それぞれの理由 | 胃ガン再発したの・・・

胃ガン再発したの・・・

ステージ3cだったけど、術後2年半は何も異常はなかった。
それなのに、いきなりの再発宣告。

頭が真っ白で

子供には、何て言おう・・・

私は、祖母に育てられました。


両親と弟と
一緒に暮らしているのに
何故か、私は祖母に育てられました。


そして、何故か
母は、私を嫌ってました。
弟ばかり、可愛がってました。


子供の私には、全く理解できなかったし
ただ、母は私の事が嫌いで
父は家庭には無関心なんだと思うだけでした。


私が大人になって、ようやく理由が分かるまで
私が悪い子だから嫌われてるんだと、自分を責めていました。


でも、


母にも


父にも


祖母にも


それぞれの理由があったんです。


それは、子供には分からない事で
理解出来ない事だったろうけど
今なら理解できます。


みんなが辛かった





父と母が新婚旅行中に、祖父が突然死しました。
脳出血でした。


突然に夫を失った悲しみから
翌年に生まれた私を、祖母は母から奪いました。
悲しすぎて、自分を保つのに精一杯だったのでしょう。
そして、新婚で幸せそうな嫁が憎らしくもあったのでしょう。
当時の祖母は、今の私より若かったので
突然に夫を失った悲しみは、今では想像できます。



若くして嫁いだ母は(20才)、姑に反抗できなくて
母乳を与える事も、抱く事も許されずに
毎日泣いていたそうです。


私にとっては叔母二人と叔父一人も同居していて
味方の多い祖母の行動には、母は反抗できず
仕事から帰って、抱っこしようとすると
『いま寝たばかりだから起こさないで!』
と、近寄らせてももらえなかったそうです。


そうしているうちに、弟が生まれ
弟だけは奪われたくない・・・と、母は弟を溺愛し
何も知らずに、祖母になついてる私を憎らしくも感じてたでしょう。



公務員の父は転勤が多く、ほとんど家にいなかったし
若かったので
祖母の悲しみや、母の悲しみを
察する事が出来なかったと思います。


父も、若くして父親を突然に亡くし
母親と嫁、子供、妹二人、弟一人を
急に自分が養わなければならなくなり
家庭の事まで考えてられなかったと思います。


専業主婦だった祖母が私と弟の世話をして
父と母が一生懸命に働いて
叔母二人を嫁がせ
叔父は、当時は高校生だったので大学にも行かせました。



二十代前半の両親が、幸せな新婚生活を過ごす事もなく
8人家族を養う生活になってしまいました。



みんな、辛かったんです。


子供には、愚痴ってはいけない。
言ってはいけない事だと、母は我慢してたそうです。


私は、結婚して母からこの話を聞くまで
それまでの両親の苦労を全く知りませんでした。


祖母が、私を母から奪った事も全く想像もしてませんでした。


お金の苦労も、全く感じてませんでした。


私は、両親から愛されずに育ったと思ってましたが
葛藤の中にも、大きな愛で育ててもらっていました。

祖母にも大切に育ててもらっていました。


もっと早く知りたかったけど
私が結婚して、子供を生んで、嫁の立場になった事で
母は、ようやく話せるようになったんだと思います。



父は10年前に亡くなりましたが
私の娘を可愛がる姿を見て
『父がこんなにも子供が好きなんだ』と知ることも出来ました
私が覚えてないだけで
きっとこんな風に愛してもらってたはずです。


祖母は、2年前に亡くなりました。

痴ほう症になり
自分の娘達の事は『誰?』・・・と、全く忘れてしまっていたのに
母の事だけは分かってて、母の姿が見えないと不機嫌になり
母が来ると
『酷いことをした。ごめんなさい』


そして、『有難う、有難う』と言ってました。


最初は、看病している母に気を使って言ってるのかも?
・・・と、思ってましたが
自分の娘も分からないほどボケてしまってるのに
母にだけは笑顔で『有難う、有難う』と言うので
これまでの母の苦労が、ちゃんと祖母にも伝わってたんだと
祖母は母に支えられてきたんだと思いました。


母は、二十歳で結婚して
ずっと苦労して・・・


いまは、弟家族と一緒に暮らし
ヨガに太極拳、友達と旅行に行ったりと
楽しく幸せに暮らしています


お母さん、まだまだ

これからですね!