[中国旅行] ブログ村キーワード

現在地の確認 青海省・西宁 塔尔寺(qinghai sheng xining ta er si ) グーグルマップ -+で縮小と拡大、矢印で地図を動かせます。



大きな地図で見る


---- 大家~、開始了!------

1987.3月中旬  青海省西寧(西宁 塔尔寺 qinghai sheng xi ning ta er si) 第4日目


塔尔寺(タール寺)はチベット仏教ゲルク派(「浄行(厳律)派」の意。「黄教」「黄帽派」とも)の寺院で、ゲルク派の開祖ツォンカパの生誕地としても知られる。

ラマ教(チベット仏教)には旧教派の紅帽派もありそちらは紅教と呼ばれ、僧帽に紅帽を用いたのでこの名がある。新教派である黄帽(こうぼう)派とは対立している。

禅門答や、厳格な戒律に基づく出家制度、チベット語訳の大蔵経を唱え、密教の教えもある。タンカと呼ばれる仏画の掛軸や砂曼荼羅、楽器を用いた読経などが有名である。一般チベット人はマニ車、タルチョー(経旗)、鳥葬などを信仰として実践。また、観音菩薩の真言である六字大明呪が盛んに唱えられる。→wikiより (参考資料:川喜田二郎著『鳥葬の国 秘境ヒマラヤ探検記』1958年)

寒いけれども日中は日があたり、歩いてる分には体が温まり没問題。時々すれ違う僧侶に会釈をし、中には年の頃は13-14才だろうか、若い僧侶が好奇心いっぱいの様子でこちらを見てる、目が合うとやたら恥ずかしがって初々しいことこの上ない、俗世間にまみれた外国人とシャイでストイックな仏様に仕える身とじゃ比べようもないけどね^^

記念写真を撮らせてもらったり、とても和やかな雰囲気で和気藹々なんだけど、お互いに言葉も通じずただ微笑んでるだけ。あちらへ行けと指し示す方を見ると、何やら道が...。僧侶たちに別れを告げ、そちらの方へ行くとタール寺全体を取り囲むようにハイキングトレイルのような道があるんですよね。

確か聖なる場所(この場合タール寺)を中心に右回りに進むといいのです、清々しい空気を胸いっぱいに吸い込みながら、てくてく気持ちよく歩いてると、とあるチベット人グループに追いつきました。親娘だろうか、同じ道を同じ方向に進んでるんだけど、こちらは普通に歩き、あちらは五体投地(ごたいとうち)しながら進んでいます。

五体投地とは文字通り、身を大地に投げ出して、ひれ伏し、仏に祈りを捧げる動作で、テレビなどでご覧になったことがあるかも。両手・両膝・額を地面につけ、最も丁寧で正しい、また最上の礼拝方法とされています。

方法は、前方に両手を突き出し体を投げ出して、ひれ伏し、おでこは地面につけ、両手をつけたまま身を起こし、膝を折った状態で(ヨガの猫のポーズみたいです)ゆっくり立ち上がり、またそれを繰り返しながら前に進むわけです。

勢い余ったら擦り傷ができたりしますよね、やっぱり体を大地に投げ出すのだから打ち身やあざだらけなのじゃないのかなと想像します。もちろん怪我をしないために、両肘に肘当て・両膝に膝当て・前掛けタイプの綿入り厚手のサポーターを身につけカバーしています。でも痛いと思いますよ。

一回の五体投地で進める距離は自分の身長分だけですかね、長距離移動には真に気の長い荒行ですな。でも、チベット人にとってはそれは苦でも何でもなく幸せへの道なのです、一生に一回でも憧れの聖地へ、いや人生最大の悲願と行ってもいい。そのために彼らはせっせと働き、何年もかけて準備をし、住まいから聖地まで五体投地をしながら巡礼をするのです。昔は何年もかけて旅したそうですよ。とても深い信仰ですよね。

チベット高原西部の独立峰(標高6656m)聖なる山のカイラス行きのNHKドキュメンタリーを80年代半ばに見たことがありましたが、何も交通手段がない場所で大自然の中を、強烈な太陽の光と風に晒されながら、一人のチベット男性が黙々と五体投地をしながら進んでいる姿が強烈な印象として記憶に焼き付いています。

話は戻り、意外なことに、追いついたチベット人たちは、実に楽しそうにニコニコしながら、のんびりと淡々と五体投地しながら進んでいました。毎日少しづつ進んでるのでしょう、わたしも真似してみましたが、あちこち打って痛いやら、しんどいやらで、苦痛以外の何者でもないです。

で、わたしの様子を見てた女の子が見かねて、正しいやり方を教えようと思ったのか、ゆっくりとした動作で、こうするのよ!とばかりに見せてくれ、写真撮影もOKしてくれました。ていうか、お参りするのはてっきり男性だけだと思ってたので意外な気持ち。

チベット人女性は意外と地位が高いのか、彼らの社会では女性蔑視はないのかもしれませんね、そう言えば彼らの結婚形態は結構珍しいかも、今は一般的でないとは思いますが、一妻多婦婚というもの。兄弟で妻を共有すると本で読んだことがあります。(参考資料:川喜田二郎著『ネパール王国探検記』1957年)

一妻多夫婚とは、具体的には兄弟一妻婚または叔父甥一妻婚(希に実母でなければ父子一妻婚もありうる)で、兄弟や叔父甥が共同で一人の妻を娶るというもの。理由は、家財や労働力の分散を防ぐためと、氏族の本家筋を絶やさない意識が働いているようです。

誕生した子供は誰の子であるとかは不問、自分の子供としてみなで大切に養育し、片方の夫が仕事(遊牧や遠くの耕作地での農作業)で留守にするなど、うまく摩擦を避けて生活していますが、妻は平等に夫に接しなくてはならない....確かこんな内容だったような。わたしにはもう理解不能です(@Д@;。

それはともかく、その五体投地ご一行様はは、間違いなく幸せな心の状態なのは容易に見て取れ、わたしはそこに深い感銘を覚えました、わたしの感じる修行ってそれは辛く苦しいことだとばっかり思いこんでましたから、その光景を目の当たりにして信仰の深さや幸せの概念を根底から覆された気分でしたね。

彼らとも別れを告げ、タール寺を後にまたバスでホテルに戻りました。そろそろ、移動時期なのでバス停によって情報を把握しなくてはねー。  つづく



にほんブログ村に参加中、応援のポチいつもありがとうございます!にほんブログ村 旅行ブログ 放浪の旅へ