沖縄1968。 -3ページ目

東京 1968 その27

 

須田さんの講義はそれからも続く続く。

酒の勢いもあり、まさに絶好調ってなもんさ。 
「とにかく先ずユウがやるべきはウッドを弾く指作りが第一。それと同時に指板を見ないで弾けるようになんねえとな。ま、それも経験していく中で自然に身につくってなもんだけどね。メモリーでやってる分にゃそれでも何とかなるけどさ、譜面を使った演奏だったらもうお手上げになっちゃうだろ?いっぺんに両方は見れねぇわけだしさ。俺のようにフルバンでやってたら全部譜面だからね。ショー伴なんかは殆ど初見だしさ、もう指板なんて見てる暇なんてありゃしねえよ」 
「やっぱり、ポジショニングっていうか指使いっていうか、それですか?」 
「そうだよ、それだよ。あのね、ユウだってもう気がついてると思うけどさ、現実にウッドで使える音域っていうのはすごく狭い範囲なんだよ。そうだろ?ハイポジなんて殆ど使わねえわけでさ。ベース・ソロでもやりゃ別だけどな。ユウは今はまだそんな事考える必要はねえしさ。とにかく練習して練習して、しっかりポジションを身体に叩き込むっきゃねえんだよ。左手の指先が目になるようにな」 

「須田さんはどんなベーシストがお好きなんですか?」 
「俺かい?そうさねぇやっぱりダグ・ワトキンスかなあ、理想はパーシー・ヒースだけんどね」 
「ハハハ、須田ちゃんは古い古い。信也君ダグ・ワトキンスなんて知らないでしょう?」
石橋さんが横から口をはさむ。 
「はい、今初めて聞く名前ですね。パーシー・ヒースはMJQのベースですよね?」 
「何だ、知らねえか。俺なんてワトキンスは殆ど全部コピーしたもんだよ。そうだ、今度うちに遊びに来なよ。コピーしたやつ見せてやっからよ。ありゃあのまんま教則本になるってもんだよ。ところでユウは誰聴いてんだい?」 
「えっと、一番好きなのはスティーブ・スワロウかなぁ。何てったって最初にウッドやってみようって思わせてくれた人なんで。それと石橋さんからお借りしてるビル・エヴァンスのレコードのスコット・ラファロとか、音色はリチャード・ディビスが一番好きかなあ」 
「何だい、ずい分とダンモばっかし聴いてんだなあ...今はまだちょっと早いんじゃねえかい?もっと勉強になるやつ聴いた方が良いぜ、なあ寛ちゃんよ」 
「うーん、須田ちゃんが言ってる意味もわからんじゃないけどね、でもこればっかりはフィーリングだからなぁ。信也君はそのあたりの事は充分理解してる筈だしねぇ。僕だって本当はポール・チェンバースやレイ・ブラウンをコピーするのが一番だって思ってるけどさ、先ずはジャズに親しむ、ジャズベースっていうのがどんなものなのかを知る、それにはやっぱり自分が良いと思った人の演奏を聴きこむっていうのが一番手っ取り早い方法だとも思ってるんだよ」 
「まあ、そういう考え方もあるだろがね。俺からすりゃレイ・ブラウンだってばりばりのダンモだよ。やっぱり手堅いやつを聴いた方が良いと思うけんどなぁ」 

「あの、須田さんはエレキは弾かれた事ないんですか?」 
「エレキ?ありゃオモチャだろうが。あんなもんはベースっては言わねえんだよ...」

そうなのさ、この頃はまだエレキ・ベースっていうのは日本の音楽界じゃ市民権を得てなかったんだ。

フルバンドは勿論すべてウッドベースだったし(それも電気の力なんてまったく借りずにね)大体、歌謡曲だってごく一部を除いて、まだレコーディングはウッドだったのさ。 
エレキ・ベースがあっというまにポピュラー音楽の世界を席捲するのは、このほんのちょっと後の話なんだ。 
歌謡曲が右へならえで皆8ビートになり、イントロ、間奏の王者トランペットがエレキギターにその座を奪われ、当然の如くにレコーディングもすべて一夜にしてエレキベースに衣替え。 

エレキベースのスペシャリストとして江藤勲さんが頭角を表わし、ドラム石川晶さん、ギター杉本喜代志さんと黄金のレコーディング・リズムセクションとしてポピュラー音楽の世界に君臨する事になるのは、もうまもなくの事なのさ。

 

 

東京 1968 その26

次のステージは須田さんがベースを... 
心なしかコージも小西もちょっと緊張気味さ。 

僕はといえば社長と一緒にグラスを傾けながら須田さんの一挙一動をしっかり観察てなもんだ。 
社長が僕の耳元でささやく 
「菊地君ね、よく見てごらんよ。須田さんは全然力が入ってるように見えないでしょう?でも明らかにヴォリュームが君とは違うのよ。わかるでしょ?そこがキャリアってもんなんだろうね、きっと。同じ楽器でも弾く人によって違った音が出てくるわけさ。まさに個性ですね、これは。うーん、楽しいな」 

確かに社長の言うとおり須田さんはピクリとも動かず目を閉じながら黙々とベースを弾いているんだ。

見た感じじゃ右手なんてまったく力が入ってるようには思えない。 
それでも確実にベースの音が聴こえてくる。

一音一音が明瞭に僕の耳にもはっきりと聴こえてくる。 
一体何が違うんだろう。やはり社長の言うとおりに圧倒的なキャリアの差っていう事なのか... 

