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2008年07月14日(月) 12時06分47秒

昭和の記憶・その22...昭和36年(1961年) その③

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 その

東京での最初の一週間は、柳田さんのお宅に泊めていただく事になっていた。

地下鉄・丸の内線「新中野」下車。
青梅街道を鍋屋横丁方面に戻り大きな道路を左折。
さらに私道に入るとそこは閑静な住宅街。
その一番奥にある瀟洒な二階家が柳田家だった。

柳田家は、ご夫妻と長男のトモちゃん(愛称ね)
それに、子供が生まれたばかりの長女ご夫婦(ご主人は実直そうな銀行マンだった)が同居していた。

福島から出てきたばかりの僕には、そこはまるで映画やテレビにでも出てくるような何か眩しいばかりの家庭の姿に見えたもんさ。
僕が先ず最初に感心させられたのは、家庭内で飛び交う会話の歯切れの良さだった。
ま、モゴモゴと口ごもる東北弁の世界から一夜にして標準語の世界に飛び込んだわけでもあり、もうそれだけで田舎の少年にとってはカルチャー・ショックだったわけでね。

それと、照明の明るさにも驚いたもんだ。
福島の我が家は当たり前のように昔ながらの白熱電球を使っていたわけで、夜ともなれば何か家全体が薄暗く、それに較べて蛍光灯の放つ真っ白い照明っていうのは、何かとっても明るく、モダンで新鮮なものに感じたんだ。
それに、初めて体験する水洗トイレにもドキドキだったし
ダイニング・テーブルなんていったら、まるで夢の世界のようだった。

ご主人は立派な体躯の持ち主で押出しも充分、いかにも重役ってな雰囲気を全身から醸し出しており、また極端に寡黙な人でもあった。
僕などは、ふた言ぐらいしか交わした記憶しかないってなもんだ。

トモちゃんは、僕よりも二歳年上で成蹊中学の三年生。
まるで絵に描いたような、洗練された都会の少年だった。

彼の一挙一動、話す内容もファッションも僕にとってはすべてが新鮮であり憧れでもあり、また自分もこうならねばというひとつのお手本でもあったわけで、要するに僕にとっては生まれて初めて出会ったアイドルだったってなわけさ。

トモちゃんは家にいる時は常にガン・ベルトを腰に巻いていた。あせあせ
大の西部劇ファンであり、高価なモデルガンを数丁持っていたんだ。
特に一番のお気に入りは銀色に輝くコルト・ピースメーカー
いわゆるコルト45ってやつさ。
ズッシリと重いそれを後生大事にいつもビロードの布で磨いては、得意気にクルクルと右手で回しては悦に入っていた。
うらめし気にそれを眺める僕...

しかし僕としては、それよりもウィンチェスター・ライフルの方が気になって気になって仕方がなかった。
プラスティック製とはいえ、それはまさに本物そっくりで、僕は欲しくて欲しくてたまらなかった。
でも、およそ三千円という価格は、どうにも当時の僕には高嶺の花以上のものだったわけで...


また、トモちゃんはミニチュア・カーのコレクターでもあった。
驚くほどに精巧精密なダイキャスト製のミニカーが4,50台もあっただろうか。
それはもうオモチャの域をはるかに超えたものであり、僕を虜にするのにまったく時間を必要とはしなかった。

一台が300~600円という事で、これなら何とか僕にでも手が届く範囲かなぁと、僕は密かにミニカー収集を今後の趣味にしようと、この時強く心に誓ったもんだった。

こんな具合に、上京後すぐに僕はトモちゃんからの影響もあり、福島には絶対にあり得なかったいろいろなものを見聞きする事で、短期間に自分の中でも何かが急激に変化していくのを感じていた。


その日は、トモちゃんに連れられて映画を観に行くという事になった。
新宿「ミラノ座」でゴールデン・ウィークに合わせて封切られたばかりの
荒野の七人」さ。

生まれて初めての新宿

先ずは人の多さと建物の大きさに圧倒され、キョロキョロとしながらも僕は迷子になる事を極度に怖れトモちゃんの腕から片時も手を離さず、今思えばまるで田舎出の山猿といった僕を連れたトモちゃんは相当に迷惑だったんだろうなぁ...

待ち合わせていたトモちゃんの級友4人は、皆一様に怪訝な顔つきで僕をジロジロ...
「福島から出てきた親戚の子さ」
トモちゃんはチョット恥ずかしそうに僕を皆に紹介してくれた。

映画の内容もさる事ながら、そのミラノ座の大きさ、豪華さにもいたく感動し、フカフカとした座席にスッポリと身を沈めながら、思いがけなくも東京に出てきた自分の強運ぶりと、これからの生活への大きな期待といったものに思わず頬が緩んでくる、そんな僕だったのさ。


映画の後は不二家レストランでの昼食。
やはり生まれて初めてのレストラン体験に胸が高鳴る僕。
「海老フライ...」
興奮ぶりを気取られないように必死な僕。
でも声の震えは誤魔化しようもなかったわけでね。

そして何よりも、僕と二歳っきゃ違わないのに、すっかり大人然としたトモちゃんや友人たちに驚愕を隠しきれない僕でもあったわけで...





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2008年06月26日(木) 21時56分57秒

昭和の記憶・その21...昭和36年(1961年) その②

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その

母は大正3年8月13日、北海道・札幌で生まれている。

母には住まいも隣同士、そして女学校まで共に机を並べていた「咲子さん」という友人がいた。
どうやら母は眠れない夜などに、この咲子さんに宛てて愚痴話やら最近の自分の身にふりかかった災厄事などを手紙にしたためていたようだった。
咲子さんのご主人は柳田さんといい、札幌に本社を構えた「岩田建設」という中堅建設会社の東京支店長をしており、中野に居を構えているという。

「昨日、咲ちゃんから返事が来てね...」
どうやら母の話では、その岩田建設の独身寮が板橋区にあり、入居者の食事の世話などをする管理人(寮母)を5月から急募中との事。

「お嬢さん育ちのお澄(母・澄子の愛称)に、そんな仕事できるかしらって書いてるんだけどね、狭いけど部屋もちゃんと用意されてるし、食費も光熱費も全然かからないんだって言うのよ...」
「えっ?それでどうすんのさ?」
「お母さんとしてはね、今の病院の仕事もきついしお給料は安いし、でもだからといって他に仕事なんてそうそうないしね、毎晩借金とりは押しかけてくるわで、このまま福島にいても、もうどうしようもないって思ってはいるのよ。きっと今が、もうお母さんの限界なのね。
だったら、いっその事まったく何のしがらみもない新しい土地で一からやり直しっていう方が良いかなぁなんても思ってるんだけどねぇ。
でもあんたがどう思うか...福島から離れたくないでしょ?」

「いや、僕は全然平気だよ。中学も入ったばっかりだし、転校したって全然何ともないよ。それに、東京に行くってことでしょう?」
そうさ、僕にとっちゃ、まさに渡りに舟ってなもんだったのさ。
中学に入ってからというもの、何かそれまでの友人たちとも微妙に距離が開いていくのを感じていたし、それに何よりも夜になると押しかけてくる債権者たちの存在が僕を心底押し潰しそうになっていたわけで、自分の先行き、未来の事なんてまったく考える余裕すらなかったのさ。

「じゃあ、咲ちゃんの話、決めちゃおうか?」
「うん、そうしようよ。お母ちゃんと二人ならきっと何とかなるよ、絶対に」

こうして、僕たちの東京行きの話はとんとん拍子に進められたんだ。
といっても、母はほんの近しい人たちにしかこの事は明かしておらず、
僕の転校の件なども秘密裡のうちに手続きを進めていたんだ。

「部屋がね、6畳一間なんだって。だから荷物は殆ど持っていけないわよ。お布団と着る物ぐらいかしらね。それも当座のね。家具なんて持っていけないし...」

今でいえば6LDKほどの一軒家から、6畳のワンルームに引っ越すってなもんで、そりゃもういかに荷物を少なくするかっていう、言ってみればただそれだけの事ではあったわけで...
すっかり開き直った僕と母は、それからというもの持って行く荷物、後から送ってもらう荷物などの仕分け作業に没頭したもんさ。

兄も急遽東京から戻り、その作業に加わっていた。

我が家には、父母が購入した書籍類が山のようにあったが、しかしそれは持って行くにはあまりにも無理というもので、僕の、小学生としてはやはり尋常ではない数の本たちと同様処分される事となった。
それらは、夜陰に乗じてトラックでやってきた古書店の主人に二束三文の値で引きとられていった。

母の着物や、夥しい数の洋服などは、親戚や近所の女性陣に惜しげもなく分け与えられた。
父が生前購入した箪笥のように大きな自慢の蓄音機も、集めに集めたレコードと共に古道具屋に引きとられていった。

日毎に家の中からモノがなくなっていく。
もうそこにはひと頃家族団欒があった事などまったく想像もできないような、そんな寒々しい空気が流れているばかりだった。



上京は5月の連休という事になった。
クラスで教師が皆にそれを伝えた。
突然の話に、クラス中が一瞬ざわめいたがすぐに静まり、
僕は前に進み皆にわかれの挨拶をした。
「家の事情で東京に行く事になりました。落ち着いたら手紙を書きます。今までいろいろとお世話になりました」
病的なほど引っ込み思案で、皆の前で喋るなんて絶対にあり得なかった僕が、堂々と胸を張って挨拶をした事が皆には一様に驚きだったようだ。

そしてそれが僕の福島に於ける最初で最後の大舞台だったわけで...



5月の連休初日。
福島駅に着いた僕は驚いた。
早朝だというのに上りのホームには3、40人ほどの人だかりが...

