五里霧中。
いろいろなことがあり書くときりがないのですが、今となってはおおむねうまく進めることができたのではないかと思われるのです。
この小学校の校舎は、野外体験の活動を含めた宿泊施設にすべくことを進めることになったのでありました。
ちょこちょこと改装が始まったのは昨年の夏前のことでした。
野外体験を旨とした宿泊施設にしていこうとなってからのち、どんなふうに運営をしていくべきか、いろいろな方とはなしあいをする機会があったのでしたが、多くの反応では、わざわざ泊まりに来たり、山で遊んだりする方があるわけがない、無駄だろうというのが多かったのでした。
(このブログを読んでおられる方の多くは、普段から山に行って遊んだり、自然を観察する機会が多いでしょうから、野遊びがおもしろいことだというのが当たり前になっていると思いますが、世の中の実際には、そういった反応なのであります)
それでも、夜な夜な、集まってははなしあいを続けていったのであります。
ともあれ、改装の工事が終わり(ぼくがやったわけでありませんが)、ひととおり、校舎のなかを使えるようになってきました。
冬の終わりの見える2月の中ごろのことです。
地元の芸術系の大学の学生さんたちが子ども向けのイベントを企画して試しに泊まってくれることになりました。
校舎内はきれいになって、明るく、人がこんなに入るのも久しぶりのことであったでしょう。
3月のはじめ。
建物の内覧会がとりおこなわれました。玄関が開くと興味を持ってくださった方、卒業生の方などがたくさん来てくれました。
人が集まったのでせっかくだからのもちつき。
近所の奥様たちが集まって見学に来てくれた方についたもちをよそってくれております。
テレビ局や新聞の記者さんなどもやってきました。
サービスカットでわんこの写真など。
そして白い朝日連峰。
内覧会が終わりましたが、ほんとのオープンまではまだちょっと準備が足りません。
日当たりのよいところにアズマイチゲが咲きだすころのことでした。
建物の看板は地元で林業をやっている奇特な若者がこしらえてくれました。
これは製作途中の様子。
ロッカーと、
なんだか懐かしい感じのする木製のいす(これと机もセットであるのですが)は、ぼくが図面原案を引き、建具やさんが作ってくれました。
ばったばたしながら、新しくオープンすることとなったのは4月の1日でした。
(このときにはまだ泊まる準備が終わっておらず、館内の見学などだけでしたが)
地元のみんなでここを運営する団体を作り、これまで準備を進めてきたのでした。写真に写っている以外にもたくさんの方が関わってくれております。
一同でずらりとならんで開館の記念撮影を。(ぼくは撮っているから写っていません。)
いつのことだったか、埼玉の北本へ行ったことを書いたのでしたが、ここを運営していくにあたって、埼玉で自然観察のガイドのお仕事をしていた方が、こちらに生まれたばかりのお子さんも連れて移住をして、この建物でガイドなどをしていくことになったのでした。以前に埼玉へ行ったのは、その方に会いに行ったのでしたね。実は。
泊まることができるように準備の整ったのは5月の連休の目前のことでした。
宿泊の営業を始めることができるようになった日をグランドオープンとして式典を行いました。
テープカットならぬまき割りでオープンをしました。
県知事さんも来てくれてたいへん立派な式典になったのはもう思い出に近いかもわかりません。
その数日後のコナラの銀緑色の芽吹き。
その後、ここには徐々に人がやってきてくれるようになりました。
5月には泊まった方は23人だけでしたが、8月には200人を越え、日帰りの自然観察のお客さんもぐんと増えてきました。見学だけに来たかたも含めて8月までに2,500人ほどがやってきてくれたとのことです。
大江町山里交流館 やまさぁーべ
やまさぁーべ、は山に行こう、という意味合いの山形弁です。
これからどんなふうになっていくのでしょうね。
合宿であったり、オフ会、などぜひご愛顧いただきたいと思いますので、お誘いあわせてござってけらっしゃいなっす。