本日5日は、私が熱烈に敬愛するグレゴリー・ペック様の、生誕100周年の日です。生きていれば、100歳ですね。

 2003年6月12日に87歳で逝去されました。その日は、泣けて泣けて、一日中泣いていました。

 私が初めて大好きになった俳優さん。彼の導きで、より沢山の映画を観るようになりました。
 ありがとう、グレゴリーさん。

 お誕生日おめでとうございますケーキ




 以前書いた記より


 小学生の時から良く知っていた大スターだった彼に心から惹かれたのは中学生になって『キリマンジャロの雪』を見た時でした。ヘミングウェイの有名な作品の映画化であるこの作品で彼は作家役を演じていました。エヴァ・ガードナー、スーザン・ヘイワードなど豪華な女優陣との共演。特にエヴァさんとの有名なラブシーンには胸が熱くなりました。この時から彼は私にとって特別な人になりました。テレビで放映される彼の映画は欠かさず見るようになりました。そして見れば見るほど彼が好きになっていったのです。189cmの長身、知的で爽やかで品が良くてハンサムな容貌、言うことなしのルックスを備えた彼は、ハリウッド黄金時代を代表する大スターの一人であったことは言うまでもありません。

  印象象深かったのは『大いなる西部』の東部から来た船乗りジム・マッケイ。西部という荒くれた地にありながら異質な紳士的物腰で西部の女性達を魅了していく彼。非暴力を貫く姿は腕がものを言う西部では意気地なしとも見られますが、意に介せず信念を貫き通します。それでいて、決着をつける時はつける。それがあの有名なチャールトン・ヘストンとの真夜中の延々と続く殴り合いなのです。


 それから『ナバロンの要塞』のマロリー大尉。一癖も二癖もある男達が集結したこの映画で、彼は見事にチームリーダーとして彼らを束ねていました。一時は情に流された彼が非情な決断さえしなければならなかった悲しさよ。

 そして、『アラバマ物語』のアティカス・フィンチ。因習残る南部で正義を重んじる朴訥な感さえあるアティカスは信念を貫くために戦います。勿論ここでも非暴力。以前に発表されたAFIが選ぶ歴代アメリカ映画の偉大なるヒーロー部門で、名だたる派手なヒーローを押さえてこのアティカスが1位になりました。その時は嬉しかった。
グレゴリーさんにとってまさに地とも言える役。そして彼はこの映画でやっとアカデミー主演男優賞を手にしたのでした。


 彼は見るからにハンサムだけではなく、見るからに善良で心清き古き佳きアメリカを体現するスターでした。その印象に負けない立派な人柄でも知られています。アカデミー協会の会長をはじめ、俳優達の老人ホーム建設(俳優協会に登録している俳優さんの数は膨大でそのほとんどが名を成すことなく終わっていくのです)に尽力するなどの行動は常に仲間の俳優たちの賞賛を浴びていました。病気に伏せるオードリー・ヘプバーンがスイスに療養に行くときは操縦士つきで自家用飛行機を貸してあげ、エヴァ・ガードナーが亡くなった時は、雇い主と飼い主を失った家政婦さんと犬を自分の家に引き取った、などなどちょっとした行いの1つ1つに思いやりが溢れている。本当に良い人なのでしょう。それでいて、結構筋金入りのリベラル派でもありました。核軍縮、あらゆる差別撤廃、銃規制に賛成など、まさしくアティカス・フィンチと重なるその思想は、時にはニクソンのブラックリストに載ったりもしたようですが、確乎としたその信念は崩れることがありませんでした。

 彼は非の打ち所のないスターでした。まあ、偉大なる大根役者と言われたことがあるのは事実ですが、それも気にならなかった。彼は彼のままで良かったから。彼自身であることがあの頃のアメリカの善良なる男性を演じることにつながっていたのでしょう。

 この日、私は貴方に出逢った時の感動を再び思い出さずにはいられません。貴方は間違いなく私を映画の方向に導いていった人でした。貴方の作品を見るために映画をいっぱい見ました。そしてそこからどんどん興味が広がって、気づいたら映画フリーク。


 若い頃の神々しいまでに綺麗な顔立ちも、中年になってからの皺のある味が出てきた風貌も、お年を召して白髪になってしまった柔和な容貌も全部好きでした。

 98年のサッカーワールドカップ決勝戦のあとの表彰式で、VIP席に座って優勝したフランス選手達(これまた私の大好きなフランスチーム)をカメラで写していた何ともお茶目な姿は忘れられません。


 天国で、100回目のお誕生日を祝ってください。