それは僕たちを見送りにきた人々だった。
親戚縁者はもとより、家の近所の人たち、父の会社関係の人たち、そして何より僕が驚いたのは僕の小学校時の級友たちの数の多さだった。
「しんや、東京行っても頑張れや」
「うん、みんなも...」
何か気恥ずかしさからか、僕たちはあまり喋る事ができなかった。
ただ顔を見つめて、所在なげな笑みを浮かべるだけだった。

5,6年時の担任で、僕の一番大好きだった村岡先生が
「しんや、お母さんを大事にしろよ。はい、これ、後で見な」
と言って、眼鏡の奥の優しい瞳をさらに優しくしながら何か大きな茶封筒を手渡してくれた。

この朝、僕は何故か涙を流すようなことはしなかった。
妙に冷静な自分がそこには居たし、
大体、人前で泣き顔を見せるなんて、僕には絶対できない相談だったわけで。

やがて列車が到着して、僕たちは乗り込んだ。
僕は窓を大きく開けた。
すぐに発車のベルがホーム中に鳴り響いた。
と同時に堰を切ったように皆が口々に
「奥さ~ん、どうぞご無事で」
「澄子さん、頑張ってくださいね~」
「しんちゃん、お母さん大事にしてやってね~」
「しんやちゃん、夏休みになったら遊びに来いよ~」
「しんや、頑張れよ~」

母は頭を下げ続け
僕は手を振り続けた。


甲高い汽笛を鳴らし、列車は静かに動き出した。
その動きに合わせるように皆もぞろぞろと手を振りながら列車についてくる。
やがて徐々に列車の速度が増し、一人一人と数が減り
最後まで走ってついてきてくれたのは、あれは級友の平塚君だったろうか、それとも家の裏のマーボちゃんだったろうか...


もう駅は遥か彼方になり、車窓からは阿武隈川と弁天山が見えた。
あの山や川で遊んだ思い出が走馬灯のように僕の頭の中を駆け巡った。
日東紡の工場を過ぎ、やがて列車は金谷川の急勾配をぜいぜいいいながら上りはじめた。

向い側の席で母はハンカチで目を拭いながら大きなため息をついていた。
僕もしばらくは放心状態のまま座席にもたれながら、車窓をとびかっていく風景をただ茫然と眺めていた。


ふと、先ほど村岡先生が手渡してくれた大きな茶封筒の事を思い出して
僕は封を開けてみた。
中には一枚の色紙が入っていた。

それは6年時の村岡学級のみんなが書いてくれた
僕のために、僕を励ますために書いてくれた寄せ書きだった。


それを読んでいるうちに
何かが胸の奥から突然こみ上げてきて
勝手に涙が溢れて、頬を伝わり落ちた。

悲しいんじゃない、嬉しくて嬉しくて仕方がなくって、
それで涙が勝手に出てくるんだ。


僕は座席の隅で窓の外を眺めながら、両手で色紙を強く握りしめたまま
ずっと嗚咽を洩らし続けた。


列車は、既に松川あたりを過ぎていた...


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2008年06月21日(土) 11時13分44秒

昭和の記憶・その20...昭和36年(1961年) その①

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その

この年、僕は12歳

おそらく僕の人生にとっては、最も重要な一年だったのではなかろうか...

4月 福島大学学芸学部附属中学校に入学。

附属小からの繰上げ入学の他にも、外部から試験に受かり入ってきた生徒が一割ほどもいただろうか。
とにかく彼らは皆、一様に優秀だった。
授業内容も格段に難しさを増し、果たして僕はついていけるのだろうかと結構本気で不安になったもんだった。

しかし、それ以上に僕を悩ませたものがあったんだ。
それは自転車...
生徒の大半が、当たり前のように自転車通学をしていた。
僕も本来ならそうあって然るべきところなのだが、
いかんせん、僕は自転車を持っていなかったんだ...冷や汗

幼児期には、近所の誰よりも早くから子供用の自転車を買ってもらい得意満面で乗り回していた僕。

しかし、この頃の我が家には新しい自転車を買う余裕なんてもうどこにもなかったし、夜も遅くまで精神病院で働いては疲れ果てて帰ってくる母の姿を見るにつけ、口が裂けても絶対に言える相談じゃないって事は充分にわかりきった事だったのさ。


朝、阿武隈川の土手を歩いて学校に通う僕の横を、ピカピカの真新しい自転車に跨った同級生たちが次々と抜き去っていく。
「何だ、しんやは歩いて通ってんのか?」
「自転車乗れねぇのか?」
「いつから乗ってくんだぁ?」
皆が投げかけてくる何気ない言葉のひとつひとつが僕の胸に深く突き刺さった...


それからの僕は皆に会わないように、30分ほども早くに家を出ただろうか。
そして放課後ともなれば、皆が帰った頃を見計らい、ひとりトボトボと土手を歩き家路についた。

遠くに見える吾妻連峰が夕陽に映えて茜色に染まりキラキラと輝き、
それがまた阿武隈川の川面に反射して、ひとりで歩いている僕の全身を眩いばかりの光で包んでくれるんだ。

この時の僕には、山々と川だけが唯一の味方だって思えたものさ。


前出のYの他にも、数人の債権者が夜な夜な押しかけてきては恨みつらみを母に繰り返し繰り返し吐き出し述べ立てる、そんな日々は年が変わってもずっと続いていた。

母は心底疲れ果てていた。
母の背中が日毎に小さくやつれていくのが僕にもはっきりとわかった。
僕は母が不憫でならなかった。

この先、一体僕たちはどうなるんだろう...


そんなある夜、食事の途中で母が突然
「私たち、東京へ行くわよ」
と、切り出した。
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2008年06月09日(月) 14時57分07秒

昭和の記憶・その19...昭和35年(1960年) 第二部。

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今日は娯楽編ということでネ

【映画】
(日本)
裸の島 [近代映協]
 「モスクワ映画祭金賞」(1961年)
 [監督]進藤兼人、[出演]音羽信子、殿山泰司
霧笛が俺を呼んでいる [日活]
 [出演]赤木圭一郎、芦川いづみ、吉永小百合
青春残酷物語
 [監督]大島渚、[出演]川津裕介
こつまなんきん[松竹]
 [出演]嵯峨三智子、藤山寛美、曽我迺家明蝶
秋日和[松竹]
 [監督]小津安二郎、[出演]原節子、司葉子、佐分利信、佐田啓二、岡田茉莉子、笠智衆
足にさわった女[大映]
 [出演]京マチ子、ハナ肇、船越英二、杉村春子、田宮二郎
おとうと[大映]
 [原作]幸田文、[監督]市川崑、[出演]岸恵子、川口浩、田中絹代、森雅之、岸田今日子
悪い奴ほどよく眠る

前年から、映画館に行くなんていう事はもう考えられなくなっていた僕ですから、当然ポスターでしか知らない映画たちばかりです。
っていうか、何やら大人向けの映画ばっかりですね。
東映時代劇はどうなっちゃったんだろ? 冷や汗

(外国映画・日本公開)
甘い生活 [1959年、伊+仏]
チャプリンの独裁者 [1940年、米]
アパートの鍵貸します [米] アカデミー賞(作品・監督など5部門)
 [監督]ビリー・ワイルダー、[出演]ジャック・レモン
サイコ Psycho[米]
 [監督]アルフレッド・ヒチコック、[出演]アンソニー・パーキンス、ジャネット・リー
荒野の七人 The Magnifcent Seven[米](1961年日本公開)
 [出演]ユル・ブリンナー、スティーブ・マックィーン、チャールズ・ブロンソン
スパルタカス Spartacus
 [監督]スタンリー・キューブリック、[出演]カーク・ダグラス、ローレンス・オリヴィエ、ジーン・シモンズ、トニー・カーチス
栄光への脱出 Exodus[米]
 [出演]ポール・ニューマン
太陽がいっぱい Plein Soleoil[仏]
 [監督]ルネ・クレマン、[出演]アラン・ドロン
勝手にしやがれ A Bout de Souffle[仏]
<戦後のフランス映画に変革を起こしたヌーヴェル・ヴァーグの代表作品>
  [監督]ジャン・リュック・ゴダール[出演]ジャン・ポール・ベルモンド
情事 L'avventura[伊](1962年日本公開)
 [監督]ミケランジェロ・アントニオーニ
アラモ

翌年、上京してすぐの5月に新宿「ミラノ座」で観たのが「荒野の七人」でした。
その意味からも、僕にとってはエポック・メイキング的な映画なのであります。指でOK

【音楽】
(日本)
誰よりも君を愛す(松尾和子・和田弘とマヒナスターズ)(1月発売)   第2回(1960年度)レコード大賞
一本刀土俵入(三波春夫)(2月発売)
潮来花嫁さん(花村菊江)(4月発売)
月の法善寺横丁(藤島恒夫)(4月発売)
アカシアの雨が止む時 (西田佐知子)(4月発売)
ダンチョネ節 (小林旭)(5月発売)
哀愁波止場 (美空ひばり)(7月発売)
ズンドコ節 (小林旭)(7月発売)
潮来笠 (橋幸夫)(8月発売)
あれが岬の灯だ (橋幸夫)(9月発売)
霧笛が俺を呼んでいる (赤木圭一郎)(9月発売)
メロンの気持 (森山加代子)(10月発売)
達者でナ (三橋美智也)(10月発売)
ステキなタイミング (坂本九)(10月発売)
東京カチート (フランク永井)(11月発売)
有難や節 (守屋浩)(12月発売)

今でも松尾和子さんの声が一番セクシーだと確信してる僕で~すハート達(複数ハート)
この年に橋さんがデビューしたんですねぇ...
いつもマドロス・スタイルの藤島恒夫さん。
あのビンビンと、よく通る声が好きでした。
三橋美智也さんの美声は、僕にとっては望郷の念そのものでありまする。涙