やがてステージを終え、石橋さんと須田さんがテーブルに。 
「どうも、お疲れ様でした。僕の楽器はどうでしたか?」 
須田さんは、おしぼりでゆっくりと顔を拭きながら先ずは一口ウィスキーをグイッと呷ると 
「いやぁユウのベースは弦高が低いなぁ。俺の半分ぐらいっきゃねえんだ。あれじゃヴォリューム出ねえだろ?」 
「いえ、今はすごく鳴ってましたが」 
「そりゃ、この編成だからね。でもフルバンドじゃそんなわけにゃいかねえのよ。何せタイコなんて目いっぱい叩いてるわけだしさ、パツラ(トランペット)だってフルヴォリュームだしね。ウッドは大変なんだよフルバンじゃ。ま、今そんな事言ってもしょうがないけどさ。とにかくユウは先ず指を作る事だよ。弦高も、もうちょっと上げた方が良いんじゃねえかな」 
「あの、あんまり力が入ってるように見えなかったんですが?」 
「ん?そうだよ。力で弾くんじゃねえんだよねウッドっていうのはさ。左手でしっかり指板を押さえてさえいりゃ右手なんてちょっと擦る程度で良いんだよ。ツボをしっかり押さえてりゃツボを軽くはじいてやるだけで芯のある音が出るってわけさ。極端に言えば左手だけでも弾けるっていう事だよな。勿論音程が正確じゃねえとダメなのは当たり前な事だよ。ほら野球だってそうだろ?バットの芯はたった一ヶ所っきゃねえって言うじゃない。そこに当たりさえすりゃボールは間違いなく飛んでいくって。それと同じ事なんだよ。芯のある音を弾くっていうのはそういう事なんだよ。ま、今あんまりユウにそういう事言ってもしょうがねえけどさ、でもいつでも頭の中じゃその事を考えながら弾くんだね。そうじゃねえといつまでたってもピッチャーゴロかファウルボールっきゃ打てねえよ」 

何か、少しずつだけど確実に僕にも見えてくるものがあるような、そんな気がして...

 

 

東京 1968 その25

その日の夜、石橋さんが店に一人の男性を連れてきた。 

「信也君ね、こちらベースの須田さん。僕の昔からの友人なんですよ。君の話をしたら一度会ってみたいって言うんでね、それで連れてきたんですよ。須田さんはフルバンドが長いんですがね、何でも聞きゃ良い、とことん教えてくれますよ」 
「寛ちゃん(石橋さんの事さ)からユウの話聞いてさ、グループサウンズ出身だって?面白えね、今までそういう若者に会った事ねえから。ま、よろしくね」 

須田さんは頭を角刈りにした、どこから見ても一本気な職人っていうかまるで大工さんのような感じの人だった。 
「ちょっと左手見せてみな」 
僕が言われるままに左手を差し出すと、須田さんはしきりにその指先を押したりさすったりしながら 
「何だ、こりゃまだまだ全然ダメだよ。フニャフニャじゃねえか。ウッド始めてどのぐらいだって?」 
「えーと、買ったのが7月ぐらいなんで...」 
「何だ、それでもう仕事してたんか?良い度胸だなぁ」 
「はい、自分でもそう思ってるんですが、何かついてるっていうか何ていうか...」 
「俺の指見てみなよ、ほら」 
「ああ、すげえ...」 
そうなんだ、須田さんの指先っていったらまるで吸盤っていうか蛙の指っていうか...おまけにそれがコチコチに硬いのさ。 
「このくらいのタコができねえとウッドは弾きこなせねえよ。 ユウの指はまだまだ赤ちゃんも良いとこだい」 

「まあまあ須田ちゃん、信也君はこれからなんだからさ。やっていくうちにだんだん指も出来上がっていくって」 
石橋さんがニコニコしながら僕をフォローしてくれる。 
「まあそうさな。じゃ、ちょっとばっかり演奏聴かしてもらおう。寛ちゃん、スキウィ(ウィスキって事)貰ってきてよ」 

須田さんはステージの横のテーブルに座り、ウィスキーの並々と注がれたグラスを片手に、じっと僕達の演奏に耳を傾けていた。 
須田さんがベースマンと知るや、社長もグラスを片手にいそいそと隣に座り、何やら話しこんでいる様子だ。 

ステージが終わると、社長が喜色満面で僕と石橋さんをテーブルに手招いた。 
「石橋さん、驚きましたよ。いやぁ奇遇ですわ、僕、彼の事知ってたんですよ。ね、須田ちゃん?」 
あれ、いつまにか「須田ちゃん」になってら... 

