昭和の記憶・その18...昭和35年(1960年) 第一部。その② | 沖縄1968。

昭和の記憶・その18...昭和35年(1960年) 第一部。その②

 その


1月19日 - アスワン・ハイ・ダムの建設始まる。
1月19日 - 日米相互協力及び安全保障条約(新安保条約)調印。
1月24日 - 民主社会党結成大会。
1月27日 - ソ連が対日覚書で新安保条約を非難し、外国軍隊が撤退しない限り、歯舞・色丹は引き渡さないと通告。
2月13日 - フランスがサハラ砂漠で初の原爆実験。第4の核保有国となる。
2月23日 - 皇太子夫妻に長男誕生。
     「徳仁(なるひと)」と名付けられた。称号は浩宮
3月15日 - 韓国で大統領選挙実施。
4月 - ダッコちゃん発売(180円)。大ヒットする。
4月19日 - 韓国で李承晩打倒を叫ぶ市民が蜂起する
4月30日 - ソニーが世界初のトランジスタテレビを発売。
5月 1日 - U-2撃墜事件
5月22日 - チリ地震。翌日、日本でも津波の被害。
6月15日 - 改定安保条約批准阻止の全学連7000人が国会に突入。
東大生、樺美智子死亡。
6月19日 - 新安保条約が自然成立。
7月14日 - 岸首相が池田新自民党総裁就任祝賀会からの帰路、暴漢の襲撃を受け重傷を負う。
7月15日 - 岸信介内閣総辞職。
7月19日 - 池田勇人内閣成立。厚生大臣に中山マサ(初の女性大臣)
7月27日 - 経済協力開発機構(OECD)創設。
8月   - アフリカで独立相次ぐ。
8月 1日 - 大湊田名部市がむつ市に改名。日本で最初のひらがなの市。
8月25日 - ローマオリンピック開催。
9月10日 - 日本でカラーテレビ本放送がスタートする。
9月14日 - 石油輸出国機構(OPEC)結成。
9月24日 - 国際開発協会(第二世界銀行)設立
10月   - クレジットカード登場。 富士銀行と三越が信販制度を開始。定額預金をした客にチケットやクレジットカードを渡し、客はデパートに行けばツケで買い物ができる仕組み。
10月12日 - 日本社会党・浅沼稲次郎暗殺事件。
10月24日 - 教育設備助成会(現・ベルマーク教育助成財団)設立。
10月25日 - 横田喜三郎が第3代最高裁判所長官に就任。
11月19日 - 米大統領選で、ケネディ(民主党)がニクソン(共和党)を僅差で破った。就任は翌年1月20日。
11月19日 - 巨人・水原茂監督勇退。
12月4日 - 都営1号線(現在の浅草線) 押上駅-浅草橋駅間が開業、京成電鉄と相互乗り入れを開始(日本初の地下鉄と郊外電車の相互乗り入れ)。
12月 8日 - 巨人監督を勇退した水原茂が東映監督に就任。
12月16日 - 1960年ニューヨーク空中衝突事故
12月20日 - 南ベトナム解放民族戦線結成。
12月27日 - 池田勇人首相、所得倍増計画を発表。


安保条約反対闘争
国会では2月より日米安保条約の審議が開催されたが、国会内外の反対の激化で難航した。
5月19日に政府自民党は緊急上程し20日未明、衆議院本会議で強行採決された。
院外でも社会党、総評、学生などのデモが連日国会を取り巻き、激烈を極めた。
6月10日、米大統領秘書官ハガチーが来日。
羽田には抗議のデモ隊が結集していたが、車は猛スピードで走り出し弁天橋と双子橋の先にいたデモ隊の近くに突っ込み、身動きがとれなくなりヘリコプターで脱出した。
6月15日、全国で580万人がデモを行った。
この日全学連主流派が国会突入をはかり警察官と衝突、東大生・樺美智子(22)が死亡した。
33万人が徹夜で国会を包囲する中、6月19日午前零時を期して自然承認された。
6月23日、批准書を交換し発効した。


浅沼社会党委員長刺殺
翌月に迫った総選挙のため、日比谷公会堂で10月12日開催された池田勇人・西尾末広・浅沼稲次郎の3党首立ち会い演説会で、演壇の浅沼社会党委員長が、聴衆の面前で17歳の右翼少年「山口二也」に刺殺された。
短刀を持った少年に飛びかかられ、浅沼委員長が眼鏡を落としながら崩れるというテロの一瞬は、テレビ中継を通じて全国に流れ、社会を震かんさせた。
浅沼氏は安保闘争の高まる中、3月、社会党委員長に就任、闘争の先頭に立った。
独特のガラガラ声で全国各地を精力的に遊説する姿が「人間機関車」「ヌマさん」と呼ばれて人気を集めた。

山口二矢
東北帝国大学出身で陸上自衛官の厳格な父(1等陸佐。事件3日後の10月15日依願退職)と優秀な兄のもとに育つ。
玉川学園高等部に進んだが、1959年、16歳で赤尾敏率いる大日本愛国党に入党し、玉川学園高等部を退学。
事件当時は大東文化大学の聴講生だった。
なお、事件の1ヶ月前に大日本愛国党を脱党している。

1960年10月12日に山口は日比谷公会堂で演説中の浅沼稲次郎を刺殺、現行犯逮捕された。
山口は当時17歳で少年法により実名非公開対象であったが、事件の重大さから名前が公表されている。