(アメリカ・トップ10)
1.The Theme From "A Summer Pace"「夏の日の恋」 (Percy Faith)
2.Are You Lonesome Tonight ? (Elvis Presley)
3.It's Now Or Never (Elvis Presley)
4.Cathey's Clowns  (The Everly Brothers)
5.Stuck On You (Elvis Presley)
6.I'm Sorry  (Brenda Lee)
7.Running Bear  (Johnny Preston)
8.Save The Last Dance For Me 「ラスト・ダンスは私に」(The Drifters)
9.Teen Angel  (Mark Dinning)
10.My Heart Has A Mind Of Its Own  (Connie Francis)

(その他の海外ヒット曲)
GI Blues (Elvis Presley)
Greenfields (Brothers Four)  ブラザーズ・フォーのデビュー作品
Good Timin' (Jimmy Jones)  日本では、坂本九の歌でヒットした
Georgia On My Mind 「わが心のジョージア」(Ray Charles)
You're Sixteen (Johnny Burnette) 74年にリンゴ・スターの歌でヒット
Money (Barrett Strong)

エルヴィス、すごいですねぇ...
しかし、そんな事は何も知らない、当時の僕だったわけで 冷や汗

「夏の日の恋」はトロイ・ドナヒュー主演の映画ね。


【テレビ】
9月10日 カラーテレビ本放送開始。
11月29日 ラジオ東京が、東京放送(略称TBS)に社名変更。

(番組)
白馬童子 (NET=現テレビ朝日、1月~9月)
 [出演]山城新伍
自然のアルバム (NHK、4月9日~1985年3月)
怪傑ハリマオ (日本テレビ、4月~1961年6月)
 [主題歌]「怪傑ハリマオの歌」(三橋美智也)
透明人間 The Invincible Man (4月~)
ミステリー・ゾーン Twilight Zone (日本テレビ、4月~)
きょうのニュース (NHK、4月~1972年4月)
  ワイドニュースのはしり。
ララミー牧場 (NET=現テレビ朝日、6月23日~1963年7月)
ボナンザ/カートライト兄弟 (日本テレビ、7月4日~1962年4月30日) 「ボナンザ」とは本来、金属保有の多い地帯のこと。ネバダの銀鉱付近の牧場カートライト一家の親子4人が力を合わせて牧場を守る。3人の母親はそれぞれ違うという設定だった。ホームドラマ型の西部劇と言われた。町の地図が燃えていくタイトルバックが印象的だった
日日の背信 (フジテレビ、7月~9月)
いわゆる「昼メロ」「よろめき」のはしりとされる
[出演]池内淳子、
クイズ それは私です (NHK、水曜、7月~1968年3月)
[司会]野村泰治、[解答者]山本嘉次郎、安西愛子、池部良、臼井吉見、中村メイコ、曽野綾子
ブーフーウー (NHK、9月5日~1967年4月)
メキシコを舞台に、ブツブツやの長兄・ブー、くたびれやの次兄・フー、がんばりやの末っ子・ウーが意地悪オオカミに立ち向かう。童話「3匹の小ぶた」の後日譚の形をとったぬいぐるみ劇。
[声]本野摩耶、後に大山のぶ代(ブー)、三輪勝恵(フー)、黒柳徹子(ウー)、永山一夫(オオカミ)
人形劇 宇宙船シリカ (NHK、9月~1962年3月)
サンセット77 77 Sunset Strip (KRT=現TBS、10月2日~1963年4月30日)
幌馬車隊 Wagon Train (日本テレビ、10月2日~1963年4月9日)
少年探偵団 (日本テレビ、11月3日~1963年9月26日)
ポンポン大将 (NHK、9月~1964年4月)
[出演]桂小金治
早射ちマック (NET=テレビ朝日、11月~)
ライフルマン (KRT=現TBS、11月30日~1963年12月4日)
琴姫七変化 (日本テレビ、12月31日~1962年12月)
[出演]松山容子
海底人8823(はやぶさ) (フジテレビ)
ナショナルキッド (NET=テレビ朝日、~1961年)

当然ですが、僕はこの年にはテレビは観ておりません。
ララミー牧場」等は翌年から観るわけでネ

それでも何故かテレビ中継のさなかに起きた「浅沼委員長刺殺事件」はリアルに観てるんですよねぇ...
おそらく近所に住んでいた母の叔父宅で、たまたま観てたんだろなぁ。
そこにいた皆が皆、一瞬何が起こったのかわからずに声もなくただただテレビ画面を食い入るように見つめていた事、鮮明に憶えてます。
僕も、わけもわからないままに膝がガクガクと震えておりました。



さて、母と僕の二人だけの生活も貧しいながらも落ち着いてきた秋頃に、我が家では思わぬ出来事が起きていたんだ。

そもそも父の会社が倒産したのは、勿論第一に商売が思わしくなくなり不渡り手形を出したという事。
そして父の高額な医療費を会社から捻出していたという事。
ただ、それ以外にも実は父は生来の人の良さから友人たちの連帯保証人になる事が多く、その中の一人の事業失敗による膨大な借金を肩代わりする破目になってしまったという事が、僕が考えるに最も大きな原因のひとつだったのではなかろうか。

既に家や土地は銀行の抵当に入っていたわけで、いずれは明け渡さざるを得ないという現実も僕たちの前には大きく立ちはだかっていた。

父の会社の大きな得意先のひとつに会津若松の「Y」という会社があった。
社長のY氏は、それはそれは温厚な優しい人で、父を兄のように慕い、尊敬もし、僕の事もよく可愛がってくれたもんだった。
順調だった頃には、この会社との共催という事で、客を招待しての「東山温泉・宴会バスツアー」などをやっていたのさ。

ところが父の会社の倒産の巻き添えで、この「Y」という会社も先行きが危ない状況に陥り、酔ったYが我が家に押しかけてきては愚痴や恨み言を言うようになったのさ。
それも、母が精神病院の勤務を終えて帰宅する夜の時間帯に訪問してくるんだ。
あれほど父を尊敬して、非常に慕ってくれていた人間のあまりの豹変ぶりに、最初は怒り心頭といった母の様子だったが、それが何度も続くようになると、やがて怒りが恐怖に変わっていくには時間なんてそんなにはかからなかったもんさ。
酒に酔った勢いもあるのだろうか、Yは夜だというのに近所中に響き渡るような大きな声で荒々しく怒鳴り散らし、母に向かって罵声を浴びせ続けた。
僕は隣の部屋で「肥後の守」をいやというほど強く握りしめ、いつでも飛び出さんとばかりに身構えていたもんだった。

それでも最後には、いつも同行してくるYの会社の番頭さんが、
「社長、もうそのへんで。奥さんも困ってらっしゃるんですから、さあさあ...」

そんな風になだめられ、それでも憎々しげに捨て台詞を残して帰っていくわけで、さすがに母も疲労困憊この上なしといった風情で、それでも僕に心配をかけまいと思ってか
「大丈夫だから、心配いらないから。Yさんだって辛い思いされてるんだから、大丈夫だから...」
などと言いながら、大きなため息を洩らす、そんな母の姿を見るにつけ僕はYを許す事なんて絶対にできなかったわけで...

子供心にも何とか母を守る算段を考える、そんな日々が続くようになったんだ。
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2008年06月08日(日) 16時14分48秒

昭和の記憶・その18...昭和35年(1960年) 第一部。その②

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 その


1月19日 - アスワン・ハイ・ダムの建設始まる。
1月19日 - 日米相互協力及び安全保障条約(新安保条約)調印。
1月24日 - 民主社会党結成大会。
1月27日 - ソ連が対日覚書で新安保条約を非難し、外国軍隊が撤退しない限り、歯舞・色丹は引き渡さないと通告。
2月13日 - フランスがサハラ砂漠で初の原爆実験。第4の核保有国となる。
2月23日 - 皇太子夫妻に長男誕生。
     「徳仁(なるひと)」と名付けられた。称号は浩宮
3月15日 - 韓国で大統領選挙実施。
4月 - ダッコちゃん発売(180円)。大ヒットする。
4月19日 - 韓国で李承晩打倒を叫ぶ市民が蜂起する
4月30日 - ソニーが世界初のトランジスタテレビを発売。
5月 1日 - U-2撃墜事件
5月22日 - チリ地震。翌日、日本でも津波の被害。
6月15日 - 改定安保条約批准阻止の全学連7000人が国会に突入。
東大生、樺美智子死亡。
6月19日 - 新安保条約が自然成立。
7月14日 - 岸首相が池田新自民党総裁就任祝賀会からの帰路、暴漢の襲撃を受け重傷を負う。
7月15日 - 岸信介内閣総辞職。
7月19日 - 池田勇人内閣成立。厚生大臣に中山マサ(初の女性大臣)
7月27日 - 経済協力開発機構(OECD)創設。
8月   - アフリカで独立相次ぐ。
8月 1日 - 大湊田名部市がむつ市に改名。日本で最初のひらがなの市。
8月25日 - ローマオリンピック開催。
9月10日 - 日本でカラーテレビ本放送がスタートする。
9月14日 - 石油輸出国機構(OPEC)結成。
9月24日 - 国際開発協会(第二世界銀行)設立
10月   - クレジットカード登場。 富士銀行と三越が信販制度を開始。定額預金をした客にチケットやクレジットカードを渡し、客はデパートに行けばツケで買い物ができる仕組み。
10月12日 - 日本社会党・浅沼稲次郎暗殺事件。
10月24日 - 教育設備助成会(現・ベルマーク教育助成財団)設立。
10月25日 - 横田喜三郎が第3代最高裁判所長官に就任。
11月19日 - 米大統領選で、ケネディ(民主党)がニクソン(共和党)を僅差で破った。就任は翌年1月20日。
11月19日 - 巨人・水原茂監督勇退。
12月4日 - 都営1号線(現在の浅草線) 押上駅-浅草橋駅間が開業、京成電鉄と相互乗り入れを開始(日本初の地下鉄と郊外電車の相互乗り入れ)。
12月 8日 - 巨人監督を勇退した水原茂が東映監督に就任。
12月16日 - 1960年ニューヨーク空中衝突事故
12月20日 - 南ベトナム解放民族戦線結成。
12月27日 - 池田勇人首相、所得倍増計画を発表。