「いえ、実はね僕の馴染みのホステス(おそらく彼女の一人なんだろな)がいるんですがね、赤坂の『月世界』なんですけど、そこの専属フルバンドが何と渡辺弘&スターダスターズ。僕はダンスが好きなんで良く踊るんですが、ベースがとっても好い感じでねぇ踊りやすいんですわ。何の事ない、そのベースがこの須田ちゃんじゃないですかぁ。いえね、店に入ってきた時から何となくそんな感じがしてたんですが、『月世界』ってものすごく広いですからねぇちょっと自信がなくってね、それで話をしてみたらそうだって言うじゃないですかぁ。いやはや奇遇奇遇。さ、飲みましょ飲みましょ。次、須田さんベース弾いてくださいよ。菊地君ね、須田さんに教わると絶対良いですよぉ。 今日は何かめでたいねぇ、なっ佐久間」 

もう社長も須田さんもすっかりご機嫌で、石橋さんも大好物のウィスキーをグラスにたっぷり注がれニコニコさ。 
「さ、乾杯!須田さんと月世界に、それと菊地君の前途に!」 

何か大人の世界も満更じゃないな、なんて19歳の僕さ... 

 

 

東京 1968 その24

社長の葉山の別荘で夢のような週末を過ごした僕は、月曜の昼前に東京に戻るとその足で相田先生の許に向かった。 

「え?内山さんのバンドに、君が...」 
先生は目を白黒させて僕の顔をまじまじと見入るばかりだった。 
「はい、おかげ様で。誘われたっていうか何ていうか、とりあえず来月から行く事が決まりましたので、先ずは相田先生にご報告をしなきゃって思いまして、それで...」 
「はぁ、そうですかぁ...いえね、内山さんもピアノの石橋さんも昔からよく知ってる方たちでしてね、私の生徒さんもずい分とお世話いただいてるんですよ。」 
「はい、石橋さんも先生によろしくとの事でした」 
「そうですか、でも良かった良かった。菊地君はすごく運が強いのかもしれませんね。とにかく実戦体験に勝るものはありませんから、しっかり頑張ってくださいね。石橋さんは何でも教えてくれる方ですから、何でも聞いて勉強すると良いですよ」 
「はい、おかげ様でもうずい分といろいろ教わってます」 
「そうですか、それは何よりです。それじゃあ私のところは少しお休みにしましょうかね?君も何かと忙しくなるでしょうしね」 

僕は先生の口からこの言葉が出る事を期待して今日は来たわけで、 
「はい、そうさせていただきます。とりあえず先生のおっしゃられるように実戦で勉強してきます。またわからない事ができたらお伺いしてもよろしいでしょうか?」 
「はい勿論ですよ、いつでも遊びに来てくださいね」 
「ありがとうございます。いろいろとお世話になりました」 

相田先生の家を辞し駅までの道を歩きながら、僕はもう二度とここに来ることはないだろうななんて考えていた。 
でもちょっとドライ過ぎるかなぁなんて気持も胸の中をよぎっていた事もまた事実なわけで... 

今年は実にいろいろな別れが僕の周りにはあったんだ。 
春先には、短期間だったけれどThe Daysのマネージャーだった彼。 
そして沖縄でお世話になった金さんや砂川、照屋両社長、その奥さん達。

そして何よりもThe Daysのメンバーたち... 


短い間に知り合ったいろいろな女の子たちの事は当分忘れられそうにもないし、そして今日は相田先生とも。 
コージ。小西。僕をすごく理解してくださった「クラブいかるが」の社長さんとも今月いっぱいでお別れってことだし... 

 

「さよならだけが人生じゃない」

って言ったのは寺山修司だったっけかな...

 

 

東京 1968 その23

 

11月からの仕事が正式に決まり、翌日僕はさっそくコージと小西にその旨を伝えた。

「そうか、決まったのか...ま、信也にとっちゃ、それが正解ってもんだよなぁ。そうか、来月からか...」 
コージはそれでも半ば諦めきれない表情だった事はいうまでもないさ。 
「信也、すごいねぇ。これでやっと本格的ジャズデビューってことじゃん。でも早いよなあ、この間ウッド買ったばっかりだっていうのにね。いいじゃん、よかったじゃん」 
小西は、ひたすら単純に喜んでくれた。 

