なぜ民法を改正しなければならないのか
このブログでは、民法改正の動きについて、ときどきとりあげていますが、法律時報という雑誌の2009年6月号(第1009号)に、平成21年2月に開催された「民法改正フォーラム」がとりあげられていました。
そこでは、「なぜ、今、民法改正か」という根源的な問いがなされたということが紹介されていました。
そこで、星野英一さんという著名な民法学者が、
・「なぜ、今か」というような、社会の中のターニングポイントはないかもしれない
・民法が国民から程遠いところにあるので、一般の人にわかりやすい民法をつくる必要がある
・「民法とはなにか」ということが忘れがちになっているので、再検討するよい機会である
と述べています。
これに対して
・ピンポイントの時期ではないかもしれないが、現代は、長い周期でみたときのなだらかな変化の曲線の中の一つのターニングポイントとしての改正時期というべき
という考え方も示されたようです。
わたしは、民法を改正する理由があるとすれば、それは、現在の民法を無視した判決がたくさんなされているということだと思います。
本当は、法律をみれば、裁判になったらどのような判決がなされるか、わかるはずです。
しかし、実際には、法律の規定とは違う判決がたくさんなされています。
これは、放置すべきではない、ということです。
そうすると、改正の方向性は、次の2つになります。
(1)法律とは違う判決がたくさんなされているので、そうした判決にあうように法律の内容を変える。
(2)法律とは違う判決がたくさんなされているので、そうした判決がなされないよう、法律の内容は変えずにもっと明確に記述する。
前のエントリーでも書きましたが、法律学者のあるグループから(1)の方向の提案がなされています。
星野英一さんは、判決の内容をそのまま法律に書くのではなく、「判決の再吟味が必要」との発言をされたそうですが、まったく同感です。
わたしは改正するのであれば(2)の方向の改正のほうがよいと思っています。
わたしは、現在のわが国の民法の内容は非常に優れており、とくに大きく民法の内容を改正する必要はないと思っています。
それにもかかわらず、たまに裁判官が、直感的な思いつきで法律を無視したり、法律の規定に気づかずに、おかしな判決を書いている、というのが実態だと思っています。
判決をそのまま法律に書くのではなく、判決が妥当なのかどうか、再検討すべきです。そうすれば、ほとんどがおかしな判決だとわかると思います。
なお、現在、国で検討されているのは(2)の方向の改正のようです。