安保条約反対闘争
国会では2月より日米安保条約の審議が開催されたが、国会内外の反対の激化で難航した。
5月19日に政府自民党は緊急上程し20日未明、衆議院本会議で強行採決された。
院外でも社会党、総評、学生などのデモが連日国会を取り巻き、激烈を極めた。
6月10日、米大統領秘書官ハガチーが来日。
羽田には抗議のデモ隊が結集していたが、車は猛スピードで走り出し弁天橋と双子橋の先にいたデモ隊の近くに突っ込み、身動きがとれなくなりヘリコプターで脱出した。
6月15日、全国で580万人がデモを行った。
この日全学連主流派が国会突入をはかり警察官と衝突、東大生・樺美智子(22)が死亡した。
33万人が徹夜で国会を包囲する中、6月19日午前零時を期して自然承認された。
6月23日、批准書を交換し発効した。


浅沼社会党委員長刺殺
翌月に迫った総選挙のため、日比谷公会堂で10月12日開催された池田勇人・西尾末広・浅沼稲次郎の3党首立ち会い演説会で、演壇の浅沼社会党委員長が、聴衆の面前で17歳の右翼少年「山口二也」に刺殺された。
短刀を持った少年に飛びかかられ、浅沼委員長が眼鏡を落としながら崩れるというテロの一瞬は、テレビ中継を通じて全国に流れ、社会を震かんさせた。
浅沼氏は安保闘争の高まる中、3月、社会党委員長に就任、闘争の先頭に立った。
独特のガラガラ声で全国各地を精力的に遊説する姿が「人間機関車」「ヌマさん」と呼ばれて人気を集めた。

山口二矢
東北帝国大学出身で陸上自衛官の厳格な父(1等陸佐。事件3日後の10月15日依願退職)と優秀な兄のもとに育つ。
玉川学園高等部に進んだが、1959年、16歳で赤尾敏率いる大日本愛国党に入党し、玉川学園高等部を退学。
事件当時は大東文化大学の聴講生だった。
なお、事件の1ヶ月前に大日本愛国党を脱党している。

1960年10月12日に山口は日比谷公会堂で演説中の浅沼稲次郎を刺殺、現行犯逮捕された。
山口は当時17歳で少年法により実名非公開対象であったが、事件の重大さから名前が公表されている。

浅沼殺害時に山口がポケットに入れていたとされる遺書の文面は以下の通り。
「汝、浅沼稲次郎は日本赤化をはかっている。自分は、汝個人に恨みはないが、社会党の指導的立場にいる者としての責任と、訪中に際しての暴言と、国会乱入の直接のせん動者としての責任からして、汝を許しておくことはできない。ここに於て我、汝に対し天誅を下す。 
  皇紀二千六百二十年十月十二日  山口二矢        」

山口は11月2日、東京少年鑑別所の個室で、支給された歯磨き粉で壁に「七生報国 天皇陛下万才」と記し首吊り自殺。


チリ地震津波
5月24日未明、南米チリ沖で起きた大地震による津波が日本にまで押し寄せ、北海道南岸・三陸沿岸に大被害を与えた。
死者139人、家屋全半壊4100戸、流失1200戸。


【流行語・話題の発言】
「家つき、カーつき、ババア抜き」
  若い女性が希望する結婚相手の男性の条件をいった言葉。
「寛容と忍耐」(池田首相)
「声なき声」(岸首相)
所得倍増」(池田首相)
「トップ屋」
  週刊誌のトップ記事を狙って、独自に取材したものを売り込むフリーの記者。
ナンセンス
無意味。ばかげた行動や考えのこと。以前 からあった言葉だが、このころから学生集会などで相手の意見を排除するときにさかんに使われるようになった。
リバイバル
レコード会社が「リバイバル盤」とした戦前の流行歌を発売。「リバイバル・ブーム」は音楽界だけでなく、出版界、映画界にも及び、日本中に「リバイバル旋風」が巻き起こった。

「私は嘘は申しません」(池田首相)
  11月の総選挙にのぞむ自民党のテレビCMで使われた。


【新商品・ヒット商品】
木のぼりウインキー  [宝ビニール工業所(現=タカラ)、180円]
30cm足らずのビニール製の黒い人形。
光の加減で目が開いたり閉じたりしてウィンクしているように見える。若い女性が腕に抱きつけて歩く姿を報道したマスコミがだっこちゃんと命名しブームになった

トランジスタ・テレビ[ソニー、8インチ白黒で6万9800円](4月30日発売)
 世界最初のトランジスタ・テレビ。
 キャッチフレーズは「世界初、ニッポンの誇りがまた一つ」

クレラップ   [呉羽科学工業、100円]
ハイポリマー芯[ぺんてる] <太さは0.9mmでひし形ケース入り>
ふりかけ のりたま [丸美屋、20g入り30円]
 海苔と卵を組み合わせ、削り節と塩で風味を付けた。
 日本初の卵を使った栄養豊富なふりかけとして話題を呼んだ
ワンタッチカレー [江崎グリコ、30円]
ハウス印度カレー [ハウス食品]
森永インスタントコーヒー [森永製菓、220円]
ディズニーキャラメル [森永製菓](3月発売)
シガレットチョコレート[不二家]
クールミントガム  [ロッテ]
 「辛口、大人のガム、お口の中に南極のさわやかさ」
フエラムネ [コリス] 

(たばこ) 
ハイライト  70円(6月20日発売)
  日本初のロングサイズたばこ
スリーA  (6月20日発売)




 顕潤院釈氏興徳居士

これが父につけられた戒名だった。
49日が過ぎ、父の骨は渡利「瑞竜寺」裏手の市営墓地に埋葬された。

元来、菊地の墓も菩提寺も二本松市にあったのだが、何故か2年ほど前に父はここを購入して墓を移動していたんだ。
それはまるで、直ぐに自分がそこに入る事を予見していたかのような父の突発的な行動だった。
当初は石碑ではなく、真っ白い無垢の太い木の墓標が、それはそれで威風堂々と立てられていた。

「いつかは石碑を、ねっ」
僕は、母の手を強く握りしめながら、そう固く心に誓った。

父の死後、母は市内の「ビニール工場」に働きに出た。

しかし、娘の頃からお嬢様育ちをして、医者に嫁ぎ、やがては僕の父と再婚して社長夫人として、それなりに裕福に暮らしてきた母にとっては、そこでの肉体作業はあまりにも過酷過ぎた。

まして、クモ膜下出血の再発という不安材料もあったわけで、主治医である菅田医師の強い要請に従い、その工場は2ヶ月ほどでやめ、次は自宅からも近くにあった「I」という精神科の病院で働く事になった。

世間体が悪いといって親戚縁者は皆この就職に難色を示したが、母はそんな事は歯牙にもかけず、さっさと話を進めてしまっていた。

元来好奇心旺盛だった母は、この職場が面白くてならないようだった。
夕食時の話題といえば、もっぱら病院の入院患者の話が中心であり、僕もまったく想像のできない未知の世界の出来事に胸をワクワクさせながら聞き入ったもんだった。
僕にとっては、母の語る話はまるで江戸川乱歩の小説を読んでいるような、何かとっても非日常的な、背筋がゾッとするような、異次元的な話といっても良いような、そんな刺激に満ち溢れているもんだったのさ。

貧しくても母と二人、手を取りあって助けあい、いずれは僕が頑張ってお金を稼ぎ、父に石碑を立ててあげて、母に楽な暮らしをさせてあげよう。
そんな事を考えながら母の帰りを待つ間、僕は家中の掃除やら片付けに精を出したもんだった。


でも、そんな静かな生活が長く続く事はなかったんだ...
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2008年06月06日(金) 17時52分54秒

昭和の記憶・その17...昭和35年(1960年) 第一部

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 その

僕は11歳
小学校の最後の年。

前年の暮れ近くに、やっと退院して福島に戻ってきた父。そして母。

出迎えに行った駅で再会した父は、入院前とはまったくの別人になって母に支えられて列車から降りてきた。
若い頃から山歩きや釣りが趣味で、颯爽とオートバイなども乗り回していた健康そのものといった感じの父の面影はもうどこにもなく、まるで骨と皮だけになってしまったかのようにやつれ果てたその姿。
土気色をした顔色。
両の眼は生気を失ったかのようにすっかり落ち窪み、幼かった僕に宇宙の無限の広さ、大きさを熱っぽく教えてくれた時の、あの輝きなんてもうそこにはなかったんだ。

母と一緒に父の腕をとり、我が家へと向うタクシーの中で僕は何も喋る事ができなかった。

今回の手術で父は食道を全摘して、咽喉と胃の部分に穴を開け、そこにゴムのチューブが差込まれ食道の代わりとされていた。
半年後に再手術をして、左の鎖骨の窪みに胃袋を持ち上げ移動して咽喉と胃を直結させ、それで一件落着という事らしい。

ゴムのチューブの中間あたりは透明なガラス状の管になっており、そこには外部からも流動物などを注入できるように、独立した栓が付けられていた。
問題は、その透明な部分を咀嚼した物が通過していくのが外から丸見えになってしまうという事だった。
おまけに、出来が悪いのだろうか食事の度にチューブが外れ、内容物が外に溢れ出てしまったりもするんだ。
父母が一番心配していたのは、病的なほどに神経質だった僕がそれを見て、どうにかなってしまうんじゃなかろうかという事だったようだ。

でも、僕は叔父の家に預けられていたこの半年の間にすっかり鍛えられていたのさ。
「全然、平気だよ、僕。そんな心配いらないよ」
「....」
母は物も言わず僕を抱きしめてくれた。

半年の留守の間に、父が丹精こめて育てていた我が家の庭の数々の草花はその殆どが枯れ果てており、それが主がいなかった時間の長さを何よりも如実に物語っていた。

入院前から傾きかけていた父の会社は、膨大な医療費も相乗効果となり、もはや立ち行く事など思いもよらず、もっぱら父が帰宅してからした事といえば、会社の人間を我が家に集め、朝から晩までベッドの上で清算のための方策を練るという事だけだった。

そして、その年の夏、父の会社は大きな借金を残して倒産した。



間もなく、父は日夜の別なく痛みを訴えるようになった。

一体、どこがどういう具合に痛むのか僕にはさっぱりわからなかったが
それが相当な苦痛であった事は充分に僕にも理解できた。
母は医者から渡されていた痛みどめのモルヒネを、父が求めるままに打っていた。
やがて、その回数が増え、量も増えていった。

東京から兄が呼び寄せられた。

そして9月2日の朝4時過ぎ...
僕はただならぬ気配を感じて目が覚めた。

父の寝ている部屋から母と兄のすすり泣く声が聞こえた。


僕は瞬間に悟った。


たった今、父が死んだ...