「それでさ、俺の後釜だけどさ。どうする?誰かいるかなぁ。 もし良かったらさ、今現在内山さんのバンドでやってる人なんてどうかな?来月から入れ替わるってことでさ」 
「いや、正直言って信也がやめるんだったら、俺もこの仕事はあがろうって思ってんだ。そのことは小西にも言ってあるんだ。なっ?今さら知らない人となんてやれねえよ」 
「ああ、俺はどうせバイトって事なわけでさ。たった2ヶ月でも11万円になるわけだろう?もう、この先一年は小遣いに不自由しねえよ。もう充分ってもんだよ」 
「でもさ、せっかく仕事あるんだからさ、やってた方が良いんじゃねえかな。俺はそう思うけどなぁ。店のスタッフとかもすっごく良くしてくれてるしさ。そうそうないぜ、こんな仕事って...」 
それは本心だったよ。だって僕達のあんな拙いお粗末な演奏でも過大に評価してくれて、ものすごく良い待遇で雇ってくれてる社長のことだってあるわけでさ。 

それでも結局コージの意志は固く、僕達のトリオは今月いっぱいで解散っていうことに決定したんだ。 
神妙な顔でその事を報告をした僕達に、社長は 
「そう。わかった、わかった。きっと菊地君の選択は正しい。僕だってそうすると思うよ。うん、わかるわかる。そうか、2ヶ月だけのおつきあいだったか...短かったねぇ、な、佐久間」 
どことなしに寂しげ気に語る社長だった。 
当然、怒られる事を覚悟していた僕は、そんな優しい社長に対して、本気で申し訳ないっていう気持でいっぱいだったのさ。 
「自分勝手で、ホントに申し訳ありません」 
僕には、これ以上ないっていうくらいに深々と頭を下げて詫びるのが精一杯の事だったんだ。 

「今度の土曜日にね、早目に店閉めて、皆で僕の別荘に遊びに行きましょう。葉山のちょっと先にね、あるんですよ別荘が。海のす~ぐそば。まさかもう海には入れないけどね、バーベキューやりましょ。銀座の女の子も何人か連れてさ。な、佐久間」 
「え?社長の別荘ですか...す、すごい。信じられねぇ」 
そりゃそうだよ、この時代に別荘持ってる人なんて、ちょっとやそっとじゃお目にかかれるなんてもんじゃなかったし、勿論僕達の周りにゃ、そんな人なんてまったく皆無ってもんだしさ。 

その週末、土曜の夜中っていうか日曜のまだ未明に、僕達と厨房のチーフ、それに三人の銀座のお姐さんを乗せ、佐久間さんの濃緑色のべレット1600GTと社長の運転する茄子紺色のスカイライン2000GT-B(こりゃ当時の若者にとっちゃまさに垂涎の的だったんだ。カーキチのコージなんて、もうその時点ですっかりヒートアップも良いとこさ)の二台は、第三京浜を派手なカーチェイスを繰り広げながら、一路湘南の海へ海へと激走していた。 

「いやあ、何か思い出づくりって感じで良いねぇ。これぞ青春だよ、青春!な、コージ君?菊地君?」 
社長はもうすっかりご満悦で、右に左にハンドルさばきも実に軽快そのものって感じで、まさしく絶好調さ。 

僕はといえば、狭い後部座席で両脇からやたらと密着してくる銀座のお姐さんの柔らかな太腿と豊満なバストに、もう頭の中はすっかり真っ白けのテンパイ状態もいいところってなもんで...

 

 

東京 1968 その22

 

さっそく翌日、内山さんに会うために僕は「ギルビー」へ。 

新宿三丁目の交差点をコタニ楽器、世界堂方面に歩き、東映会館の隣あたりのビルの一階、そこが「ギルビー」だった。 
入り口を入ると直ぐに左手の壁際のカウンターが奥まで延々と続いていて、中央部分にも楕円形のカウンターの島が二つ。

長方形の、やけに奥行きのある、カウンターだらけの、そんな店だった。

その一番奥にステージがあった。 

まるで鉄琴の王様といった感じのヴィブラフォンがステージ中央にでんと置かれており、壁際にアップライトピアノ、一番奥にはラディックのドラムセット。

そしてその隣には壁に立てかけられたウッドベース。

明らかに僕のものよりは、はるかに高そうな代物だ。 

「やあ、信也君来たね。こっちこっち」 
「あ、お早うございます」 
ステージの横のドアから石橋さんが顔をのぞかせ手招いてくれたのは10畳ほどの部屋で、どうやらバンド控え室ってことらしい。 
「失礼します。初めまして、ベースの菊地です」 
パイプ椅子に坐っていた、石橋さんよりは少し年上の、おそらく内山さんらしい人が 
「ああ、君ねぇ。若いねぇ、背ぇ高いねぇ、足が長くってカッコ良いねぇ。僕が内山、よろしく。さ、坐って坐って」 
内山さんっていうのは、小柄で、何か妙にせっかちそうな人で、始終口許に手を当てながら喋るのがどうやらクセになっているようだった。 

