断薬の継続と内発的報酬 | ジョン・コルトレーン John Coltrane

断薬の継続と内発的報酬


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コルトレーン、ヘロインを断つ 目次

「コルトレーン、ヘロインを断つ」早分かり ♪→ 「これまでのあらすじ」


音楽ジャンキーとしてのジョン・コルトレーンの肖像〈14〉
コルトレーン、ヘロインを断つ その113


元薬物依存者は様々な誘因によって逃れようもなく薬物への渇望に見舞われるので、断薬後も依存再発の危険性は常に潜在している。前回までは渇望に対する受身の防衛に着目してきましたが、今回以降は渇望へのより積極的な対処という観点から、コルトレーンのヘロイン断薬後の歩みをごくごく簡単に辿ってみます。


これまで何度か言及してきたが、薬物依存者のためのリハビリ施設ダルク代表の近藤恒夫は、その著書『薬物依存』で、スポーツや登山によって薬物なしで楽しんだり達成感を得たりすることが大切だとして、いくつかの活動プログラムを紹介している(*)。しかしまた近藤は他の場所でレクリエーション的なプログラム自体は回復率にあまり関与しないとも述べている(**)。どういうことだろうか。

(*)『薬物依存』p.207、209、211、213、217

(**)斎藤學編著『青春期の薬物乱用』p.166、菊地憲一「日本唯一の薬物依存者のリハビリ施設「ダルク」の1日」


脳は何かを「しない」「やめる」という消極的な行動を習慣化するのが不得手だという。依存形成の中心であり、報酬と動機づけに関わる中脳皮質辺縁系、いわゆる報酬回路は、積極的に何かを「する」行動の学習は強く促進するが、何かを「やめる」という我慢を学習させない。よって依存症の克服には意志の力で無理な我慢をするより、報酬を用意すること、報酬(=楽しさ・快感)をもたらすなんらかの適正な活動で代替する方が効率的である、という提案が神経科学(脳科学)の分野からいくつかなされている(*)。

(*)ただし正規の論文ではない。久保田競『禁煙で天才脳をつくる!』(KKベストセラーズ、2003年刊)、p.32-33、49-51、108-110、その他。いかにも頭の悪い人が読みそうなタイトルですが、久保田競は日本で最も実績のある神経科学の権威です。わたくしは頭悪いのでもちろん読みました。/篠原菊紀『僕らはみんなハマってる』(オフィス・エム、2002年刊)、p.111。篠原菊紀はテレビでおなじみのはげひげ先生。


だから薬物なしで楽しむという体験が断薬後の渇望に対して、或いは断薬の継続に有効であるという考え方は必ずしも間違っていないのだろう。しかしそれには条件があるということなのではないか。


依存症は風邪や虫歯のようには医師によって治すことはできない。完治はないとさえ言われている。しかし依存症者本人の自主的関与が芽生えれば回復はあり得る。そこにはアルコール依存症者の自助グループ、アルコホリックス・アノニマスが、医師という他者の援助を欠いた状態で成立し、それまでの医療には不可能だった回復実績を示した大きな理由のひとつがあるようだ(*)。

(*)野口裕二『アルコホリズムの社会学』p.84-87 参照。


PET(陽電子放出断層撮影法)による脳画像研究によると(*PET)、薬物乱用者では線条体のドーパミンD2受容体とドーパミン放出が減少しており、それと関連して前頭前野(**)の機能が低下しているという(逆に薬物関連刺激に暴露されるとそれらは活性化されて薬物使用へと駆り立てる)。これは渇望のコントロールには前頭前野の機能回復もまた必要とされることを示唆している。

(*PET)Dopamine in drug abuse and addiction: results from imaging studies and treatment implications(2004)、Volkow N.D. et al.Dopamine in drug abuse and addiction: results of imaging studies and treatment implications(2007)、Volkow N.D. et al.Imaging dopamine's role in drug abuse and addiction(2008)、Volkow N.D. et al.Role of dopamine, the frontal cortex and memory circuits in drug addiction: insight from imaging studies(2002)、Volkow N.D. et al. 参照。

(**)具体的には眼窩前頭皮質、帯状回、前頭前野背外側部の活性の低下。


薬物による脳の神経細胞の変化が意志の力ではどうにもならない「変えられないこと」であるとすると、前頭前野の機能回復は「変えられること」に関わってくるのではないか。そして自発的な営みによらなければ、前頭前野の渇望に対する制御力は回復しないのではないか、或いは自発性は回復の効率に大きく影響するのではないか。

これは実証でもなんでもなくて、単なる憶測に過ぎないが、依存症に他ならぬ「自助」グループが有効であり、そしてまた管理的治療での強制的断薬(*)や、道徳や法的制裁といった外から強いる力が往々にして功を奏さない理由の一部ではあるかも知れない。