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2008年06月03日(火) 18時23分20秒

昭和の記憶・その16...昭和34年(1959年) 第二部

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前回はチト暗くなりましたので

今日は1959年・娯楽編なり~


【スポーツ】
5月26日、ミュンヘンで開催中の国際オリンピック委員会が、
第18回大会(1964年)の開催地を東京に決定した。 

(野球)
6月25日、プロ野球初の天覧試合「巨人対阪神戦」が後楽園球場で行われ、
長嶋茂雄村山投手からサヨナラ・ホームランを打った。

近鉄パールスが「近鉄バッファローズ」に改称。

セ・リーグ
 [優勝]巨人
パ・リーグ
 [優勝]南海
第10回日本シリーズ
  南海 4(○○○○)0 巨人   目 おいおい、4タテかよ ふらふら

第31回選抜高等学校大会
 [決勝戦]中京商(愛知) 3ー2 岐阜商(岐阜)
第41回全国高等学校選手権大会
 [決勝戦]西条(北四国) 8-2 宇都宮工(栃木) 延長15回

(大相撲)
1月場所
 若乃花幹士 [横綱、花籠]14勝1敗(5回目)
3月場所
 栃錦清隆  [横綱、春日野]14勝1敗(8回目)
5月場所
 若乃花幹士 [横綱、花籠]14勝1敗(6回目)
7月場所
 栃錦清隆  [横綱、春日野]15戦全勝(9回目)
9月場所
 若乃花幹士 [横綱、花籠]14勝1敗(7回目)
11月場所
 若羽黒朋明 [大関、立浪]13勝2敗


【出版・文学】
(ベストセラー)
にあんちゃん 十歳の少女の日記(安本末子)[光文社カッパ・ブックス]
 北九州の廃坑で両親を失った少女が、残された4人の兄妹と、
 どん底 生活を送った1年半にわたる日々を明るい筆致でつづった。
論文の書き方(清水幾太郎) [岩波書店]
不道徳教育講座(三島由紀夫)
ドクトル・ジバゴ 1
日本唱歌集 [岩波文庫]
告白的女性論 (北原武夫)
日本の歴史2[読売新聞社]
インカ帝国 [新潮社]
日本文学全集 井上靖集
催眠術入門 (藤本正雄)[光文社]

にあんちゃん」は映画化もされ、授業の一環として皆さん必ずや観てる筈であります。
詳細はこちらでネ↓
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD26425/comment.html

(その他の話題の本)
少年少女世界文学全集 全50巻[講談社]
波涛(井上靖)[講談社]
私本太平記
敦煌
忍者武芸帳 第1巻(白土三平)

(作品掲載)
少年ジェット(武内つなよし)「ぼくら」(2月~)
スポーツマン金太郎(寺田ヒロオ)「週刊少年サンデー」(4月~)
七色仮面(原作:川内康範、絵:一峰大二)「ぼくら」(7月~)
魔神ガロン(手塚治虫)「冒険王」(7月~)
0マン(手塚治虫)「週刊少年サンデー」(9月~)
月光仮面(川内康範)「週刊少年サンデー」

(雑誌創刊)
朝日ジャーナル [朝日新聞社](3月15日)
週刊少年サンデー [小学館](3月17日発売、4月5日号)
<創刊号の表紙は巨人の長嶋茂雄選手と少年。92ページ、30円>
週刊少年マガジン [講談社](3月17日発売、3月26日号)
<創刊号の表紙は朝汐。86ページ、別冊付録が3册、40円>
週刊漫画サンデー [実業之日本社](4月)
週刊現代 [講談社]
週刊文春 [文芸春秋新社]
週刊平凡 [平凡出版(現=マガジンハウス)]
朝日ソノラマ (3月17日)

ウヒャ~、まさに創刊ラッシュってなもんですねぇ

でもね、「サンデー」と「マガジン」の創刊っていうのは 僕には殆ど記憶がないんだよなぁ... 冷や汗


【テレビ】
1月10日:NHK東京教育テレビジョン局が開局。
2月1日:フジテレビが本放送を開始。
2月1日:日本教育テレビ(NET)が本放送を開始。
4月:NHKのテレビ受信契約が200万件を突破。
7月:日本民間放送連盟(民法連)が「放送音楽などの取り扱い内規」を定めた。
8月1日:ニュースネットワーク(JNN)発足。
NHKのテレビ受信契約が346万3000件に。前年比倍増。

(番組)
ペリー・メイスン (フジテレビ、2月7日~1968年3月27日)
スター千一夜 (フジテレビ、3月1日~1981年)
おとなの漫画 (フジテレビ、3月2日~64年12月31日、計1935回)
 [出演]ハナ肇とクレージーキャツ、[脚本]永六輔、青島幸男、砂田実
ガンスモーク (フジテレビ、3月4日~1963年4月1日)
少年ジェット (フジテレビ、3月4日~1960年)
大相撲ダイジェスト (NET=現テレビ朝日、3月~)
ヤン坊マー坊天気予報 (6月1日~)
  <ヤンマーディーゼル提供>
番頭はんと丁稚どん (毎日放送、6月8日~1960年4月17日)
 [出演]芦屋雁之助、茶川一郎、大村崑
ママちょっと来て (日本テレビ、7月~1963年4月)    
 [出演]乙羽信子、千秋実
クレージーキャッツ・ショー (フジテレビ、7月16日~)
 「おとなの漫画」一週間分を再編成した内容。
  9月から「週刊クレージー」に改称
とんま天狗 (読売テレビ、9月5日~1960年12月24日)
 [出演]大村崑、芦屋雁之助
日本の日蝕 (NHK、10月9日)
ホームラン教室 (NHK、10月10日~1963年3月20日)
 [出演]小柳徹
まぼろし探偵 (KRT=現TBS、~60年)
七色仮面  (テレビ朝日、~1960年)
ポパイ Popeye, The Sailor (TBS)
ローハイド (NET=現テレビ朝日、11月28日~1965年3月28日) 
 [出演]エリック・フレミング、クリント・イーストウッド
拳銃無宿 (フジテレビ、12月6日~61年12月30日)
 [出演]スティーブ・マックィーン
世界飛び歩き (KRT=現TBS、12月13日~1990年)
  その後「兼高かおる世界の旅」に改称
世にも不思議な物語  (12月~)
ペリー・コモ・ショー (日本テレビ、12月~)
おかあさんといっしょ (NHK)
  「ブーフーウー」でおなじみネ
矢車剣之助 (日本テレビ)
旗本退屈男 (KRT=現TBS)

悲しい事に、NHKしか映らない福島。TV
僕がリアルで知っているのは「ホームラン教室」だけ~ ふらふら


【映画】
(日本)
にあんちゃん
 [監督]今村昌平、[出演]長門裕之、松尾嘉代
人間の條件
 [監督]小林正樹、[出演]仲代達矢、山村聰、新珠三千代、淡島千景、有馬稲子
鍵 [大映](6月封切)
 [監督]市川崑、[出演]仲代達矢、京マチ子
拳銃0号[日活]
  <赤木圭一郎のデビュー作>
[出演]赤木圭一郎
浪速の恋の物語
キクとイサム

「人間の条件」を初めて、しかも全編を通して観たのは高校生時分。
池袋「人生座」で9時間(ぐらいかなぁ?)ぶっ通し上映 ふらふら
あれで腰を悪くしたのかもネ あっかんべー

(外国)
危険な曲り角[仏](3月公開)
ベン・ハー [米] アカデミー賞(作品・監督・主演男優など11部門)
 [出演]チャールトン・ヘストン
お熱いのがお好き  [米]
 [監督]ビリー・ワイルダー、[出演]ジャック・レモン、トニー・カーチス、マリリン・モンロー
北北西に進路を取れ[米]
 [監督]アルフレッド・ヒチコック
悲しみは空の彼方に  [米]
 [監督]ダグラス・サーク
許されざる者 The Unforgiven[米]
 [出演]バート・ランカスター、オードリー・ヘプバーン
緑の館
 [出演]オードリー・ヘプバーン
尼僧物語
 [出演]オードリー・ヘプバーン
黒いオルフェ Orufeu Negro[仏]
 [監督]マルセル・カミュ
いとこ同志[仏]
大人は判ってくれない[仏]
 [監督]フランソワ・トリュフォー
スリ[仏]
二十四時間の情事 [仏+日]
 [出演]エマニュエル・リヴァ、岡田英次
甘い生活 [伊+仏]
 <カンヌ映画祭グランプリを獲得>
年上の女 [伊]
アンネの日記