浅沼殺害時に山口がポケットに入れていたとされる遺書の文面は以下の通り。
「汝、浅沼稲次郎は日本赤化をはかっている。自分は、汝個人に恨みはないが、社会党の指導的立場にいる者としての責任と、訪中に際しての暴言と、国会乱入の直接のせん動者としての責任からして、汝を許しておくことはできない。ここに於て我、汝に対し天誅を下す。 
  皇紀二千六百二十年十月十二日  山口二矢        」

山口は11月2日、東京少年鑑別所の個室で、支給された歯磨き粉で壁に「七生報国 天皇陛下万才」と記し首吊り自殺。


チリ地震津波
5月24日未明、南米チリ沖で起きた大地震による津波が日本にまで押し寄せ、北海道南岸・三陸沿岸に大被害を与えた。
死者139人、家屋全半壊4100戸、流失1200戸。


【流行語・話題の発言】
「家つき、カーつき、ババア抜き」
  若い女性が希望する結婚相手の男性の条件をいった言葉。
「寛容と忍耐」(池田首相)
「声なき声」(岸首相)
所得倍増」(池田首相)
「トップ屋」
  週刊誌のトップ記事を狙って、独自に取材したものを売り込むフリーの記者。
ナンセンス
無意味。ばかげた行動や考えのこと。以前 からあった言葉だが、このころから学生集会などで相手の意見を排除するときにさかんに使われるようになった。
リバイバル
レコード会社が「リバイバル盤」とした戦前の流行歌を発売。「リバイバル・ブーム」は音楽界だけでなく、出版界、映画界にも及び、日本中に「リバイバル旋風」が巻き起こった。

「私は嘘は申しません」(池田首相)
  11月の総選挙にのぞむ自民党のテレビCMで使われた。


【新商品・ヒット商品】
木のぼりウインキー  [宝ビニール工業所(現=タカラ)、180円]
30cm足らずのビニール製の黒い人形。
光の加減で目が開いたり閉じたりしてウィンクしているように見える。若い女性が腕に抱きつけて歩く姿を報道したマスコミがだっこちゃんと命名しブームになった

トランジスタ・テレビ[ソニー、8インチ白黒で6万9800円](4月30日発売)
 世界最初のトランジスタ・テレビ。
 キャッチフレーズは「世界初、ニッポンの誇りがまた一つ」

クレラップ   [呉羽科学工業、100円]
ハイポリマー芯[ぺんてる] <太さは0.9mmでひし形ケース入り>
ふりかけ のりたま [丸美屋、20g入り30円]
 海苔と卵を組み合わせ、削り節と塩で風味を付けた。
 日本初の卵を使った栄養豊富なふりかけとして話題を呼んだ
ワンタッチカレー [江崎グリコ、30円]
ハウス印度カレー [ハウス食品]
森永インスタントコーヒー [森永製菓、220円]
ディズニーキャラメル [森永製菓](3月発売)
シガレットチョコレート[不二家]
クールミントガム  [ロッテ]
 「辛口、大人のガム、お口の中に南極のさわやかさ」
フエラムネ [コリス] 

(たばこ) 
ハイライト  70円(6月20日発売)
  日本初のロングサイズたばこ
スリーA  (6月20日発売)




 顕潤院釈氏興徳居士

これが父につけられた戒名だった。
49日が過ぎ、父の骨は渡利「瑞竜寺」裏手の市営墓地に埋葬された。

元来、菊地の墓も菩提寺も二本松市にあったのだが、何故か2年ほど前に父はここを購入して墓を移動していたんだ。
それはまるで、直ぐに自分がそこに入る事を予見していたかのような父の突発的な行動だった。
当初は石碑ではなく、真っ白い無垢の太い木の墓標が、それはそれで威風堂々と立てられていた。

「いつかは石碑を、ねっ」
僕は、母の手を強く握りしめながら、そう固く心に誓った。

父の死後、母は市内の「ビニール工場」に働きに出た。

しかし、娘の頃からお嬢様育ちをして、医者に嫁ぎ、やがては僕の父と再婚して社長夫人として、それなりに裕福に暮らしてきた母にとっては、そこでの肉体作業はあまりにも過酷過ぎた。

まして、クモ膜下出血の再発という不安材料もあったわけで、主治医である菅田医師の強い要請に従い、その工場は2ヶ月ほどでやめ、次は自宅からも近くにあった「I」という精神科の病院で働く事になった。

世間体が悪いといって親戚縁者は皆この就職に難色を示したが、母はそんな事は歯牙にもかけず、さっさと話を進めてしまっていた。

元来好奇心旺盛だった母は、この職場が面白くてならないようだった。
夕食時の話題といえば、もっぱら病院の入院患者の話が中心であり、僕もまったく想像のできない未知の世界の出来事に胸をワクワクさせながら聞き入ったもんだった。
僕にとっては、母の語る話はまるで江戸川乱歩の小説を読んでいるような、何かとっても非日常的な、背筋がゾッとするような、異次元的な話といっても良いような、そんな刺激に満ち溢れているもんだったのさ。

貧しくても母と二人、手を取りあって助けあい、いずれは僕が頑張ってお金を稼ぎ、父に石碑を立ててあげて、母に楽な暮らしをさせてあげよう。
そんな事を考えながら母の帰りを待つ間、僕は家中の掃除やら片付けに精を出したもんだった。


でも、そんな静かな生活が長く続く事はなかったんだ...