「石橋さんからいろいろと聞いてるんでね、いちおう僕としちゃもう決めてるんだけど、君、えーと菊地君はどうなのかな?勉強になるよー、どう?どう?」 
「ええ、はい。僕としてもそのつもりで...」 
「ああ、そう。じゃ決まりだ。来月アタマっからね、日曜祭日は休みで、7時から11時半までね。ユニフォームあるんで、黒ズボンだけ用意してね。譜面台もあるし、あ、勿論楽器は持ってきてね、それとね、あ、そうかネカ(ギャラ)はイーゲー(3万5千円)ね。毎月20日と5日払いね。一人もんだったら充分でしょ?貯金もしなきゃね、ジョノカ(彼女)はいるの?何人いるの?今度連れといで、この店だったら誰連れてきても平気だからね、ホホホ。それと菊地君、ワンステージだけやってってくださいね、ま、気楽にね。そのうちメンバー来ますから」 

店に置いてあったウッドベースは実に弾きやすく、また、頑丈な木の床のせいか低音が思った以上に心地好く響き、音量もまったく申し分なく、何か自分が少し上達したのかなぁなんて、一人ご満悦な僕だったのさ。 

「おっはよう、よろしくでぇーす」 
ドラムの東(あづま)さんっていうのは、見るからに、まるで外人のおっさん然とした人で僕よりは3,4歳上ってとこかな。 

「さ、じゃFのブルースいってみましょ。最初ベースとドラムで2コーラス、はい!」 

おいおい、いきなりかよ~ 
考えてる暇もなにもありゃしねえや...

 

東京 1968 その21

 

さっそく、石橋さんが耳寄りな話を持ってきてくれた。 

「信也君ね、来月から僕が今いるバンドに来ませんか?」 
「え?ホントですかぁ、行きます行きます。石橋さんと一緒に出来るんですか?」 
「はい。新宿のね『ギルビー』っていうお店なんですがね、三丁目のコタニ楽器のすぐ隣です。コンパなんですが、ジャズができるんでね、君には良いかなって思って」 
「あの、バンマスは?石橋さんじゃないんですか?」 
「ああ、違います。僕もメンバーでね。ヴァイブの内山さんっていう人のバンドですよ。あとはベースとドラム。7時から11時半までね。内山さんっていうのは元々シックス・ジョーズでやってた方でね。知ってるでしょ?シックス・ジョーズ。ナベプロの元になったバンドですよ。そんなわけでメチャメチャ顔の広い人ですから、信也君にとっても何かと好都合だと思いますよ。曲も覚えられるし、譜面を読む練習にもなりますしね。いろんな人と出会えるチャンスもありますよ」 
「わかりました。ありがとうございます。あの、ヴァイブって、ゲーリー・バートンのやってるアレですよね?」 
「はいはい、そうです。ま、同じ楽器でもずいぶんとスタイルは違いますけどね」 
「はあ。それで、今いるベースの方はやめられるんですか?」 
「うん、やっぱり若い人なんですがね。ま、何か事情があるんでしょうが突然やめる事になりましてね、それで内山さんもベースはやっぱり若い人が良いってことで探していたんですよ。それなら信也君が良いだろうって事で、僕が推薦しました」 

「じゃあ、明日の夜6時頃に『ギルビー』に来てください。内山さんに紹介しますから。おそらくワン・ステージぐらい弾いてもらうと思いますから。なあに、いつもの調子でやれば大丈夫ですって」 

どうやら、何かますますツキが回ってきたようだ。 
その夜の演奏がいつもよりも更に熱のこもったものになったのは言うまでもないことさ。

コージもすっかりのせられたのか 
「信也、何だよ、今日はどうしちゃったんだよ?おまえ何か良い事あったんだろう?」 
なんて言いながら、奴のプレイも思わずヒートアップさ。 
 

東京 1968 その20

僕達三人の間が何かぎくしゃくとしているのは、社長にだってすっかりお見通しだった。
ある日仕事の後で、帰ろうとしているコージと小西を呼びとめると 
「さあ、たまには一緒に少し飲もうかな」 
なんて言いながら、さっさと自分で僕達のためにテーブルをセットしてくれて、 
「おーい佐久間。チーフに言ってステーキを焼いてもらってちょうだい。ええと5人前ね。佐久間も食うかい?じゃ、6人分ね。勘定は僕につけるようにって」 

僕達はステーキって聞いた瞬間、もうそれだけで目の色が変わってワクワクもんさ。

この「クラブいかるが」の売り物のひとつが「特製ステーキ」ってやつだったんだ。

鉄板の上でジュージューと音を立てた焼きたての本物のステーキなんて、この時代じゃまだまだ映画の中でしかお目にかかれなかったのさ。 

「たまにはブランディも良いんじゃないかい?」 
これまた高級なヘネシーかなんかを僕達のグラスに注いで 
「さ、先ずは乾杯!」 
「乾杯」「乾杯」... 