【音楽】
(日本のヒット曲・流行歌)
夜霧に消えたチャコ (フランク永井)(4月発売)
南国土佐を後にして (ペギー葉山)(5月発売)
古城        (三橋美智也) (7月発売)
大利根無情     (三波春夫)(7月発売)
キサス・キサス・キサス (ザ・ピーナッツ)(9月発売)
忠太郎月夜    (三波春夫)(9月発売)
東京ナイトクラブ (フランク永井/松尾和子) (9月発売)
黄色いサクランボ (スリー・キャッツ)[作曲:浜口庫之助](10月発売)
黒い花びら (水原弘)[作詞:永六輔、作曲:中村八大]
  第1回(1959年度)レコード大賞受賞曲
僕は泣いちっち (守屋浩)[作詞:浜口庫之助](10月発売)
浅草姉妹  (こまどり姉妹)
足摺岬   (春日八郎)(11月発売)
ギターをもった渡り鳥 (小林旭)(12月発売)

こりゃもう何ちゅ~か、
懐かしくって懐かしくって、涙チョチョビレ~ 目がハート

(アメリカ・トップ10)
1.Mack The Knife 「マック・ザ・ナイフ」(Bobby Darin)
2.The Battle Of New Orleans (Johnny Horton)
3.Venus (Frankie Avalon)
4.Stagger Lee (Lloyd Price)
5.The Three Bells (The Browns)
6.Lonely Boy (Paul Anka)
7.Come Softly To Me「やさしくしてね」 (Fleetwoods)
8.Smoke Gets In Your Eyes 「煙が目にしみる」(The Platters)
9.Heartaches By The Numbers (Guy Mitchell)
10.Sleep Walk (Santo & Johnny)

(その他の海外ヒット曲)
Kansas City  (Wilbert Harrison)
What'd I Say「ホワッド・アイ・セイ」(Ray Charles)


先刻ご承知の通り、この年の夏以降61年4月迄、僕はテレビは観ておりません。
預けられた叔父さんの家にはテレビなんてなかったし
留守の間に自宅からは撤去?されちゃったワケでして...

勿論、学校の映画教室以外では映画も観てませんしね。
もう、そんな余裕はなかったわけで 涙

ただね、流行歌だけは、何故かどこかから聞こえてくるんですよ。
特に守屋さんの「僕は泣いちっち」は心に響いたなぁ...
ムード僕は思~う
   遠い東京(千葉)の こ~とば~か~り~  ってね
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2008年06月01日(日) 13時33分57秒

昭和の記憶・その15...昭和34年(1959年) 第一部

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僕は10歳
小学5年生なり。

この年は、実にいろいろなことが僕の身にふりかかってくるわけで
いってみれば僕の人生の中では、おそらく最悪、災厄の一年ではなかったかと...
その話は、後からネ


1月 1日 - メートル法実施される。
1月 1日 - 愛知県・挙母〔ころも〕市がトヨタ自動車にちなみ豊田市に改称。
1月 3日 - アラスカがアメリカ49番目の州となる。
1月10日 - NHK教育テレビの放送が始まる。
2月 1日 - 日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)放送開始
2月11日 - 「ザ・ピーナッツ」がこの日デビューする。
3月 1日 - フジテレビジョン放送開始
3月 9日 - バービー人形発売
3月17日 - 週刊少年マガジン、週刊少年サンデーの同時創刊。
3月19日 - 昭和天皇の五女・清宮貴子(20)と島津久永(24)との婚約が発表された。毎日新聞朝刊が宮内庁の発表よりも早く、スクープとしてこれを報道した。
3月28日 - 千鳥ケ淵戦没者墓苑が竣工。 
4月 - 週刊文春創刊。
4月10日 - 皇太子ご成婚
4月20日 - 東海道新幹線の起工式が行われる。
4月20日 - 国鉄の修学旅行専用列車「ひので」・「きぼう」運行開始。
5月26日 - IOC総会で、1964年の夏季オリンピック開催地が東京に決まる。
6月25日 - 昭和天皇・皇后がプロ野球セリーグ巨人vsタイガース戦を観戦(天覧試合)。
7月14日 - 朝日新聞が熊本大学医学部の調査チームによる水俣病の有機水銀中毒原因説をスクープ。
7月22日 -熊本大学医学部水俣病研究班が水俣病の原因物質は有機水銀であると公表した。
7月24日 - ミス・ユニバースに日本人として初めて児島明子が選ばれる。
8月 1日 - 日産自動車がダットサン・ブルーバードを発売。
8月10日 - 松川事件、最高裁が原判決(有罪)を破棄差し戻し。
8月21日 - ハワイがアメリカ50番目の州となる。
9月24日 - 神奈川県藤沢飛行場で、黒塗りのU2型偵察機「黒いジェット機」が不時着したのが撮影された。政府は国会で「米国の気象観測機」と答えたが、翌年ソ連に同型機が狙撃されてCIAのスパイ機と判明した。
9月26日 - 伊勢湾台風、明治以後最大の台風被害をもたらす。
9月30日 - ソ連のフルシチョフ首相が中国の北京を訪問。毛沢東と会談するが共同声明は出されず、中ソの対立が表面化する。
11月 3日 - 甲子園阪神パークにレオポンが2頭が誕生した。兄は「レオ吉」、妹は「ポン子」と名づけられた。
11月 6日 - 国防会議、航空自衛隊の次期主力戦闘機をロッキードF104に決定。
11月19日 - 緑のおばさん登場。日給は350円。
12月 3日 - 個人タクシーが許可される。173人に初免許。 
12月14日 - 北朝鮮への帰還事業が始まる。
12月15日 - 第1回日本レコード大賞に水原弘歌唱の「黒い花びら


皇太子結婚
皇太子明仁(現=天皇)と正田美智子の結婚式が行われた。
夫妻を乗せた馬車を中心としたパレードが皇居から東宮仮御所までを進み、沿道には53万人が詰めかけた。
皇太子が民間人と結婚したのは初めてである。
披露宴は13日から3日間、5会に分けて開かれ、約3000人が招待された。


伊勢湾台風
台風が紀伊半島に上陸して北上、東海各地に深いツメ跡を残して翌27日、日本海へ駆け抜けた。
全国の被害は、死者・行方不明者5098人、負傷者3万8921人、被害家屋83万3965戸。


キューバ革命
1月1日、バチスタ大統領一家とその側近がドミニカ共和国へ脱出。
2日、バチスタ軍が無条件降伏。カストロがサンディアゴで勝利演説。
2月16日、カストロが首相に就任。
具体的な政策綱領はなく「社会正義と平等社会の達成」という指針のみがあった。


【新商品・ヒット商品】
(乗用車)
ブルーバード  [日産自動車、685,000](8月1日発売)

(玩具)
スカイピンポン [トミー]
  突起を手で圧し、押し出された空気でボールが浮く。

(日用品)
品川あんか  [品川燃料]
バンドエイド  100円
ベビーパウダー
カッターナイフ [日本転写紙、250円]
ライポンF  [ライオン油脂、100円]

(食品・嗜好品)
種なしスイカ
カゴメトマトジュース  [愛知トマト(現=カゴメ)]
缶ビール  [日本麦酒(現=サッポロビール)]
即席麺  マルタイの即席ラーメン[マルタイ](11月発売)
 棒状の乾燥麺にとんこつ味の粉末スープが付いていた。
 麺とスープを一緒に煮込めることから人気商品になった
ライスチョコレート [東京産業、10円](5月発売)
 ライス入りのチョコレート
ベビーラーメン(チキン味)[松田食品(現=おやつカンパニー)、10円] 
 ノンフライ麺の製造中に生じる麺のカケラを捨てることは忍びないと 思い、利用方法を考えたのが始まり。
 スナック菓子ブームの先鞭をつけた。1971年に「ベビースターラーメン」に改称


【流行語・話題の発言】
カミナリ族
  爆音をひびかせてオートバイを飛ばす若者たち。
「がめつい」(演劇「がめつい奴」から)
  強欲で抜け目のない。大阪弁。
「サッチョン族」
  札幌に単身赴任。札幌とチョンガーを結びつけた言葉。
タフガイ
  日活がつくった石原裕次郎のイメージ。
トランジスタ・グラマー
  肉感的で性的な魅力のある小柄な女性。
ファニーフェース
  美人というわけではなく、個性的で雰囲気のある魅力あふれる顔をいう。
  芳村真理や団令子らがその代表格とされた。
「婦人科」
  婦人を専門に撮る写真家のこと。
  ヌード専門に撮る人は「皮膚科」とも言われた。
「ヨワい」
  困った時や言い逃れる時などに使われた。
私の選んだ人」(清宮貴子、3月2日)
  20歳の記者会見で、「タイプはどういう方がお好きですか?」という記者の質問に「私の選んだ人を見ていただきます」と答えた。


4月10日の「皇太子ご成婚」
桂文珍の落語じゃありませんが、この日のために座布団も新調し、障子紙も張り替え、前の晩から近所の奥さんたち総出での料理作り。
そして当日は朝の5時頃には早起きして家中の掃除。
7時頃には、そろそろ接客の準備に。
お茶の間から、広い客間に移されたテレビ。
そして何やら宴の席ってな感じで配置されたお膳、座布団...
8時ともなれば次から次へと来客の群れ。
たちまちテレビ桟敷は大満員に。

世紀の結婚式といわれた皇太子と美智子さんの挙式の日は、そんな感じで過ぎていったんだ。
この日は、おそらく日本全国でこういった光景が見られたんじゃなかろうか。

そして、これより少し後...

