独立行政法人日本学生支援機構によるいわゆる「奨学金」という名の学生ローンがある。かつての日本育英会だが、深刻な債務被害をもたらしていることが指摘されるようになってから久しい。筆者も、『債鬼は眠らず―サラ金崩壊時代の収奪産業レポート』(同時代社、2010年)や『日本の奨学金はこれでいいのか』(あけび書房、2013年、共著)などで、ささやかながら警鐘を鳴らしてきた。

 近年、大メディアに「奨学金」を問題視する記事や放送がでるようになったのは、ひとつにはそれだけ事態が深刻になったことを物語っている。

 2013年、弁護士ら法律家や学者が中心となって、被害者救済の運動がはじまった。筆者にも声がかかり、被害をなくそうという趣旨に賛同して加わったこの集まりが「奨学金問題対策全国会議」だった。いらい3年にわたる取り組みには評価すべき点はたくさんある。しかし、筆者は昨年末に脱会した。

 残念ではあるが、日本学生支援機構がやっている事業の問題の本質を、いまひとつとらえきれていないように感じたからだ。対策会議の活動を否定するつもりはない。しかし、重要な問題を見落としているように思う。会の外からこの足りない部分を批判していくためにも会を辞めることにした。

 足りないもの、見落としているものとはなにか。

 ひとつには「一括繰り上げ請求」の問題である。日本学生支援機構の「奨学金」という名の学生ローンがもたらす最大の被害が、この一括繰り上げ請求にある。たとえば、20年かけて返還するはずが、いきなり2年目で300万円を一括請求される。そして300万円に対して年5%(かつては10%)の延滞金がつく。

 こんな乱暴なことをおこなう根拠は、施行令5条4項にあると機構はいう。しかし同項には「支払能力があるにもかかわらず」いちじるしく返還を怠った場合にだけ繰り上げ請求できるとある。カネがあるのに払わない例を対象にしているとしか考えられない条項だが、じっさいは事情があって払えない人に対して適用し、容赦なく一括請求をやっている。

 前掲の共著に報告を書く際、筆者は日本学生支援機構に取材をした。すると、繰り上げ請求をする際に支払い能力の審査はしていない、一定期間連絡がつかなければ自動的に「支払い能力がある」と判断していると、平然と回答してきた。

 返還猶予をつかいながら払っていける人を意図的に債務地獄に追いつめている。そうとしか理解のしようがない。

 この正義もなければ根拠規定もない繰り上げ請求を凍結するだけでどれほどの利用者が救われるだろうか。

 『日本の奨学金はこれでいいのか』をはじめ、この問題を取り上げるよう筆者はくりかえし対策会議のメンバーに訴えてきた。しかしながら会の発足から3年になるいまもなお、対外的に「一括繰り上げ請求はやめるべきである」とのメッセージは出されていない。

 なぜメッセージをださないのかについて合理的な説明もない。

 対策会議は「奨学金問題」のオピニオンリーダー的存在でマスコミもしばしばコメントを引用している。よって、マスコミの論調にも「一括繰り上げ請求」の問題はでてこない。筆者はこうした不可解な態度の組織に身を置き続けることにもはや我慢がならなくなった。

 冒頭でもふれたとおり、日本学生支援機構が「奨学金」と呼んでいるものは、一般名詞では「(政府系)学生ローン」である。米国や韓国で深刻な問題を引き起こしているものと同じシステムである。「奨学金」とは官僚の創作した本質をごまかす言葉である。

 この言葉の問題をとっても、対策会議はいまだに「奨学金」という官僚言葉を無批判に使い続けている。そして、給付型奨学金を創設すべきだという議論を行っている。給付型奨学金という呼び方自体が自己矛盾をはらんでいるのだが、
「給付型」の議論は、日本学生支援機構の学生ローンがもたらす問題の焦点をみごとにはずす効果をうんでいる。本当の奨学金が足らないという問題と官製学生ローンが深刻な債務被害を出しているという問題はまったく別の問題であって、それぞれ議論すべき話である。

 給付型奨学金ーーすなわち、本当の意味での「奨学金」を、かりに大規模な学生ローンたる日本学生支援機構が取り入れたしても、債権をすべて放棄するならともかく、機構の本業が学生ローンであることにかわりはない。 

 対策会議がほんらいなすべきは、「日の丸学生ローン」の被害を食い止めることである。そして「一括繰り上げ請求」の凍結は、十分に実現可能だし、実現すれば絶大な被害防止効果がある。

 いっこうにそれをしようとしないことに筆者は納得がいかず、3年をへて失望するにいたった。

 けっきょく、すくなくともいまのところ、対策会議というのは、日の丸ローンの首謀者である官僚と決定的には対決しない、そういう限界のなかでの改革運動にすぎないのではないか。そう思う。