充分にステーキを堪能した僕達に 
「石橋さんが加わってからね、バンドの幅が広くなったねぇ。 みんなの腕も確実に上がってるしね。コージ君のギターも評判良いよぉ。みんなカッコ良いって銀座のお姐さんたちも皆ノリノリよ。僕もおかげさまで鼻高々だよ」 
石橋さんもすっかりヘネシーで上機嫌。 
「社長ね、やっぱり若い人とやると刺激があって良いですねぇ。僕もずい分と勉強になりますよ。ロックのリズムじゃ彼等の方が大先輩でね、ホント、教えられる事が多いんですよ。皆さんこれからが楽しみですねぇ」 
「石橋さんね、女と一緒ですって。やっぱり若い娘っていうのはねぇ、なっ佐久間?そうだ、佐久間っていうのはとんでもない奴でね、この間の夜なんかねぇ...」 

杯を重ねながら、他愛もない冗談話で僕達を盛り上げようとしてくれている社長の好意が何かとっても嬉しかったと同時に、それでも僕が心に決めた事はその好意を裏切る事でもあるわけで、何か僕はとっても複雑な心境で、舌の上で転がしていたヘネシーも気がつくといつのまにか苦い味へと変わっていたのさ... 

帰りの五反田駅のホームで始発待ちをしている時に、僕は思いきって石橋さんに言ってみた。 
「石橋さん、何か僕でも出来る仕事ってありませんか?」 
「えっ...?」 
石橋さんは、きょとんとした表情で、しげしげと僕の顔をのぞきこみながら 
「信也君は、この先プロでやっていきたいって事ですよね?」 
「はい。その気持はものすごく強いです。だから、最近はコージたちとやってるのが何かすごく遠回りしてるような気がしてならなくって...あいつは所詮プロになろうなんて気はまったくなくって、それで...」 

実は、先日コージの部屋に行った時に、コージは最後に 
「信也さ、もう酒はやめてさ、これ飲もうぜ。小西もどうだい?」 
そう言って、机の引き出しから取り出した小さな紙袋の中身をテーブルの上にばら撒いた。 

「...コージ、これって」 
「ハイミナールだよ。ミ、ナ、ハ、イ!これ効くぜ~。ゴキゲンだぜぇ。さぁ、信也もやってみなよ。ホントは酒飲まない方が良いんだけどさぁ」 
コージは既にポリポリとかじりながら、それでも、もう既に目がとろんとしているのがわかった。 

「お前、部屋借りたのって、こういう事だったのかよ」 
僕はだんだんと頭の中が真っ白になっていくのを感じていた。 
「ああ、それもひとつの理由だよ。いつだって女も連れ込めるしなぁ。今度はチャッパ(マリファナ)も仕入れて来っからよ。信也も一緒にやろうぜ、なあ?」 

僕は、何も言わずコップに残ったウィスキーを一気に飲み干すと 
「コージ、もう終わりだよ。俺は10月いっぱいでやめさせてもらうよ。世話になったな」 
そう言って立ち上がり、部屋を出た。 
「ハハハ、信也のヤツ怒ってやがるよ。何だよ~沖縄じゃさんざんやったくせによ~」 
ドアを後ろ手に閉めると、僕はひとつ大きな深呼吸をして、それから駅への道を急いだ。

石橋さんは真顔になると、 
「うん、それは僕も強く感じてましたよ。確かに君とコージ君は違うなってね。信也君は何か必死ですもんね。だから僕もついつい、いろんな注文をしちゃうわけでね...」 
「何でも良いんです。どこへでも行きますし」 
「わかりました。実はね、ない事もないんですよ。うん、わかりました。君がそこまで本気なんでしたらね、僕が何とかしてみましょう。心配しないで、まかせてくださいね」 
「はい、ありがとうございます...」 

僕は何か熱いものがこみあげてくるのを必死になってこらえていた。

 

 

東京 1968 その19

渋谷並木橋の近くにコージが借りていた部屋は、6畳一間に小さな流しがついているだけの、この時代とすれば一人暮らしの若者が住むにはごく当たり前の、普通の部屋だった。
部屋の片隅に置かれたビクターの小さなレコード・プレーヤーにウェス・モンゴメリーのLPをセットしながら 
「夜中だからヴォリュームは絞るぜ。ウィスキー飲むかい?」 
「ああ、二人とも飲むんだろ?」 
コージはプラスティックのコップにハイニッカを並々と注いでくれた。

勿論、氷なんてありゃしないさ。 

「よく、金さんとこうやって飲んだよな...」 
「ああ、でも、あん時はジャック・ダニエルだったけどな」 
怪訝そうな顔をしている小西に、僕は沖縄での話を聞かせてやった。 