いつも食事の度に「胸がつまる」と言いながら
「ウウン、ウウン」と、何か咽喉の通りを良くしようとしているかのような咳払いが既に癖のようになっていた父。
そんな父が体調がすぐれないという事で、珍しく会社に出勤せずに近所の「木幡医院」へ。
ヤブとして定評もあった木幡医師の診立ては
「風邪の一種じゃろうて」
と、咽喉に得意のルゴール塗布を。
しかし、これに納得のいかなかった父母は、その足で市内でも名医として評判の高かった菊田医師の許を訪ねた。
父の話を聴いた菊田医師は、直ぐにⅩ線撮影を。

翌日だったか翌々日だったか、父母は菊田医師に呼び出された。
「これは食道ガン。それも、かなり進行している。今、日本で食道ガンの手術が出来るのは千葉大医学部の中山教授のみ。一刻の猶予もない。紹介状を書くから直ぐに訪ねるように」

この日から父と母が千葉に向うまでの日々。
バタバタと、せわしなく準備に追われたのだろうか、僕には何も記憶がない。
ただただ、我が家に突然にふりかかった災厄の前にオロオロするばかりの僕だったのだろう。

それでなくても傾きかけていた父の会社は、父の長い不在という最悪の事態を前にして、もはや立ち直る事は不可能であろうという事は子供心にもそれは充分に感じていた。

そして僕を一人残し、父と母は千葉へ旅立った。
父は即日入院し、母は病院前の旅館に部屋をとり、昼間は病院に詰めるという生活が始まったのだ。
当初の見込みでは、三ヶ月ほどで帰宅できるだろうという事だったんだ。

僕は僕で、留守居役という事で泊り込んでくれる事になった縁戚にあたる伯母さんとの生活が始まっていた。
父の病気の心配というよりも、母がいないという寂しさが僕には耐えられないほどの悲しみであり、特に夜ともなると寂しさと何か絶望的な不安感にいたたまれなくなり布団の中で枕を濡らす、そんな日々が続いたもんだ。
上りの夜汽車の汽笛が遠くに聞こえ、やがて遠ざかっていく...

一ヶ月もそんな生活が続いた頃、伯母さんが体調を崩した。

しかも、三ヶ月ほどで退院して帰宅できる筈だった父の様子が芳しくなく、やはり半年はかかるだろうという悲しく残酷な報せが...

やむを得ず、僕は、市内・万世町に住んでいた叔父さん(父の実弟)の家に身を寄せる事になった。
ここには僕の従兄妹でもあるひとつ上とひとつ下の兄妹がいた。

彼らと同じ部屋での新しい生活が、こうして始まった。
それでも、僕には試練がのしかかる。
兄が大学入学で上京後、殆ど一人っ子のように過保護に甘やかされて育てられた僕は、自分でも嫌気がさすほどにわがままで、また病的に神経質な子供だった。
朝食ともなると、ひとつに盛られた泡だらけの納豆や、ビンに入ったままの海苔の佃煮を、皆が箸を突っ込みながら食べる。これが僕には耐えられなかった。
大体、母の炊いた飯、作った料理以外は気持が悪いと口にさえしなかった僕だったわけで...
「しんやちゃんは、食べないの?」
「うん、何か朝はあんまり...」
「な~んだ、そんな事じゃ大きくならんぞ。さあ食べて、食べて」
両隣では従兄妹たちが美味そうに飯を頬張っている。
「...」

それでも2,3日もすると、やはり空腹には耐えられず、少しずつ少しずつ、そんな生活に身体が順応していくのを僕は感じていた。

小学校から戻ると、三人分のおやつが、それぞれ紙にくるまれて置いてあった。
とはいっても、僕はそれまではおやつなんていうものは好きな時に好きなだけ食べていたもんで、
「え?これっぽっち?」
ってな感じで、まあ仕方がないかと諦めてはいたものの
ある日、どうにも量的に足りなく、
ついつい、まだ帰宅していなかった従兄妹たちの紙包みを開けて、バレないように同数だけお菓子を、といっても煎餅菓子のほんのふたかけらほどをツマミ食いし、また元のように包んで戻しておいた。

それが叔母さんにバレたんだ。
叔母さんは鬼のような形相で僕を問い詰めた。
叩かれこそしなかったが、僕は泥棒猫のようになってしまった自分が情けなくって情けなくって、泣きながら叔父さんの家をとび出し
我が家へと走って走って、走り続けた。

合鍵を使って家に入ると、驚いたことにテレビを始め、あれほど揃っていた家電製品がすべてなくなっていたんだ。
おそらく少しでも病院代に当てようと、そんな事もあって手放したのだろうか、何もなくなってしまった家の中は、それでなくとも何かかび臭く冷え切った空気が充満して、僕はますます自分が孤独であるという強迫観念に押しつぶされそうになるのだった。
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2008年05月30日(金) 07時46分16秒

昭和の記憶・その14...昭和33年までを振り返れば...

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さて、今日は暇ついでにチト今までを振り返ってみましょ目がハート

その前に、先ずは生まれ故郷「福島市」の解説をウィキペディアにて

【概要】
市域は、旧信夫郡全域と周辺の旧伊達郡、旧安達郡の一部村落を加えた範囲に及び、福島盆地の南西側とその外周山岳部を占める。

市内には飯坂温泉をはじめ高湯温泉や土湯温泉などの温泉が多く、東北地方唯一の
JRA福島競馬場が立地する。
更に、桃、梨、リンゴ、さくらんぼなどの果樹の栽培が盛んであり、フルーツライン沿いには果樹園が広がる。

都市人口は、いわき市、郡山市に次いで県内3位。
福島市を中心市とする福島都市圏の人口は約41万人で、郡山都市圏に次いで県内2位(東北地方内6位)。

面積    746、43km²
総人口   289,193人 (推計人口 2008年2月1日)
人口密度  387人/km²
市の木   ケヤキ
市の花   モモ
市の鳥   シジュウカラ

【位置】
福島市は福島県の北東部に位置している。
県の中心猪苗代湖から北東へ約50km、東京から北へ約260kmの距離である。

西側の奥羽山脈と東側の阿武隈高地に挟まれた福島盆地の南西部分とその周辺の山岳・丘陵地域が主な市域である。
市内からは西に吾妻連峰を、南西に安達太良山を仰ぐ。

古来より奥州街道と板谷峠経由の米沢街道や茂庭経由の羽州街道との分岐点であり、
交通の要衝として栄える。現在でも国道13号の起点であり国道4号から分岐する。
鉄道では、東北新幹線山形新幹線の分岐点となっている。

東経140度28分26秒 北緯37度45分39秒
標高は海抜65,68mである。

【地形】
西側の奥羽山脈、東側の阿武隈高地を主な縁とし、北流する阿武隈川を中心に、福島盆地を形成している。
奥羽山脈を源とする摺上川、松川、荒川等がそれぞれ市西部に扇状地をつくりながら東流し、阿武隈川に注ぐ。
かつてその扇状地は桑畑として利用されたが、現在では果樹園に転用されている。
盆地の南東部に残丘(モナドノック)である信夫山が構え、福島市のシンボルとして市民に親しまれている。
福島盆地はかなり深い盆地であるため、栗子峠や土湯峠のような交通難所が存在する。


↓あるコミュに僕が掲載した、阿武隈川から我が家までの説明文です。
                      (多少、修正あり)
『渡利に住んでいた僕は、学校が退けると正門ではなく裏門(隈畔に面していた)から出ると、松齢橋を渡る(勿論、大仏橋も天神橋も無かった) ペンギン
渡りきって坂を下ると小さな四つ角が。
左側角には雑貨、文具店。その裏には猫の額ほどのチッポケな公園風があったっけなぁ。
川俣方面に向かう国鉄バスはここを右折していくんだ。
右角は小平(っていったかなぁ)米店。今は確かコンビニになってる筈さ。

四つ角を直進して直ぐ右側にあの駄菓子屋さん(10円玉ひとつあれば豪遊できた)
その先には肉屋さん。5円で買えた揚げたてコロッケのうまかったのなんの。
向かい側には中華そば屋(平野屋?)
当時は毎年夏の阿武隈川・花火大会の帰り、ここで「かき氷」を食べるのが何よりの楽しみだったのさ。
突き当たりは農蚕高校。今は、もうないやね。

右に曲がり直ぐに左折。
桑畑(当時の渡利の象徴さ)の中の細い道を直進。
目の前には渡利の象徴・弁天山の勇姿が。
桑畑を過ぎドブを渡ると右角に沼倉(?)鉄工所。
その隣には木幡医院(当時の我々にとっては一番恐ろしかった場所さ)
ちょいと先の左側には肥ダメ(毎年2,3人は落っこちたもんさふらふら)
突き当たりを左折。
当時は左側一帯は空き地になっていて一面にクローバーが。
道の両側はドブ(殆ど、水は無かった筈)そして、ここにも肥ダメ冷や汗
やがて左側Kさんの家の横を曲がると私道になっていて
そこを入って直ぐの右側。
そこが僕の家だったのさ』


よくよく考えてみると、この頃(S33年)までの僕の記憶っていうのは実に曖昧な部分が多く、はっきりとした日にちは言うに及ばず、
いろいろな出来事にしても前後の脈略といったものが不鮮明であり、一年単位で考える事が難しい事も多々あるわけで。

(それ自体は非常に鮮明な)いろいろな場面が断片的に出てくる事があっても、それが時系列的にはまったく繋がっていかない。
これは皆さんも同様なのでしょうが、特にこの日記を書くようになってからというもの、その感がよりいっそう強まりました。
自分の中でも整理がつかないものを文章にするというのは、まして日記という形で公開するわけですから、やはり慎重を期さずにはおれないという事でありまして、う~む、何ていうか、あの、その...ふらふら

何よりも確かなことは、僕が実に内向的で人見知りの激しい、妙に神経質な子供だったって事さ。
これは性格形成の過程で、多分に過保護に育てられたという事も大きく起因しているのだろうか。
とにかく、いつも母親べったりの甘ったれガキだったわけで...ふらふら

同時にまた不思議な事に、この頃の記憶の中に出てくる情景や映像といったものすべてが何故か白、黒、灰色だけのモノクロームな画面であるという事だ。
それは何かとっても重苦しくもあり、一体この頃の僕自身の心の中には色彩豊かな映像といったものは流れていなかったという事なのだろうか...

