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---- 大家~、開始了!------

1987.3月初旬  蘭州2-4日目

思いがけない蘭州人の親切さに戸惑いながらも、ありがたくその好意を受けて、困っていた旅人も去って行ったその翌朝、ホテルの部屋から何気なく窓の外を見てみたら...見えた景色は...。部屋は十数階階建ての上の方なので眺望がいいのです。

周囲には高い建物もなく、中国人のアパートらしき低層建物が立ち並んでいました、当然その屋根を見下ろす形になるんだけど、その屋根の上には一面白っぽいものが積もっているんです。それまで見たこともない風景ではありますね、その時は...それは灰のように見えました、仏壇のお線香立てに入ってるアレですわ。

季節は3月とはいえ、まだまだ寒く蘭州は冬真っ只中、暖房に使う煤煙が街中に舞い上がり、屋根に積もったんだろうか?と思ったんですよね。人民は炭団(タドン)などを自分で作って燃やしてましたからね。その事はそのまま今まで忘れ去ってたんだけど、思い出しよく考えるとそんなわけないじゃない!

蘭州は黄土高原に位置し、北にはゴビ砂漠があるわけで、西に広がるシルクロードもずーっと乾燥した砂漠地帯。黄砂が鬼のように降り注ぎ、昔から恐竜や家や街など砂に埋まってる掘れば遺跡?だらけの地域ではないかっ!

そんな地域からの黄砂が日本にまで到達しているわけで、知識としてはあっても、実際目にした屋根の上の物体が、その砂とは到底思えなかったわけです。というのは、道路を歩いてる分には全然砂っぽくなかったし、まだ春前で黄砂でもやがかかるほど視界が悪いということもないから。

想像力の貧困といえばそれまでだけど、それもこれも上から見下ろさなきゃ全然気がつかない話ですわ。ほんとに線香の灰そっくりの色と粒子の細かさでした、それが街をすっぽり飲み込むんですよね、砂ってどんどん粒が細かくなって増える...恐るべし黄砂。

そんな地域でも、旅を続ける以上、日常の大事なお仕事・洗濯が待っている...手持ちの洗剤がないので近くの商店に買い物に出かけました。1種類しかないので仕方なく7角ほどの洗剤を買いたくて財布を見ると小銭が足りない。定価売りなので絶対その金額でないと売ってくれないのには閉口しましたよ。

兌換券の大きなお金はおつりが没有なので、あちらが受け取ってくれなくて(困、わたしの手持ち人民元はわずかに足りない、買えるのはすっごい変な匂いのする石けんのみ、原料は廃油か?それはさすがに不要、洗濯物が臭くなっちゃいそうでしたから...(笑。

その事情を知っておりながら一切知らんぷり、早く出てけと言わんばかりの態度、店員はいけずな中国人だった、まぁこれが普通なのですがね(笑。情けなや、お金持ってるのに、洗剤ひとつ買えずに惨めにすごすごとその店を出ました。

中国の商店でそれまで散々買い物して気がついたこと。あんな広い国なのに全国どこに行っても同じ規格の商品が有り(驚、一様に品数が少ない!一通りのものはありますよ、でもね、日本なら同じ品物でもメーカーや値段別に、またグレード別に種類が多いですよね、しかし中国は一つのものに対して1-2種類、どれも低品質で統一されていました(=◇=;)。

これはどこかでお金を崩さねばいかんとばかりに、その次に行ったのは食料品店、量り売りのお菓子を売っていて、1斤(500g)いくらで売ってくれるんだけど、美味しそうに見えたビスケットを買おうとお金を出したら、またもや売ってくれない(笑。今度は兌換券だからじゃなくて、「没有票!mei you piao」というのですわ。

店員にまたもや突き放されて、「票 piao...???」と考え込んでると、そばにいたおばさんがその様子を逐一見ていて見かねたのか、一枚の小さな紙切れを店員に渡して何か言ってるんですよね。多分「これ使えるでしょ!売ってやりなさいよ」と...。

きっと普段からその店員の横暴さに業を煮やしていたのでしょうね、一矢報いるためにアホな外人旅行者を助けてくれたということでしょう(笑。その後、しぶしぶわたしに売ってくれたんだけど、売りたくないんでしょうかねー?ほんとに社会主義の弊害ですわ。お客様は神様なんかじゃない、永遠に(笑。で、その人にお礼を言ったらば、余ってるのか?又さらに一枚くれて風のように去っていきました~。

しげしげ見るとその紙切れには糧票と書いてありました。それ見てやっと事情が飲み込めた、まだ配給制度が蘭州にはあったのか?と驚きましたが、貧しい内陸部で物流状況が非常に悪かったんでしょうね。

配給制というのは戦争や自然災害などにより物資の供給量が一時的に需要を満たさなくなるときに、生活必需品等を一定の所得階層に集中させることなく全体にいきわたらせることを目的として行われるもので、蘭州ではその紙切れ(配給切符)とお金を揃えて渡さないと売ってもらえない仕組み、糧票は小麦粉・米などに使い、他にはハルピンで90年頃、生地に使う布票なんてのもお目にかかったことあります。衣食住まかなえるわけですな。

さらによく値札を見ると、それまでどこに行っても見たこともない二重価格の値札がついていました。それは「票」のあるなしで値段が分かれていました、当然「票」なしの方が高め。全部の品物についてたわけではなく、品薄のものには「票」がいるということなのでしょう。

いずれにしろ貴重な経験をしました、外国人を受け入れる地域であるにもかかわらず、兌換券があんまし流通していない、当然チェンジマネーのおっさんも寄って来なくてそれはラッキー♪配給制は後にも先にここだけですね、もっと田舎と思われる雲南省でもお見かけしませんでした。

黄砂のこともですが、自然環境が厳しすぎる場所で、生活が大変、黄砂で何も作物が育たない、すなわち貧困地域だということなのです。ただ、わたしの思ってた貧困とはずいぶん違いましたがね、インド・アフリカ地域の物を食べられないような人を想像してた...つくづく世界は広い。

当時は配給制はなくなりつつあり、国営商店以外にも自由市場などで、人民が許可を得て自由に品物を売買していました、生活も落ち着き品物も豊富になって来ていた時代だったのでしょう。

しかしどれも物の豊かな日本じゃ考えらない出来事で、わたしの理解が追いつかないのは事実でした。しっかし、又だけど(笑、エライところへ来たもんだ ∑(-x-;) つづく



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