「長かったよなぁ三ヶ月...でも、行って良かったよな今考えりゃよ。あれで行ってなかったら今でもウダウダやってたんだろなあ俺たち...」 
コージがしみじみと言い、グッとウィスキーを呷った。 
「コージはモンキーと仲悪かったもんなぁ。いずれは分裂した筈だよ。沖縄に行ったおかげでそれが早くなったって事だよな」 
「モンキーもな、悪い奴じゃねえしよ、歌はメチャクチャうまかったからなぁ。ただな、ちょっと身勝手だったよな」 
「どうしても共同生活してるとさ、嫌な部分が鼻についてきちゃうもんなんだよ。そういう意味じゃモンキーはアクが強かったからね。俺達とはちょっと違ってたよな...」 

小西は僕達の話を興味深げに聞きながら静かに飲んでいたが 
「ところで信也さぁ、石橋さんの事どう思ってんだい?」 
「え?どうって、どういう事?」 
「いや、結構キビシイ事言われてないかい?」 
「キビシイって、だって全部ホントの事じゃん。俺達なんて石橋さんから見たら全然ヒヨっ子もいいとこじゃねえの。まるで素人同然だと思うよ。まして俺なんて殆どウッドは初心者だもん。見るに見かねていろいろ教えてくれてんだと思うけどなあ」 
するとコージが 
「信也はさ、何でも教えてもらえるから良いけどさ、俺には何にも言ってくんねえんだよな。バッキングなんて、何弾いて良いか全然わかんねえよ俺...雰囲気はわかるんだけどなぁ」 
「ベースはさ、とりあえずピアノについていけば何とかなるじゃん。だから言ってくれてんだと思うよ。でも、やっぱりねジャズやろうって思うんだったら理論とか勉強しないと全然駄目だね。俺はつくづくわかったよ。理屈がわかると石橋さんの言ってる事も、ああそうかって直ぐに納得できるんだよ。俺、今さ、ウッドベース習いに行ってるって前に言ったじゃん、でもね実践で石橋さんに教えてもらってる方が100倍も理解できるんだよね。だから、もう習いに行くのやめようかなぁって最近思ってんだよ」 
「信也はジャズやっていこうって完全に決めたんだろ?でも俺はまだそんな事考えてねえよ」 

僕はコージの言ってる意味が最初よくわからなかった。 
「え?コージもジャズをやっていくって事じゃなかったの?それで今度の仕事とったんじゃなかったの?」 
「信也ね、今日はその事を話したくって誘ったんだよ」 
僕はコップに残っていたウィスキーを一気に飲み干すと 
「小西は大学生だからさ、いずれは就職するわけだろ?だったらバイト感覚でも良いけどさ。でもコージはどうなんだよ。そもそも俺達はプロになろうって事でバンド組んでたわけだろう。たまたま早く結論が出たからロックはやめちゃったけど、ジャズに行かないんだったら、一体これからどうしようって思ってんだよ。またロックバンドでも組んでやっていこうなんて思ってんのか?」 

「それを考えたくって、今度の仕事を請けたっていうのが俺の本音だよ。信也とだったらなんか上手くやっていけるかなって思ってよ。でも石橋さんが入ってきてから、なんか俺の出番なんて全然ねえしさ、信也は石橋さんにベッタリだろう...」 
「馬鹿言ってんなよ。石橋さんのお蔭で近道できるんじゃねえか。俺達だけでやってたら、いつまで経ったって素人状態のまんまじゃねえか。コージだって、もっと石橋さんに聞けば良いんだよ。何でも教えてくれるって、あの人は」 
「俺はそういうの得意じゃねえんだよ。信也みたいに」 
「何だよ、俺に文句あんのかよ。俺はね一日も早く一人前になりたいだけだよ。石橋さんと出会えたのはものすごいチャンスなんだよ。何でコージにはそれがわかんねえんだよ!もっと考えろよ!」 
 

 

東京 1968 その18

「信也君ね、最初のうちは僕の左手を見る習慣をつけてくださいね。とりあえず君が知らない曲を弾く時には最初は小指でルートの音を弾きますから。それを見て後についてきてください。君はカンが良いから2コーラスぐらいやれば憶えられるでしょ?そうすりゃいちいち譜面を見なくてもすみますからね」 
「え?僕でもできるんでしょうか?」 
こりゃあえらいこっちゃ。

何しろ生まれて初めてのピアノとの共演で、しかも後を追いかけろって... 
勿論ロックバンドの時だって、いきなり知らない曲をやる事はしばしばあったし、その時はギターのおさえてるコードを瞬時に判断しながらついていくわけで。

でも、ロック系っていうのは大体が決まり決まったコード進行だったんで何とかなってたわけで... 

