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---- 大家~、開始了!------


1986.12月中旬  再入国の香港 1-7日目

香港に無事再入国を果たし、後は帰国支度のみ。まず、HISに頼んでいたチケットを貰いにいき、日本の皆様にお土産を買いに走らなければ....。帰りは荷物が少々多くなっても気が楽ですね、お金も随分余ったので、ここは免税店であれこれ買い込もうとDFSへゴー♪

時はバブル、今から思うと景気もよく日本人の団体旅行者さまがどっと押しかけ、ブランド物を買い漁っておられましたね。場所はめちゃ便利な尖沙咀、ネイザンロードをてくてく歩いても、佐敦からはものの15-20分位、すぐ到着。

ここは、この後の旅でも複数回訪れましたが、パスポート提示や時には航空券の便名を求められたりしました。入り口を入ると一方方向にしか進めない不便な作りで(笑、途中にトイレもなく、何が何でも顧客を閉じ込め、気を引いて絶対買い物させるぞ~!という意気込みを感じました(笑。

商品がズラッと並んでいて、種類は豊富で各国系列店ではわりと大きい方でしょうか。ブランド物のバッグは感心がないのですっ飛ばして、お目当ての化粧品コーナーに向かいます。香水・トワレ類や口紅をゲット、色違いの数本が1Pに入っててお手頃価格、これは友人にばらまくのに便利で好評を博しました。ちなみによく買ったのは、香料がきつくないのでクリニークやエリザベスアーデンだったと思います。

他はお菓子類や中国茶類、いかにも中国みやげらしいモノ、正直言って大陸では品質のいいものも少なく、人に配る適当なお土産もあまりなかったので助かりました。同じお茶でもパッケージが全然違い、見栄えが雲泥の差で、人様に差し上げるにははばかられるのよね(汗。

中が広いので、ゆっくり見て回らなくても時間はつぶれるし、歩き通しで疲れた頃に出口に到着する仕組み。そこにはトイレと喫煙コーナーがあり、椅子とテーブルとフリードリンクが置いてあります。水も買わなきゃいけない香港では、貧乏旅行者にとってこのコーナーは大変貴重な場所でした。

デモ、一般ツアー客の皆様は、こんなところにはほとんどおられない。いつ行っても誰もおらず、空いてて、飲み物なんて飲んでる人もいなかったわ、ほぼ貸切状態でしたね。思うに、団体さまご一行は観光バスで乗り付け、時間制限の中すぐ買い物を終えて、あっという間に立ち去ってゆくからでしょう。

だから、トイレとタダの喫茶店代わりにちょくちょく寄って重宝してました(^▽^;)。しつっこいっ店員も一切寄ってこないし、何も買わなくても没問題!こんな風にあれこれと8折(20%引き)で買い物したり、グルメ三昧して、残りの香港での時間は、退屈するまもなく、あっという間に過ぎ去ってゆきます。

そんなある日のこと、インドからもどって来た旅人Aさん、見ると短パン履いたむき出しの足に怪我をしています。それも膿んでひどい状態になってる~。何でも転んだ傷があれよあれよと言う間に悪化したとか、一体どんな不潔な環境で旅を続けていたのやら、インドってそんな国なの~??!!とビックリ。デモ本人はケロリとしたもの、誤解を招くつもりはないけど、水質が悪いところ、もしくは水道設備がない場所にいたらしいです、みなさんちょっとした怪我にもご注意を!

また、某国から香港へやってきた一人のビンボー旅行者B。いつものように皆で談笑していたら、得々と自慢話が...。何でもアフガン?あたりでカメラマンの助手をつとめてきたという... ← これはアフガニスタン紛争(1978-1989)か? 当時は民族紛争があちこちで始まっていた時期で、危険な地域に取材に行くフリーカメラマンと知り合い、くっついて行ってスリル満点な体験をしたとか何とか...。

それってもろ現場に血が流れてるわけでしょ、今も昔もそんな地域で取材してる人がたくさん命を落としてるよね、たしかその地域はニュースでやってたので、とてもホットな情報には違いなく、話す方と聞いてる両方の興奮ぶりもわからなくもないけど、わたしはとってもついていけなかった、あまりにも命知らずのア○だから... A=´、`=)ゞ

歴史の瞬間に立ち会うのはかんどーに値する出来事かもしれないけど、命あってのモノダネ。怖がりで小心者のわたしには理解しがたいスリルです、デモ確実にそんなことに血が騒ぐ人も多いのにはビックリしました。そこにロマンはありません、あるのは悲惨な結末だけ。

そんなこんなで、とうとう帰国する日となり、香港から格安JALに乗って大阪へ。格安でもJALは機内に一歩足を踏み入れた時から日本国そのもので...中国で無愛想に追い払われ、没有攻撃にさらされ、それをくぐり抜けた身としては何というか、客室乗務員の笑顔が不自然で閉口しました(・Θ・;)。

機内では日本の新聞を貪り読みながら、留守中の空白を埋めるべく浦島太郎化を食い止めたり、機内上映の映画を見て日本語を再学習し、久々の日本食の機内食を食べ退屈知らず。日本の航空会社はやはり快適、素晴らしいフライトでしたね。何かと当時はJALが好きでした。

夜、到着した足元に広がる大阪の町は明るく綺麗で、その街のネオンを眺めながら、またこの景色をちかじか見たいものだと深く心に刻み家路についたのです。こうしてわたしの貧乏旅行の序章は終わり、本格的に加速度を増すかのごとくバックパッカーの旅は幕を開けたのです。次の旅に...つづく


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