お金をなぜ欲しいと思うのか。 | 智慧の杜~生きる意味を求めて~

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自営業をしているとお金について考えることが本当に多い。
そして、瞑想をしたり、精神性を高めていく道を進み、
そして、一方で自己啓発セミナーにも行っていると
全然考え方が違うので色々と考える。

その中で今回、瞑想の中一つの答えが見つかった。

まず、最初にお金がなぜ、人の欲望をかきたてるかだ。

アンソニー・ロビンズの教えの中に6ヒューマンニーズというのがある。
日本語に訳すと6つの人間の求める感情のことだ。

それは以下の6つ。

基本的な四つの欲求

1.安定感・・・安定した生活をしたいという感情的な欲求
2.不安定感・・・変化や刺激がほしいという感情的な欲求
3.重要感・・・人に認められたい、重要な存在だと思われたいという感情的な欲求
4.愛・つながり・・・人とつながりたい、愛を感じたいという感情的な欲求

高次な欲求

5.成長・・・人間として成長していきたいという感情的な欲求
6.貢献・・・人に貢献したい、愛を与えたいという感情的な欲求

人はこの6つのいずれかを満たそうとして行動を起こす。

この中の一つでも満たしてくれるなら、欲しいと思うし、行動することになる。
これらの欲求を3つ以上満たしてくれるものには人は中毒になります。

お金はなんとこの6の欲求のすべてを満たしてくれる
可能性のあるものなんだということに今回気づいた。

お金があることで経済的に安定した暮らしをし、安心して生きていける。
お金があることでレジャーや旅行、色々な変化や楽しみを味わうことができる。
お金があることで能力がある人間と見られたり、重要な存在だと思われることができる。
お金があることでお金が必要な人づきあいができる。
お金があることで成長するためにセミナーに参加したり、本を買ったりすることができる。
お金があることで人に寄付をしたり、慈善活動をしたり、あたえることができる。

これら全部満たしてくれるものは多くの人が欲しくて当然だ。
だから、人間の欲望が如実に反映され、
貪欲に追い求める対象にもなる。

そのために不道徳なことをしてでも得たいと思う人がいる。
だから、お金には汚れたもの、お金持ちは悪い人というイメージをする人たちもいる。

だけど、本当はお金はモノを交換するために便利だから
作られた、ただの道具に過ぎないのだ。
お金そのものに善悪はない。

このただの道具に人間は、この世界は振り回されてしまっている。

そして、お金で満たされる6つ欲求には、
実は砂上の楼閣のような部分があるのかもしれないと思った。

お金で得られる安定は、もともと大地とツナガルことで得るものだった。
もし、お金がインフレなどで価値を失った時、騙し取られ失った時、
その安定は砂上の楼閣のごとくもろくも崩れ去ってしまう。

不安定感に求める刺激は、自然と共に生き、
自然と触れ合うことで満たされていたものなのかもしれない。

お金で得られた重要感はお金を失うと同時に喪失してしまう。
真の重要感はお金によって得られるものではなく、
その人の勇敢さ、行動力、リーダーシップ力、
知性や智慧によって示されるものなのかもしれない。

多くのお金が必要なツナガリは表面的なもので、
本当の心からの交流や共感ではない。
本当に人の心を満たしてくれる、
愛やつながりはお金に変えられない共感や信頼感だ。

成長と貢献はお金があってもなくてもできる。

お金によって満たされることもたくさんあるが
それが本当に人間を満たしてくれるものではないのかもしれない。
それは人間が創りだした砂上の楼閣のようなもので
ともすると砂上の楼閣のように崩れ去るのかもしれない。

お金は道具として必要だ。
しかし、お金によって本当に大切なことが見えなくなってしまっているのが
今、この時代、この地球なのだと思う。

世界経済は混乱し、自然環境は破壊され、絶えない戦争は
人間がお金によって振り回されているのは、人間が人工的に作ってきた
砂上の楼閣が崩れ去ろうとしているのかもしれない。

人類全体が本当に大切なことは何なのか気づく時代がきたのだと思う。
今は地球全体、人類全体の激動の転換期
これからの未来がどうなっていくのかは私達の世代にかかっている。

では、本当に人間に大切なものは何なのだろうか。
それについて、私が思うことを、また次の記事に書こうと思う。