「あの、ジャズってそういう事多いんですか?」 
おずおずと聞いてみると 
「そうね。ピアニストによって使うコードも違いますしね。それぞれのピアニストのスタイルとか解釈とかクセみたいなのもありますからね。ベースは先ずピアノについていくっていうのが基本ですから、とりあえずはね。大丈夫ですよ。慣れの問題ですから。それに曲の仕組みとか構成みたいなものも、だんだんとわかってくるようになりますよ。君なら大丈夫です。1コーラス目はとにかくついていく。2コーラス目には構成を把握する。3コーラス目にはもう殆どわかってる。こんな感じでしょうかね。とにかく、頑張ってくださいね」 
「...はい」 
「といってもね、ちゃんとアレンジした曲とか、ベースに弾いて欲しいラインなんかがあるものは譜面に書きますから安心してね」 

まさしく実践訓練開始!ってなもんだったのさ。

ワンステージに10曲やるとすりゃ、半分は以前からやっていたコージのレパートリー(それにしたってコードを直してもらい、ピアノが入った事ですっかりサウンドも厚くなって、まるで見違えちゃったもんさ)で、あとは石橋さんの弾くコマーシャルな曲(そうさ、例えば愛情物語のテーマとか慕情みたいなね。それこそ僕はぶっつけ本番で後からついていくわけで...)そして踊れる曲(マンボやらチャチャやらゴーゴーとかね) 
そして一曲は4ビートのブルースをやるのさ。

これはまったく僕達の勉強課題そのものだったんだ。 
以前の僕達もよく即興でブルースはやったもんさ。

といっても勿論4ビートなんかじゃなくってね。

しかもキーはいつだってEとかAなんだ。

これはロックっていうかギター主体だったら当たり前の事だったんで、初めて石橋さんに 
「じゃ、Fのブルースね。イントロ4小節、ハイッ」 
なんて言われて突然始められた時にはもうビックリ仰天、一体何をどうすりゃ良いのかわけもわからず右往左往したもんさ。 

「皆さん方はジャズはやった事ないんですよね?じゃこれは良い機会だと思ってチャレンジしてください。コージ君はね、ソロの時だけ弾いてください。バッキングは弾かなくて良いですから。ソロは自由ですから、ロックのフレーズでも良いんですよ、思うとおりに弾いてくださいね。バッキングは少し勉強してからにしましょうね。 小西君は、とにかくリズムを崩さないようにしっかりキープしてくださいね。おかずはあんまり入れなくて良いですから。 信也君は、とにかくベースラインを勉強しましょう。コードを分解しながら次のコードへの橋渡しって事を頭の中で考えながら弾いてください。基本的なブルースのラインは僕が何種類か書いてあげますから、これを練習して憶えてくださいね。全部のキーで弾けるようにもね。ま、特にFとBフラットかな一番は」 

こんな感じで「石橋ジャズ教室」は幕を開けたのさ。

それも高いギャラをもらいながらっていうんだから、本当に僕はラッキーさ。 
石橋さんは埼玉の蕨市に自宅があり、下赤塚まで帰る僕とは池袋までは一緒だった。

仕事が終わると店で時間をつぶし、山手線の始発に乗って僕達は毎朝帰ったんだ。 

石橋さんは昭和8年生まれ。

社長とは同じ歳(最初はてっきり40を過ぎてるとばっかり思ってたんだけど)なのさ。

見た目も何も正反対のような二人なんだけど何か妙に気があうらしく、今までも何度か仕事ではつきあいがあったらしいんだ。 
石橋さんの出演している店によく飲みに行ったり、社長が新しい店を出そうなんていうと相談にのったり、今回だって本当は社長は最初から石橋さんにやって欲しかったのさ。でもどうしても12時前は今の仕事から抜ける事が出来なくて、それで僕達のところにお鉢が回ってきたってわけさ。 
良くも悪くも夜中の場面には僕達じゃ荷が重過ぎるっていう事を直ぐに理解判断した社長が、せめて夜中だけでもっていう事で石橋さんを招いたのさ。 
いずれにしても僕からすりゃ二人は完全におじさんだったし、でも今まで出会ったことのない何とも魅力たっぷりのおじさんたちだったわけで... 

コージはもともと練馬の大泉に実家があったんだけど、いつにまにやら僕も知らない間に渋谷の並木橋辺りのアパートに部屋を借りて一人暮らしを始めたらしい。 
青山一丁目まで帰る小西と、二人は仕事が終わると直ぐにタクシーに乗って帰って行くようになったんだ。 

社長が出してくれる高級なウィスキーを実に旨そうに飲みながら、石橋さんは僕にジャズの理屈(まだ、日本じゃジャズの理論っていうのは確立してなかった頃なんだ。ナベサダさんが米国バークレーで習ってきたものを広く伝えるようになったのはまだちょっと先の事なんだ)をわかりやすい言葉で教えてくれたのさ。 
僕も一生懸命だったし、こんな機会はそうそうあるもんじゃないし... 

そんなある日。あと1ステージで今夜の仕事も終わりっていう頃に、コージが妙に神妙な顔つきで
「信也さ、ちょっと今日は俺につきあってくんねえか?並木橋に部屋あるしよ、小西も来るから。な?」