思うに、僕の場合は不本意(結果的にはそれが良かったわけですが)な形で故郷を離れたという事が、50年近くの時を経た今でも尾をひいているのか、何か常人では到底考えられないほどの強い望郷の念があるわけです。

とにかく理屈ぬきに懐かしくって懐かしくって
泣きたくなるほど懐かしいわけで...


今、僕の両親は、渡利・瑞竜寺の墓の下で仲良くひっそりと眠っている。

果たして僕も死後ここに入ることになるのだろうか...?
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2008年05月30日(金) 07時43分45秒

昭和の記憶・その13...昭和33年(1958年) 第二部

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さあ、こちらは娯楽部門ってことでヨロシク~


【映画】
(日本)
楢山節考
彼岸花
嵐を呼ぶ男
 [出演]石原裕次郎
陽のあたる坂道
 [出演]石原裕次郎
風速40米
 [出演]石原裕次郎

目 何よこれぇ、裕ちゃんばっかり~ 目がハート

(外国)
恋の手ほどき GIGI[米] アカデミー賞
 [出演]ヴィンセント・ミネリ
大いなる西部 THE BIG COUNTRY[米]
 [監督]ウィリアム・ワイラー、[出演]グレゴリー・ペック、チャールトン・ヘストン
老人と海[米]
めまい VERTIGO[米]
 [監督]アルフレッド・ヒチコック、[出演]ジェームズ・スチュアート、キム・ノヴァック
吸血鬼ドラキュラ DRACULA[英]
死刑台のエレベーター ASCENSEUR POUR L'ECHAFAUD[仏]
 [監督]ルイ・マル、[出演]モーリス・ロネ、ジャンヌ・モロー
ぼくの伯父さん[ポーランド]

仙台で叔母さんに連れられて観に行った「ぼくの伯父さん
これはホントに面白かったなぁ...
実に洗練されたハートウォームな、ウィットに富んだコメディです。
今観たって新鮮だし、とにかく面白い事まちがいな~し 指でOK


【音楽】
ウエスタンカーニバル
2月8日~14日、東京の日劇で「第1回ウエスタンカーニバル」を開催。
平尾昌晃、ミッキー・カーチス、山下敬二郎の「ロカビリー三人男」がデビューした。
1週間で6万3000人を動員する大騒ぎになり、ロカビリー・ブームの発端となった。

(日本)
羽田発7時50分 (フランク永井)(1月発売)
夕焼けとんび (三橋美智也)(3月発売)
だからいったじゃないの (松山恵子)(3月発売)
監獄ロック (小坂一也)(3月発売)
ダイアナ (平尾昌章) (3月発売)
嵐を呼ぶ男(石原裕次郎)(4月発売)
星は何でも知っている (平尾昌章) (7月発売)
おーい中村君 (若原一郎)(8月発売)
無法松の一生 (村田英雄)(9月発売)
からたち日記 (島倉千代子)(11月発売)
有楽町0番地(フランク永井) (11月発売)
俺は淋しいんだ(フランク永井) (11月発売)
ダイナマイトが150屯(小林旭)

解説はいりませんね。
お馴染みの顔ぶれ。
そして今だに歌われ続ける名曲の数々ぴかぴか(新しい)

僕は結構「平尾昌章」にハマってました あせあせ
「ミヨちゃん」なんてのも好きだったなぁ

お千代さんは「からたち日記」が一番ハート達(複数ハート)

(アメリカ・トップ10)
1.At The Hop 「踊りにいこうよ」 (Danny & The Juniors)
2.It's All In The Game (Tommy Edwards)
3.The Purple People Eater (Sheb Wooley)
4.All I Have To Do Is Dream (The Everly Brothers)
5.Tequila (The Champ)
6.Don't (Elvis Presley)
7.Nel Blu Dipinto Di Blu (Volare) (Domenico Modugno)
8.Sugartime (The McGuire Sisters)
9.He's Got The Whole World (In His Hands) (Laurie London)
10.The Chipmunk Song (The Chipmunks / David Seville)

(その他の海外ヒット曲)
Sweet Little Sixteen  (Chuck Berry)
Johnny B Good  (Chuck Berry)

昨年に較べ、エルヴィスが少ない...何故?


【テレビ番組】
NHKのテレビ受信契約が156万7000件に。

月光仮面(KRT=現TBS、2月24日~1959年)

テレビ結婚式(KRT=現TBS、3月3日~12月)
<結婚式の費用をテレビ局が負担しその模様を中継するという視聴者参加番組>
 [出演]徳川夢声

事件記者(NHK、4月3日~1966年3月29日)  
 [出演]永井智雄、大森義夫、園井啓介、滝田裕介、山田吾一

バス通り裏(NHK、4月7日~1963年3月30日)
<下町商店街のバス通り裏に住む、高校教師の赤沢一家と美容院経営の川田一家を舞台に、近隣・家族の日常生活を描いたホームドラマ。月~金に放送されたNHK初の帯ドラマで、のちの「連続テレビ小説」の原型ともなった>
 [出演]十朱幸代、小栗一也、佐藤英夫

光子の窓(日本テレビ、4月11日~1960年12月)
 [出演]草笛光子

ロッテ歌のアルバム(KRT=現TBS、5月4日~1979年9月30日)
「1週間のごぶさたでした」「お口の恋人、ロッテがお送りする」
 [司会]玉置宏

ローン・レンジャー (KRT=現TBS、8月2日~1959年8月15日)
<ウィリアム・テル序曲のメロディーが流れ、西部の伝説の英雄・ローン・レンジャーが覆面姿で白馬にまたがり現われ、相棒のインディアン、トントとともに正義のために悪を懲らしめる。「はいヨー、シルバー」というかけ声とともに大きな人気を博した。もとはラジオ番組で、1949年から米国のテレビで放映された。>
 [出演]クリントン・ムーア

パパは何でも知っている(日本テレビ、8月3日~64年3月29日)
<アメリカの典型的な中流家庭を舞台とする連続ホームドラマ>

モーガン警部 (日本テレビ、9月19日~1961年9月4日)
<開拓時代の面影を残すアリゾナ州を舞台に、保安官のフランク・モーガン警部が、さまざまな事件を追って町の治安を守る、ウェスタン調の刑事ドラマ>

ディズニーランド(日本テレビ)
<金曜日夜8時にプロレス中継と交互に隔週で放映された。未来の国は宇宙への朝鮮など、おとぎの国はミッキー・マウスなどデズニー・キャラクターの漫画、冒険の国は生態記録など、開拓の国は西部劇が主体という構成だった>

うちのママは世界一 (フジテレビ)

ペリー・コモ・ショー (日本テレビ)
ミュージカル番組の代表作。"Dream Along with Me" がテーマ音楽

コルト45(KRT=現TBS)

ドラマ「私は貝になりたい
  [出演]フランキー堺

あんみつ姫


僕は「事件記者」が大のお気に入りでした。
シリアスな展開、筋立ても相当なものだったと思いますが、
何より個性豊かな出演者たちの何気ないやりとりがとっても楽しく、
何とも大人チックというか、都会的というか、実に憧れましたねぇ...
今でも「ひさご」なんて名前の料理屋さんを見かけると、思わず足がとまっちゃいます。 あっかんべー

もう一度観たい番組のベスト・ワンであります。指でOK

ついでといっちゃ何ですが、
当時のキャストであります~ 目がハート

相沢:永井智雄 キャップ(東京日報)
長谷部:原保美 麻薬のベーさん(東京日報) 
八田:大森義夫 ハッタさん、八田老人(東京日報)
伊那:滝田裕介 イナちゃん(東京日報)
山崎:園井啓介 ヤマさん(東京日報)
浅野:綾川香  浅野のダンナ(東京日報)
熊田:外野村晋 クマさん、キャップ(新日本タイムス)
荒木:清村耕次 オトボケのアラさん(新日本タイムス)
    昭和41年2月1日急逝 涙
坂本:伊藤正博 モッちゃん(新日本タイムス)
青海:前田昌明 セイカイどん(新日本タイムス)
矢島:藤岡琢也 ヤジさん(新日本タイムス)
   アラさんの代打、ラスト7話分のみレギュラー扱いとなった
浦瀬:高城淳一 ウラさん、キャップ(中央日日)
岩見:山田吾一 ガンさん(中央日日)
   「ガンちゃん」と呼ぶのは八田老人だけだった
白石:近藤洋介 シロさん(中央日日)
国分:谷沢裕之 トッしゃん(中央日日)
鶴岡:中原成夫 ツルさん、キャップ(毎朝)
亀田:守田比呂也 カメちゃん(毎朝)
遠山:石井淳 キンさん(毎朝)
須賀:須賀了輔 スガちゃん(共同通信)
原:原精次
捜査一課長:高島敏郎
山本部長刑事:野口元夫 ヤマチョウ
村田部長刑事:宮坂将嘉 ムラチョウ
遠藤刑事:藤岡重慶 エンちゃん
鳥貝刑事:木下秀雄 トリさん
湯浅現場主任:館敬介
警視庁職員:八木千枝 おミッちゃん
一課長秘書:栗原すみよ おキミさん

ひさごの女将:坪内美詠子 おチカさん(イナちゃんの義母)
同お運びさん:藤田典子 ナナちゃん
アポニーのマスター:清水元 田川のオッチャン
同ウェイトレス:宮裕子 ノブちゃん(アラさんの妹)


バス通り裏」も、殆ど欠かさず観てたような気がします。
とにかくね、福島に住んでた僕としちゃ、このドラマの舞台設定自体が既にものすごくハイカラなのね。
何か全然違うなあっていう羨望にも似た気持を抱きながら観てたもんです。 あせあせ
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