手塚治虫『アドルフに告ぐ』下巻読了 | こだわり探求隊

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先日、コンビニで衝動買いした「アドルフに告ぐ」を今読み終えた。

手塚治虫だから外れはないと確信して買ったわけだけれども、
果たして期待を裏切らない好作品だった。
何かよくもまぁこれだけの人間関係を物語として拵えられるものだなぁと、感心した。
子供が大人になって、君はあの時の子かぁ!という因縁が絶妙に絡み合って
昔よんだ吉川英治の三国志や水滸伝を彷彿とさせるものがあった。
描写はなかったけど峠は岬の未亡人と所帯を持ったろうか。
でも考えてみると弟の恋人を犯してるし、完璧な善人てわけじゃない。
にも関わらず、脛に傷を持たない唯一の登場人物のような立ち位置にいるのはどうかと思った。
検問を突破する時、「あっちで人殺しだー」「爆撃で何百人」というのは、以前見た気がする。
どこかリアルタイムで読んでいたのかなぁ。
それにしても戦後の両アドルフの行く末の描写はエリア88みたいだった。確かにユダヤ人は好戦的だというのは最新兵器による今回のパレスチナへの一方的な攻撃にも窺える。
物事は一側面だけでは論ぜられない。色々考えさせられることが多く含まれていたように思う。
3人目のアドルフは影が薄く、脇役程度だったように思う。王様の耳はロバの耳!と言える勇気が取り巻きにはなかったのだろうかね。
アレキサンダー大王の最後も疑心暗鬼から忠将を殺めたり、してたそうだから、絶大な権力を一手に握ると、最終的にはそうなってしまうのだろう。
以前誰かの話で、確か台湾の総統の言葉だそうだが、宗教が必要かどうかということについて、最高権力者は、国命運を左右す重大な判断を下さなければならない。その時は誰にも頼りに出来ない。物凄い重圧に晒される。そういう時に、是非自分の信ずる神仏の存在が必要なのだ、そうだ。
仏教は一切皆成と説いて救われない者は一人もいない。どのような下劣な者にも尊い仏の性が具わっている、のだから相手を殲滅し尽くしてしまえ! という発想はない。苦しみも前世の業因で自ら招いたものであるから、他人を恨んではいけない、とも説くのであるから、侵略という発想は起きない思う。ww2も国家神道を基本精神としていたからあんな風な結末になったのではないか。
仏教が基本精神に据えられたならば、自衛のためだけの戦闘、が固持できるのではないかと私は思う。
安倍さん、仏教を信じてくれないかな。怖いんだ最近。