26日、横浜地裁(水野邦夫裁判長)で、護衛艦「たちかぜ」事件の判決があった。


 事件の概要は拙著『自衛隊員が死んでいく』に収録している。21歳の隊員(1士)が先輩(2曹)から虐待をうけ自殺に追いやられたとして、遺族が先輩隊員(刑事事件で有罪確定、懲戒免職)と国を相手取って国家賠償を求めた裁判である。


 すでに記者クラブメディアなどで報じられているのでご存知の方もいると思うが、水野裁判長は国と先輩隊員が連帯して、遺族に対して440万円を賠償するよう命じた。


 事情を知らない人がみれば勝訴のように見えるがじつはそうではない。原告である遺族の立場は亡くなった隊員の相続人ということになる。つまり、暴行をうけ自殺に追いやられたことの償いが440万円ということである。交通死亡事故の賠償が400万円あまりで済むということはあり得ない。故人の遺失利益だけでも数千万円になるはずだ。判決は暴行・恐喝の事実、さらに上司がそれを黙認して放置した責任を認めた。さらに、先輩の暴行・恐喝が自殺の原因になったとも事実認定した。それなのにどうして「440万円」なのか。


ジャーナリスト三宅勝久公式毒舌ブログ 借金、自衛隊の虐待・自殺、記者クラブ、デタラメ行政を斬る

 その理屈はこう説明されている。



 暴行・恐喝や国の安全配慮義務違反と自殺との間には、「事実的因果関係」がある。しかしながら「予見可能性」は認められないことから「相当因果関係」はない。


 判決文のこの部分を読んで、最初は意味がわからなかった。弁護団の説明を聞き、なんども読み直してようやく理解したところでは、こういうことらしい。


 暴行・恐喝によって重大な精神的苦痛を受け、自殺の原因になったことは認めるものの、自殺するとまでは予想できなかったのであるから、自殺したことに対する賠償責任はない。


 440万円はすなわち、あくまで故人が暴行・恐喝を受けた際の苦痛に対する慰謝料と弁護士費用(40万円)で、自殺したことについてはゼロ円なのだ。


 この「予見可能性」というのは5年にわたる審議のなかでまともに議論された形跡はない。最終弁論でも国側はいっさいふれていない論点だった。判決で突如でてきた。国側も驚いているかもしれない。


 暴行して苦しめたのは事実です。自殺したのもそのせいです。でも死んだことには賠償しなくてもいいですよ。というわけのわからない判決なのだ。単にカネを払いたくないがためにひねり出した屁理屈だろうと筆者は思っている。こんな理屈が通るのなら、どんなにひどい目にあわせて自殺や死亡に追いやっても「予見可能性」がなかったとなれば償わなくていいことになる。


 5年も裁判をやって440万円では訴訟の実費すらまかなえない。裁判なんかやめて泣き寝入りしなさい、というメッセージに聞こえてならなかった。


 原告の遺族や弁護団も控訴する方針だという。当然のことだと思う。


 判決後の報告集会には、静岡地裁浜松支部で空自隊員のいじめ自殺をめぐる国賠訴訟を争っている遺族や、札幌地裁で「格闘訓練」中の虐待死疑惑をめぐって訴訟をやっている遺族の方も参加した。このままでは命を落とす若者がまたでてしまう。それを許すことはできない。と一様に訴えた。


 遺族や弁護団の闘いは続く。イバラの道、いやサボテンが密集するジャングルをのような苦難の道をまだまだあるかねばならない。しかし確実に共感の輪は広がっている。裁判官の心を動かすためにひとりでも多くの方に応援していただきたいと心から願う。