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プリトゥヴィツェ湖群国立公園の朝焼け。

本日は、終日移動日。








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宿のスタッフ男の子にエントランス1まで送ってもらいました。


やっぱり朝は昼間と比べものにならないくらい静かですねー。


9時45分発のバスですが、

クロアチアのバスは早く到着しても待ってくれず、ブン!と行ってしまうらしいので、

私たちも早くからスタンバイっ。









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エントランス1のバス停。



ここから、6時間半かけて

アドリア海沿いの街、スピリットまでゆきます。





このクロアチアって国。

最近になって鉄道ができたものの、

鉄道で移動するよりバスの方が早い

って言われたのよ。

(* ̄Oノ ̄*)

じゃあ、日本の新幹線なんてバック・トゥ・ザ・フューチャー並みなんだろうなぁ。


そのバスもですね…。

最近、高速道路ができて各地の街へ行くのには、

自家用車は便利になったそうですが。

バス路線は、小さな街に住むローカルな人たちのために、高速道路は使わず、

一般道を走るそうで。

日本だったら、すぐさま、高速道路を走るバス路線も考えつくところですが、

クロアチアは、最新技術に人々が追いついてない感じ。


というわけで。


レンタカーでも借りていれば、

3時間ほどで行けるそうですが。

ホリデーなのにリチャ殿ペンギンに運転させてストレスになるのは避けたいので。

ロンドナーウサギもストレスになるし。

(-。-;)





のんびり6時間半のバスの旅をチョイス。







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途中、バスから見える景色はこんな感じ。

この風景の先に小さな街があって、そこでローカルな人たちが乗り降り…。

また同じ風景が広がった先に小さな街に辿り着き…の繰り返し。






バスに乗る前に、リチャ殿が、


ペンギンユーゴスラビア内戦は、
実はこの国立公園から始まったんだって。


と言っていました。





ユーゴスラビア内戦。

1991年~1995年の間に、スロベニア、クロアチア、
さらにはボスニア内戦まで起こして、

当時のユーゴスラビア連邦を崩壊させた戦争。

ほんの20年前まで、お隣同士の国で戦争していたんです。





ロンドナーウサギはその頃、
日本で平和に暮らしていました。

たまにテレビ画面に写るニュースで、

ユーゴスラビア内戦

という文字は目にし、耳にしていたけれど。

どこかで戦争してるんだー。

くらいにしか思っていなかった。







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たった20年前には、ここで戦争が起こっていたんだ。

戦車がこの道を走り、激しい銃撃戦が繰り広げられていた。




今回泊った宿の近くにも、不自然に崩壊していた家があって、

宿のスタッフに聞いてみたら、

男の子20年前の内戦で攻撃された家だよ

と、教えてくれました。


3軒あった宿を建てるときは、まだその名残があって、

戦争で残った地雷を探す作業から始めた

とも話してくれました。





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国立公園周辺は、今はもうその地雷もほとんどが撤去され、
安全が確認されているようですが。


クロアチアのスラヴォニア地方
(この地方で作られたワインがロンドナーはお気に入り)

の草原や山の中には、

未だに地雷が埋まっているところがあって、

地元の人でも気軽に入っていけないエリアがあるそうです。







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そういう過酷の中にいた国が少しずつ、少しずつ発展していく。

だから、6時間半のバスの旅もここでは日常風景なんだ。


ドライバーは、ザグレブからドゥブロブニクまで約10時間を走ってる。


日本もそうやって発展していって、今があるんだもんね。




そんなことをつらつらと考えていたバスの旅でした。








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アドリア海沿いのとある街でトイレ休憩。


山を超えたら、全く違うお天気!!

晴れ晴れ晴れ


(^O^)/




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ここは、ザダルでした。








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国立公園と比べると、生えてるもんが違うー。


さて、私たちは、ここから更に2時間のバスの旅です。