(*)榎本稔『依存症がよくわかる本』p.185-186


とすると、楽しみを生む対象・活動は、自発的な興味によって見出されたものでなければならないだろう。依存再発を阻止する持続的な効果を得るには、他人が用意した週末のレクリエーション程度では効果が薄いということなのではないかと思われる(*)。そしてそもそも、アルコホリックス・アノニマスのミーティングへの参加には、同じ悩みを抱える者同士の間に成立する関係性が内発的報酬をもたらすという、依存を代替する効果があると言われている(**)。

(*)久保田競『禁煙で天才脳をつくる!』(p.124)では禁煙に報奨金が有効だった例が紹介されているが、重度の依存症の場合、金銭に限らず、外発的報酬はリスクが大きいのではないか。

(**)無論ミーティングへの参加には依存の代替のみにとどまらず、薬物なしの新しい生き方や社会復帰を助けたり、いくつかの認識論的転回を経て認知的変更をもたらすという効果がある。野口裕二『アルコホリズムの社会学』p.67-69、p.111-114 参照。自助グループの有効性について、非常に説得力のある論考。


したがって、認知的偏向の修正や渇望に対する防衛に加え、薬物なしに何らかの活動に没頭して楽しむ、内発的報酬を得るという適正な範囲での依存の代替が断薬後には必要とされる。そして、断薬後のコルトレーンの音楽的な歩みというのは、結果としてその必要を十分に満たしていたという風に考えることができるわけです。音楽的探求に強く牽引されて猛練習し、具体的な成果を得る。その間、様々なレベルで内発的報酬をコルトレーンは得ていたに違いない。


純粋な音楽それ自体というのはあり得ないから、音楽活動によって得られる内発的報酬というのも決して純粋なものではあり得ないとしても、経済的成功や人気・名誉といった外発的報酬のためにコルトレーンは自身の音楽的探求を犠牲にすることはなかった(*)。

テナー・シーンの先頭に立つプレイヤーになるために練習に没頭していたわけではなかったし(**)、モダン・ジャズの歴史に名を残そうとして音楽的探求に専心していたわけでもなかった。

まったく逆に、目前の具体的な課題に寝食を忘れる程に没頭させる感興、楽しさ、歓びがそれらを結果としてもたらしたというのが実際のところだろう。しかも、コード、モード、フリーと即興イディオムは次々に更新されて(*)新奇性が絶えず探求を活気づけ、決して煮詰まるということがなかった(****)。

(*)Porter, p.191-192

(**)『ジョン・コルトレーン「至上の愛」の真実』p.126

(***)恐らく本人にとっては最適な持続と変化で、リアル・タイムのリスナーにとっては目まぐるしいと感じられるスピードで。

(****)「試練の時」を除けば。「I let technical things surround me so often」 から「インプレッションズ!」 までを参照。


断薬中のドーパミンD2受容体とドーパミン放出の減少は自然な強化因子への感受性を鈍らせる(*)。そんな快感喪失(**)状態でなおコルトレーンを無我夢中にさせる魅力が例えば和声探求にはあったということなのだろう。霊的覚醒というのは実は和声への覚醒でもあったのではないか。

理論的・抽象的だが決して観念的ではなく、むしろ非常に具体的な和声への取り組みは断薬初期にはうってつけだったのかも知れない。ハープに想を得たスウィーピング・サウンド(シーツ・オヴ・サウンド)という明確なイメージ・目標もあった。

情念とは無関係に、内面を表現するのではなくもっぱら音楽=和声をして語らせることは当面の精神的健康にも良さそうです。余計なことをあれこれ考えてストレス状況を招くことがない。そしてきっと、無茶苦茶面白くて仕方なかったんだと思います。さらには持ち前の生真面目さがその面白さから決して逸らさなかった。

(*)前出の註、(*PET)参照。

(**)アンヘドニア anhedonia。無快感症、失快感症とも。ヘロイン断薬後の快感喪失についてはアーヴィン・ウェルシュ『トレインスポッティング』(池田真紀子訳、角川文庫)p.179-180参照。


無論そう意図して自身の音楽を展開したわけではまったくなかったのだろうが、結果としてそれは断薬の継続には充分過ぎる程に貢献した。ソニー・スティット、マイルス・デイヴィス、ソニー・ロリンズ等、ヘロインを断った後に目覚しい活躍を繰り広げたジャズ・ミュージシャンが何人かいる。しかしその中でもとりわけジョン・コルトレーンの場合は、音楽的探求が堰き止められると依存再発の危機が生じるまでに、断薬とその継続に音楽が強く結びついていたと言えるのではないだろうか。 (つづく)


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