7:00起床
日本列島本州最北の都市青森を目指す!
10:14 秋田発→大館(やはりと言うべきなのか・・・青森までの直通在来線はありません。)
真っ白な風景に浮かび上がる2本のレールと枕木の上をひた走り11:55大館駅に着く。
今日も多くの学生達と乗り合わせる。
青森行きの発車までは1時間以上。
大館はハチ公物語のハチ公の故郷らしい。神社まであったよ。
ハチ公物語を見るといつも大袈裟に感動する妻を連れて来たいと思った。
(旅が終わり帰宅後ハチ公の故郷に行ったよと告げると、「えっ!大館に行ったの?」だって。映画の力ってすごいですね。)
雪が漸く止み陽がさしてきたと思っていたらまた雪。
東京を出て3日。体が寒さに慣れてくると共に最近仕事のストレスで出ていた目の痙攣が止まった。
ただひたすらに北を目指している。ひたすら在来線の出発を待ち、乗り継ぐ。
青森はもう直そこである。
見渡す限り全ての建物に錆が着いている様だ。
まず奥まで行ってみたい気にならない。
近くに工業団地があるらしいのだが、ここに来る出張者はきっとこの街では飲まないのだろう。
街を少し歩いただけで矢沢永吉の気分になってきた。
「この街を抜け出し、俺は都会でビッグになってやる!」
何ともシンプルでセクシーな夢が見れることか。
ストイックを忘れた若者。それは都会に目を向けた場合かもしれない。ここにはそれが
ある気がした。
駅には東京情報コーナーがある。
だが何故か房総再発見伝なる千葉県の一大キャンペーンが展開中。
やはり薄着の若いカップルがラーメン屋に入っていく。実に楽しそうに。
駅のホームで列車を待っていると太陽が出てきた。
美しき青空と光!
たまらずに叫んだ!「来て良かった!生きていて良かった!」
私はこの旅で漸く心からの声を出すことができた。
14:45 青森着
ついにやって来た。本州最北の都市。
何か実感がない。
しかし間違いなく目の前には北海道への続く海が広がる。
しかし今回の旅はここ青森こそが約束の地だ。
天気は良い。気温2度にも慣れてきている。
とほんの10分空から目を離していると猛烈な吹雪に身を包まれた。
目を開けていることも困難な中、あわや遭難しつつホテルにチェックインし窓から覗くと・・・
またもよ青空が広がっている。
東北流の歓迎レセプションと理解することにした。
青森街歩き
これまどに辿った山形、秋田と比較すると青森には明らかに「日本海側の街にはない彩」が感じられた。
表現することは難しいのだがはっきりと感じる明るさがある。雪の残り方は同じなのだが。
青森の中心市街地は大きく「昔からの繁華街’本町’」と「新しい青森の玄関’新町’」で構成されている。
本町はいかにもな歓楽街で多くのスナックが軒を連ねる風情であるのに対して新町はデパートを中心としたショッピング街。
テナントについても本町が地元商店が中心であるのに対して新町は全国フランチャイズが目立つ。
歩く人にも違いが見られる。
新町には若者が多い。
昼間を過ごすには新町の魅力が勝っている感じだが、夜の繁華街としてはまだまだ本町が底力を持っている。
だがこれも時間の問題で新町に夜の彩が移ってしまうのではないか?
なぜなら新町の商店街の取組には大変な積極性を感じた。
夜店通りという古い商店街が新町にある。
一見いかにも時代遅れな風情を持つこの商店街を歩いてみて仰天した。
そこに連なるテナントはどこも若い感性が十分に発揮され洗礼された雰囲気なのだ。
商店街に流れるBGMもそれにあわせている。
大館の2つほど先にある駅から乗ってきた女の子を見かけた。
この通りでショッピングをするために1時間以上かけてきているのである。
東京でもそうであるが、お洒落な子は意外にデパートではなく路面店で買物をする。
この商店街の魅力が都市の周辺部から人を惹きつけているのである。
商店街の空き店舗対策は恐らく始まったばかりで、今後はファッション関係のみならず、様々なカルチャー発信拠点テナントが増えて行くことだろう。
そうなった時に、新町は完全に本町を上回る繁華街へと変貌するのだろう。
(京都で言えば祇園と河原町の関係に似ている。タクシー運転手の体感として河原町の景気が祇園を上回っていることがあげられる。)
今夜は津軽三味線の生演奏を聴きながら地元名物を堪能できる店に行くことにした。(本町にある。)
18:00過ぎに店に入ったのだが客は私だけ。女将とベテラン女中、それに若手女性2名に取り囲まれる。
演奏は20時から始まるとの事でそれまではゆっくり過ごす事にした。
が、この女将とベテラン女中。かなり親切な人たちで「ゆっくり飲みなさい」と言いながらどんどんお酒を注いでくる。それもサービスで。
女性4人と私一人。青森の暖かさに包まれてかなり上機嫌となる。
「貝焼き」という料理。ホタテの貝殻の上に、ホタテの身、白子、ウニなどをのせ卵で閉じて炙ったもの。これは絶品。
したの上で魚介の甘みが溶け合い、酒で流し込むと最高の旨みとなる。
女将に聞くところによると、最近の本町は東京から来た経営者によるスナックが増え、これが柄が悪い。5年前にはいなかった客引きとのトラブルも絶えないらしい。もっとも地元の人はおっかながって行かないらしいのだが。
また、水商売30年の女将からすると「車社会には勝てない」らしい。
職場だろうが、ショッピングだろうが皆車で出かけてしまう。郊外店に行く場合も駅近くに行く場合も。そうするとどうしても一杯飲んでということにならない。新町でも老舗のデパートが閉店し変わりにマンションが建ったことで街の雰囲気が様変わりしたとのこと。
等と話していると若手女性から三味線の手解きを受けることに。
もちろん三味線の経験などはないが、酒の勢いも手伝い一丁挑戦してみました。
三味線は持ってみるとこれが結構重い。確りとした硬木と犬の皮で出来ているらしい。
弦を弾くのではなく、弦を上から叩くようにする。ベーンと結構な迫力の音が出る。
これは楽しい。和楽器に挑戦したのは初めてだが音の響きに迫力がある。
ここから先は、本家本元、女性4人組による三味線演奏を披露。
「ハッ」との掛け声であの独特のリズムが迫力満点に始まる。
これはロックですよ。
三味線のリズムにのせ女将が空気を震わす唄を始める。
完全にロックですよ。
考えてみると青森は様々ロックな生き様をした人が多く排出されている。
太宰治、沢田教一、寺山修司、
そして棟方志巧。
「わだばゴッホになる!」と上京した棟方はゴッホにはならなかった。
世界の棟方になったのだ。
津軽三味線には青森県人の内なる激しさが表現されている気がした。
しかしこの旅で私は一つ勉強になった。
私はこれまで「地域の崩壊」、「道州制」、「少子化」、「グローバル経済」等’一言’から発想をしていた。
しかし地域は福島、山形、新庄、大館、秋田、青森とそれぞれ特性が異なり。夫々に課題を持っている。
そして確かに若い息吹もある。
それら地域が独自に持つ課題を知らず、ましてや雪道でコケて満足に歩くことすら出来ない私がいきなり大きなことは出来ない。
もう一度確りと自分がこの国そして地域のために何を持って貢献できるのか、現場実感として見つめ直したいと思う。